<琉球新報社説>戦後70年談話 負の歴史も直視すべきだ
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」の一節で有名なドイツのワイツゼッカー元大統領の演説には、次のような一文もある。
「若い人にかつて起こったことの責任はない。しかし歴史の中でそうした出来事から生じたことには責任がある」
日本に当てはめれば、軍国主義時代のアジア諸国への侵略に対して、戦後生まれの世代に直接的な責任はない。しかし過去の反省を踏まえつつ、隣国とより良い関係を築くのは現代に生きる者として当然の責務だ。
安倍晋三首相は22日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で演説し「『武力行使によって他国の領土保全や政治的独立を侵さない』。この原則を日本は先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓った」と表明した。
夏に発表する戦後70年談話への環境整備として、各国首脳の前で「日本の役割」を強調して評価を得る考えとみられる。ただ演説に「大戦への反省」はあったものの、侵略行為への謝罪はなかった。
安倍首相は21日に出演したテレビ番組で、戦後50年に当たって発表された村山富市首相談話にある「植民地支配」「侵略」「おわび」などの文言にこだわらない考えを表明した。首相は「歴史認識で基本的な考えを引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とも述べていた。今回の演説もその考えが反映された。
しかし過去を直視する文言をあえて外したとなれば、「未来志向」とうたっても、諸外国から理解を得るのは難しい。特に被害を受けた当事者である中国、韓国との関係改善はますます遠のくだけだ。
首相の戦後70年談話にはアジアだけでなく、欧米も注目している。戦後日本の出発点は大戦への反省に立ったものであり、不戦を誓った平和憲法に立脚するものだからだ。70年談話は単に首相の個人的な考えを述べるものでなく、日本が戦後を総括した上で国際社会に向けて未来を語るべきものであるはずだ。
首相の個人的な思いだけで、重要な文言を外せば「歴史修正主義」「戦後国際秩序への挑戦」と受け止められかねない。これまで築いた日本への信頼を損ねる可能性すらはらむ。日本が国際社会の信頼を揺るぎないものにするには、たとえ負の歴史であろうと直視する勇気こそが必要だ。
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