労働基本法、労働に関する法律は基本的に働く労働者の権利と保護を目的とした法律です。過去の労働における出来事を根拠として長時間労働の規制、解雇の規制、最低賃金の下限規制と権利が弱い労働者の権利と生活擁護を目的としていることは当然のことです。これらに対して大手企業、企業経営者は低賃金・非正規労働、自由な解雇、長時間労働と残業代ゼロを労働分野に導入し、人件費コストを最小化し、利潤を最大化することを政治、政権に法制上求めています。
労働法規が労働組合の運動、労使交渉などを通じて法に反映され、ルールとして企業経営者に守らせる働きを果たしてきたことは当然のことでした。その理由は資本家、企業経営者は資本、人事権を持つ強者であり、労働の提供以外の手段を持たない労働者は経営者と対置すべきなんらの力も持ちえないからでした。
安倍、自民党政権が岩盤に穴をあけるとして労働法規を有名無実化するのは、過去の労働行政の成果、労働者の権利を無にする以外の何物でもありません。そのことはまわりまわって、国民の貧困化、格差拡大、社会保障制度の破壊しかもたらさないことは明らかです。このような安倍、自民党政権の狙いを止めなければなりません。
<東京新聞社説>残業代ゼロ法案 働くルールを壊すな
厚生労働省の審議会がまとめた成果で賃金が決まる新しい制度案は企業にとって都合がいいが、働く人の命や健康を脅かすものだ。年収や職種を限定したとはいえ、対象が拡大する懸念も拭えない。
第一次安倍政権で導入を目指したが「過労死促進法」などと世論の批判で廃案となった「ホワイトカラー・エグゼンプション」の焼き直しである。働いた時間でなく成果によって賃金・報酬が決まるので、効率よい働き方につながり、労働生産性が向上、企業競争力も向上する-と首相は説明する。
いかにも短絡的だ。日本の労働者は著しく立場が弱いので、成果を求められれば際限なく働かざるを得なくなる。過労死が毎年百人を超え、国会は過労死等防止対策推進法を昨年制定したばかりなのに、明らかに逆行である。
首相は労働法制を「岩盤規制」とみなすが、勘違いも甚だしい。生身の人間を守るための規制と、農業などを保護してきた「経済規制」を混同しているかのようだ。
この労働時間規制をなくし、残業代や深夜・休日手当などがゼロとなる対象者は、年収千七十五万円以上の為替ディーラーや製薬の研究開発職などと限定した。しかし、派遣労働の対象職種の緩和が徐々に図られてきたように、企業寄りの政策を半ば強引に進める政権のことである。アリの一穴がごとく、日本型の労働慣行は崩壊の縁にあると言わざるを得ない。
情けないのは、このような働く人の心や体を脅かす規制改革が成長戦略の柱と位置付けられていることだ。そもそも労働法制をいじらなくても、商社やIT企業の中には早朝出勤への切り替えなどで残業をなくし生産性向上も実現している企業が少なくない。政府は過剰な介入を慎むべきだ。
首相自らが「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指す」などと企業天国づくりを公言してはばからないのは異常ではないか。これほど露骨に大企業の利益に便宜を図るのは倫理的に疑問である。
今回の労働時間改革も、民間からは財界と学者だけしか入っていない産業競争力会議の場で方針が決まった。労働問題を議論するのに労働界代表を排除しているのである。
経済政策の司令塔である経済財政諮問会議も同様に財界の声しか反映しない仕組みだ。これでは働く人の尊厳も権利もないがしろにされ、行き着く先は国民の多くが不幸になるブラック国家である。
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