“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

歴史認識と安倍、自民党政権

2013年08月19日 09時47分30秒 | 臼蔵の呟き

10日ぶりに北海道に戻ってきました。昨日は雨降りで今朝は、湿気があり、じめじめした天気となっています。道南は、集中豪雨で被害が出ています。連日30度を超す気温、集中豪雨など異常気象が定着し、異常気象が常態化した感があります。

この時期、アメリカの原爆投下、日本の敗戦、自民党幹部の靖国参拝問題、中国・アジア侵略戦争などについてマスコミが取り上げる機会が沢山ありました。この時期特有の話題、議論、また、自民党が衆議院、参議院で過半数を占める状況では、その意味も大きく異なっているように思います。

安倍、自民党政権が、旧日本軍による中国、アジア侵略戦争否定することで、もともと右翼的潮流にあった、「侵略戦争ではなかった」とする主張が広がっているように感じます。彼らの理屈は、いろいろあります。その代表的な言い分が日本だけではなく、ドイツ、イタリアも侵略したではないか、同じではないか。イギリス、フランスなども植民地を持ち、アジア各国を植民地化していたではないか。なぜ、日本だけが非難されなければならないのか。などなど。うそは大きくつく、しかも何回も繰り返すことで、聞く側の国民も意識が麻痺してしまう。このようなことを安倍、自民党中枢が徹底して利用しているように思います。

第一に、日本以外の他国が、アジア、アフリカを侵略、植民地化していようといまいと関係なく、日本が中国、アジア諸国を軍事侵略したことは事実です。中国、アジア各国が日本を侵略したのではないということは何人も否定できない事実です。

第二に、中国、韓国政府が安倍、自民党政権幹部が靖国神社参拝することを批判することは筋違いだとの主張に関して。靖国神社を参拝するのは個人の問題であるとも安倍、政権幹部は繰り返しています。そもそも、総理、大臣の発言、行動に私的、個人的な主張、行為と区分することができるのでしょうか。これこそが、安倍、自民党幹部の狡猾な言い訳です。また、侵略した国家指導者が侵略戦争を認めず、歴史の改ざんを行っているときに、侵略された国家、指導者が靖国神社参拝を日本政府が侵略戦争容認する姿勢として批判することは侵略された国家指導者に権利があることは自明のことです。批判されることがいやであれば、中国、韓国政府となぜ批判するのか、侵略戦争の歴史認識などを外交の場で、議論したらよいだけです。そのことをしないでおきながら、批判されたからといって相手に悪罵を投げかけることこそが安倍、自民党政権、彼らにおもねる政治勢力の臆病で、傲慢な姿勢です。

第三に、南京虐殺事件などはなかったと主張しています。戦争は相手を殺すために行っているのであるから、いちいち、何人殺したかを指摘しても意味がない。日本軍が行った軍事行動の殺戮と、祖国防衛、侵略軍に対する反撃、防衛的な軍事行動を同列に置いた議論こそが常識はずれで異常です。これこそが安倍、橋下、維新の会などがとる詭弁。一つは、戦争、軍事行動だから何をやっても許されるわけではないことは常識です。また、第二次大戦時はそのような基準、ルールもなかったではないか。と主張する勢力もあります。現在の世界政治情勢で、ルールで、侵略行為、戦争行為を推し量ったときに、その野蛮さ、非人道性からみて歴史を総括し、批判することは容認されることと思います。戦勝国であってもアメリカの広島、長崎への原爆投下が非人道性ゆえに批判されることと同じです。

最後に、日本が近隣諸国、中国、韓国などへの侵略行為を謝罪し、謝罪に基づく誠実な政治行動を国内でとらない限り、これらの歴史認識をめぐる批判は収まることはありえないと思います。また、過去の間違いを率直に認めることが新しい外交関係を作るうえでの試金石になるのだと思います。そして、世界に誇る平和憲法を擁護することこそがその何よりの根拠、保障となるのだと思います。


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