“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

大学入試改革 

2016年02月13日 18時29分54秒 | 臼蔵の呟き

「十八歳人口も減り、年一回きりの一点刻みの選抜方式でふるい落とすような時代ではない。社会人や外国人も含めて学び手の伸び代を見極め、高等教育の門戸を開放する。そうした発想が大切だ。」「大学の個別試験と併せ考え、地に足の着いた改革を望みたい。」

問題は、大学などの高等教育機関をどのようにするのかという、検討と見通しがない中で、大学試験制度のみをいじっても何の意味もないということです。そもそも、識字率、就学率、高等教育をうける学生の比率などが改善され、向上しているのでしょうか。貧富の格差が拡大し、学ぶことができないのは当然、食事すら満足に取れない社会でーー教育の機会均等が崩壊しています。そのことを改善することなく、一部の富裕層の教育機関として高等教育、大学が位置づけられてしまい、全国民に開かれた大学でない。そのことを改善しないで受験の方法、あり方を議論して意味があるのでしょうか。スポーツなどは典型ですが、その競技人口が多ければ多いほど、レベルが高い競技になるといわれています。義務教育における差別と選別を止め、親の収入による教育機会の差別をなくす。義務教育の無償化、大学の授業料の無償化・奨学金制度を大学生の負担軽減する制度に改変する。

義務教育も含めて、教育はその国の100年単位での長期的な発展を担保する基本的な政治課題です。銭金で判断される政治課題ではありません。まして、軍事研究を優先し理工系を優遇するなどの政策は愚の骨頂でしかありません。

<東京新聞社説>大学入試改革 疲労困憊する制度では

 受験のチャンスを増やすという眼目はどこへ消えたのか。大学入試センター試験に代わる新しい共通テストの制度づくりが気にかかる。受験生が疲労困憊(こんぱい)して勉強する意欲を失っては本末転倒だ。

 文部科学省が二〇二〇年度からの実施を目指す「大学入学希望者学力評価テスト」の青写真である。いまの中学一年が初代受験生になるスケジュールだ。有識者会議で三月に最終報告をまとめる。

 ただ、議論の流れを見ると、教育現場の実情が度外視され、改革そのものが目的化してしまったようにも見える。

 懸念されるのは、マークシート式に加え、記述式の問題を採用することへの執着である。当面は国語と数学にとどめる構えだが、検討が尽くされたとは言い難い。

 与えられた問題の正解を素早く見つけ出す力ではなく、自ら問いを立て、考えをまとめ、表現する力を測るのに優れているというわけだ。高校での能動的な学びを促す効果も期待できるという。そうした目的にはうなずけるが、実現させるには、技術や費用などの面で多大な課題が生じる。

 五十万人の答案を適切、迅速に採点できるか。教育業界の手を借りる方向も示されたが、公平、公正に評価できるか。コンピューターの導入を含め、作問から判定までの費用見込みはどうか。個々の具体論は事実上の先送りだ。

 殊に看過できないのは、採点に手間暇を要するからとマークシート式の日程と切り離し、前年の秋辺りに前倒しで実施する案が持ち上がっていることだ。

 大学の個別試験までの受験期間は大幅に延びてしまう。高校の授業や行事の段取り、部活動に甚大な影響も及ぶ。受験生の負担も格段に重くなるのは間違いない。しかも、一発勝負方式の弊を断ち切り、受験機会を増やすという新共通テストの狙いは、記述式を採り入れることによって、もはや雲散霧消の様相を呈している。

 確かに、マークシート式のみでも、年二回以上行えば、高校教育に支障を来すという批判はかねて出ていた。しかし、だからこそ、有識者会議の知恵に委ねられたのではなかったか。

 十八歳人口も減り、年一回きりの一点刻みの選抜方式でふるい落とすような時代ではない。社会人や外国人も含めて学び手の伸び代を見極め、高等教育の門戸を開放する。そうした発想が大切だ。

 大学の個別試験と併せ考え、地に足の着いた改革を望みたい。

 


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