しっかり看取ったんだからしかたないよね
がんばってくれたんだからもういいよね
何度も自分にそう言ってきたのですが
この子の死をどうしても受け入れられない自分がいました。
逝ってしまったときのことも、あまりはっきり覚えていません。
2013年5月に、FIPを告知されたにも関わらず生き延びて
その後2014年8月、FIPの再発を告知され、また復活しました。
当時は、現在のような有効とされる薬は開発されてない時代でした。
国内でも数例のめずらしいことだと言われていました。
だからそれがずっと続くと、愚かなわたしは勘違いしていました。
命には終わりがあって、誰にでもやってくることなのに
ちゅもだけは特別みたいに思っていて・・・どうかしてますね。
ちゅもは2021年4月15日に天に還っていきました。
おかしいと気づいて受診したのは1月半ばのことでした。
病名は、最初はよくわからず、次にリンパ腫かもということでしたが、
最終的には3回目のFIPが濃厚ということでした。
2013年はウエットタイプ、2014年はドライタイプ
今回もドライタイプかもとのことです。
脳にもすでに影響が出ていると言われていました。
高額な薬の選択も考えましたが
他の病気の可能性も含まれていて、病院の先生方とも話し合って
わたしは対処療法を選びました。
そのことも、自分の中でいまだに正しかったのかどうかわからないままです。
もしかしたら助けられたのに助けなかったのでは・・・と
そんな思いも残っているのです。
1年経ったからといってちゅもがいない現実が変わるわけではありません。
あの子のことを考えると、苦しくなる自分がいます。
ちゅもはわたしのことを少しも恨んだりしてはいないと思います。
最後の最後まで、わたしの呼びかけにしっぽを振って返答してくれていました。
食べることもできず、垂れ流しになってしまって
意識も朦朧としていただろうに
それでもなお、ちゅもはわたしの声に反応しました。
ちゅもはわたしのことが大好きでした。
わたしは、それに見合うだけのことを
あの子にやってあげられたのだろうかと悔やまれてなりません。
すごくすごく大好きだったのに。
笑ってくれるちゅも
可愛い声で、エンエンみたいな泣き方で甘えてきました。
性格がよくて人間が大好きでした。
フォルムが丸っこくてめちゃめちゃ癒されました。
もっといっしょにいたかったです。
また逢いたい。
また抱きしめたいです。
神様のところに還っていったんですが・・・
本当は還ってほしくなんてなかったです。
1年過ぎて、ちゅものことを記しておかないと先に進めない気がして
こうして書いています。
弱くて根性なしで情けない自分と向き合わないと。
強くありたいと思っているのですが、なかなかどうして
器用にいかないものです。
この1年、いろんな子がFIPに羅漢しました。
里親さんはじめ、預かりスタッフさん
みんなの苦しみや悲しみが私の中に流れ込んできて、共鳴しました。
ちゅもを想い、何度も泣きました。
わたしはたぶんまた思い出しては泣くんだと思います。
ちゅものためにできることはもうありませんが
泣きながらでも、自分のやれることはやろうと思います。
伝えられることは伝えていこうと思います。
いなくなった悲しみを消すことはできませんが
ちゅもはきっと応援してくれてると思います。
わたしの笑顔で呼ぶ声が大好きだったと思います。
子育ても手伝ってくれました
やりきったら、いつかきっとちゅもにまた会えますね。
その日がきたら、可愛い声を聞かせてもらって
思いっきり抱きしめようと思います。
ちゅも
大好きだよ♡
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ちゅもは、2013年の3月、61匹の多頭飼育の現場から助け出してきました。
お寺の住職のお母さんがお寺で保護した猫たちですが
不妊手術に関しては後回しの考え方で飼われていました。
住職は自分の保身のために殺処分に出したいと言ってきました。
ちゅもは小さなキャリーで生活していました
2匹の子猫といっしょに入っていました。
たぶん2012年の春に生まれたと思われます。
だから、享年は9歳です。
わたしのそばにきてくれて本当にありがとうね。