昨日夕方、札幌すすきの交差点で、ユニキタが主催する街頭演説会(400人くらい参加)がありました。気温は零下5度くらいあり、防寒対策をしなければ耳が痛くなり、腹痛が起きるような天候でした。その中で、法政大学山口二郎教授、シールズ諏訪原健さん、ママの会、北海道学者有志の会、ユニキタの女性、飛び入りで東京外国語大学伊勢崎賢治教授が街頭演説を行いました。
安倍、山口自公政権が行った戦争法を廃止し、立憲主義を回復させる。そのために、今年、最初に行われる北海道五区衆議院補欠選挙で野党共闘を実現させ、自民党候補を落選させる必要性が強調されました。戦争法に反対する国民多数が、選挙でその願いを実現できる候補の統一を実現しなければならない。そして、参議院選挙の前哨戦ともなるこの補欠選挙をモデルケースとして成功させ、全国の一人区での野党統一候補擁立を実現させようとの訴えがされました。
<内田樹教授の15年9月19日共同通信に配信されたコメント>
安保法案が成立した。これほど瑕疵の多い法案を私は過去に見たことがない。
憲法学者も元最高裁判事も元内閣法制局長官もその違憲性を指摘した。歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈は「安全保障環境の変化」という一語によって覆された。立法事実は次々と変遷し、どのような危機的事態に対応するための法律なのかはついに明らかにならなかった。廃案を求める多くの国民の声に政府はまったく耳を貸さなかった。そのようにして戦後日本を律してきた安全保障政策の決定的な転換が行われ、日本は「戦争ができる国」になった。
これほど否定的条件が整いながら、あえて安倍内閣が法案の早期成立にこだわった合理的な理由は一つしかない。それは四月の米議会での演説の中で、首相が「この夏までに、成就させます」と誓言したからである。
安倍は「米国に対してなした誓約の履行義務はあらゆるものに優先する」と信じている。それが国内法に違反しようと、法的安定性を揺るがそうと、国民世論と乖離しようと、「米国との約束」は最優先されねばならないと信じている。
なぜか。
それは日本が米国の政治的属国だからである。
勘違いして欲しくないが私はそれが「悪い」と言っているのではない。
日本が米国の従属国であるのは否定しようのない歴史的事実である。敗戦国が生き延びるためにはそれ以外の選択肢がなかったのだから仕方がない。戦後70年間、先人たちは「対米従属」を通じての「対米自立」の道を必死で模索してきた。この「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略に一定の合理性があったことを私は喜んで認める。事実、その成果として、日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰し、小笠原と沖縄の返還をかちとった。
けれども、沖縄返還後、わが指導者(自民党政権)たちは「対米従属」の作法にのみ熟達して、それが「対米自立」という国家目的のための迂回に過ぎないことを忘れてしまった。政官財どこでも米国に人脈やチャンネルを持つことがキャリア形成の必須条件になった。ある時期から「米国の国益増大に資するとみなされた人」しか国内の重要な政策決定に与ることができないという仕組みが出来上がった。
安倍首相には、戦前の全体主義国家の再建という個人的な夢がある。彼の『1984』的な暗鬱なディストピア志向は、靖国参拝や特定秘密保護法やメディア支配や派遣法改定やマイナンバー制度への好尚からあきらかである。そして、何よりも「絶えず戦争をしている国」であることこそ『1984』的社会の基本条件なのである。
ただ、これほど大がかりな政治的ヴィジョンを実現するためにはどうしても米国の許諾を得なければならない。
逆説的なことだが、戦勝国が「押しつけた」憲法九条を空洞化し、「戦争ができる国」になるためには戦勝国の許可が要るのだ。そして、そのための必須条件は「米国と交わした約束を履行するためには自国民を裏切ることさえ厭わない人物である」という評価を得ることだった。
安倍首相はその誓言を誠実に履行した。そして、彼はかつて韓国の李承晩、ベトナムのゴ・ディン・ジエム、インドネシアのスハルト、フィリピンのマルコスを迎えた「開発独裁の殿堂」入りを本日果したのである。
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