2007年10月3日
とある公園で栄華を極め君臨した“ボス”が
最期を迎えた日
前年の2006年12月
痩せて食欲の落ちた“ボス”の死期が間近だと案じるわたしに
『最期を看取りたいから連れておいでよ』
そう声をかけて下さる方がいて
神の声にひきよせられるように
その方の元に“ボス”は迎えられました
公園付近の野良猫の頂点として繁殖をし
随分子孫を繁栄させ、大きな喧嘩も数多くこなし
でも、自分の愛したメスや子供たちには優しかった“ボス”
途中、わたしに御用となりタマ抜きするために捕まえたときは
捕獲器を突き破るんではないかと心配するほどの
暴君と化していましたが・・・
その時以外は、どっしりしたとてもいい子でした
そんな“ボス”も年齢を重ね、病気にかかり
それでもその地域のテリトリーを守り
知らないオスを寄せ付けない強さを誇っていましたが
冬の寒さが厳しくなり、見る見る痩せていきました
それでも彼は、最後の最後まで強くてカッコイイ雄猫“ボス”でした
保護当時は、治療を嫌がり抵抗したこともあったようです
でも、大物だったんでしょうか
あっという間にすべてを受け入れるようになりました
ずっと外にいたのがウソのようでした
めんどうを見てくださるお宅で
仔猫のときからそこで育ったかのように甘え
のどをならし、おふとんフミフミもしていました
相性もあったのか、安住の場所と悟ったのか
“ボス”の潔さと、先方の懐の広さに
泣きたくなることがしばしばでした
年を越せればいい・・・からはじまって
寒い冬を良くがんばったね、春になったね
夏の暑さはダイジョウブ?もう秋になるよ
お邪魔して見舞うたびにお話ししていました
そして、いつのまにか・・・
季節の移り変わりとともに
“ボス”は預かり猫ではなく先方のお宅の子になっていました
お互いを信頼して人と猫の形を超えて
意志の疎通がなされていました
本当の子供みたいに甘える“ボス”
1年も過ぎた今、思い出しても涙がこぼれます
心に心で答えていたあの光景を
多分わたしは忘れることはないでしょう
亡くなる前日、会いに行きました
かろうじて、めんどくさそうにではありますが
出てきて写真を撮らせてくれたのですが
すぐに寝床に帰ってしまいました
翌日、浅い呼吸になり眠るように意識がうすれた“ボス”
安らかで満足した顔で逝ってしまいました
お葬式のためにわたしも同行させてもらいました
あの日、霊園までの信号が赤になり、助手席の“ボス”に話しかけている
Iさんの優しい面差しを、後ろの車の運転席からながめていました
はらはらと、こぼれる涙で気づきました
ああ、“ボス”といっしょに、救われていたのはわたしだったんだと
当時公私ともに忙しく、わが身にふりかかる災難の数々に
嫌気がさしていたときでした
悲観的な日々にどっぷりつかっていたのです
一箇所からとてもきれいな光がさして
神々しい荘厳な秋の空だったのを覚えています
“ボス”が昇っていったのがわかりました
目には見えなかったけれど、本当に昇って行ったのを
体のすべてで感じることができました
1年過ぎて遅ればせながら
“ボス”の堂々とした最期のときを
書いておきたくなりました
君がむこうの世界に行っていると思うと
なぜか、今まで見送った子、これから見送る子を
頼んだよってお願いできるようで安心です