今日、23日は動物慰霊祭が静岡県動物管理指導センターで取り行われました。
毎年行っています。
出向く理由はいろいろありますが、この場所をどうしてもこの目に焼き付けておきたいのです。
ここは、街中の雑踏からは遠く離れた場所に位置していて、
当然のことなのかもしれませんが、明るいイメージはありません。
もちろん、ここから新しい場所に向かってスタートを切れる子もいます。
ですが・・・樹木で囲まれたうっそうとした道を搬送車に乗せられて、この地が最期の場所となる子たちが
まだまだたくさんいるのが現実なのです。
そこに行きつくまでには、たくさんの『ふるい』があったはずなのですが
残念ながらどこの網にもひっかかることのできなかった子は、命の終わりを迎えているのです。
それは、ある意味人が決めた命の終わりなのです。
抗うすべを持たず、受け入れることでしか終われない・・・・。
存在を人に罪だとされて、何もできなかった子たち。
誰の耳にも聞こえることはなかった助けての声。
愛してもらうどころか、生きることすら許されなかった子たち。
そういう子たちがいることを、そしてここで終わりを迎えたことを
絶対に忘れたくないから、毎年行くのです。
自分に負けそうなとき、連れて行かれた子たちがこの場所を通過する姿を想像し
どこかに救いの道はないのかと頭をフル稼働させて考えるためにも。
人間は弱いから・・・・。
楽なことを覚えたり、嫌なことから目をそらしてしまうと
簡単にすべてを忘れたり、言い訳人間になっちゃうから。
どっかで誰かが想って行動してあげないとね。
そして・・・・。
想いのある人は、大勢いた方が絶対いいに決まってるんです。
毎年行っています。
出向く理由はいろいろありますが、この場所をどうしてもこの目に焼き付けておきたいのです。
ここは、街中の雑踏からは遠く離れた場所に位置していて、
当然のことなのかもしれませんが、明るいイメージはありません。
もちろん、ここから新しい場所に向かってスタートを切れる子もいます。
ですが・・・樹木で囲まれたうっそうとした道を搬送車に乗せられて、この地が最期の場所となる子たちが
まだまだたくさんいるのが現実なのです。
そこに行きつくまでには、たくさんの『ふるい』があったはずなのですが
残念ながらどこの網にもひっかかることのできなかった子は、命の終わりを迎えているのです。
それは、ある意味人が決めた命の終わりなのです。
抗うすべを持たず、受け入れることでしか終われない・・・・。
存在を人に罪だとされて、何もできなかった子たち。
誰の耳にも聞こえることはなかった助けての声。
愛してもらうどころか、生きることすら許されなかった子たち。
そういう子たちがいることを、そしてここで終わりを迎えたことを
絶対に忘れたくないから、毎年行くのです。
自分に負けそうなとき、連れて行かれた子たちがこの場所を通過する姿を想像し
どこかに救いの道はないのかと頭をフル稼働させて考えるためにも。
人間は弱いから・・・・。
楽なことを覚えたり、嫌なことから目をそらしてしまうと
簡単にすべてを忘れたり、言い訳人間になっちゃうから。
どっかで誰かが想って行動してあげないとね。
そして・・・・。
想いのある人は、大勢いた方が絶対いいに決まってるんです。