桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

値段のつけ方

2016年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
2月10日(水)

店へ入ると、みずみずしく太い大根が最初に目についた。
えっ‼︎これが97円?

私は嬉しくなって、大根を選ぼうとした。
よく見ると、97円ではなく、197円とレッテルが貼ってある。

やっぱりね!
97円の野菜の間に197円の大根の山を入れ込んでいるのだ。
ひどい並べ方。
もし、気がつかないで、レジへ行ったら、びっくりするだろうなぁ!

野菜の安売りなんて、嘘。
97円の野菜の間に入れ込むなんて、随分、小細工をしたものだ。

この店では火曜日は何かしらの安い物がある。
今回の火曜日は野菜や果物だった。

しかし……
水曜日になると、値段は変わる。
リンゴなどは30円もアップしている。
店頭に出している品物が違うというかもしれない。
でも……
大きさだけでない。束の数が増えたり減ったり。

「今日はやめておこうね」
でも、この、店の青果係はどうなっているのだろう。
と、連れと話しながら店を出る。

最近の天候は変わりやすい。そのため、野菜や果物も不順に襲われがちである。
つい、最近は,葉ものの野菜が出来過ぎて、農家が始末に困ったという話だった。

消費者にとっては有難いと思ったのも束の間、少し日を置いて店を覗いた時には、すでに値上がりしていた。

自然の及ぼす影響は致し方がないが、せめて、値段の激しい変化を店頭で、あからさまに示す様なことは避けて欲しいと思う。

最近は、消費者の方も賢くなった。
必要以外の物には手を出さない人が多くなっている。
特売の日以外は、客の姿が少ないのでも、よく分かる。

生活の厳しさをしみじみ感じさせられる出来事である。







春の食べ物

2016年02月10日 | 一年前
2月9日(火)

姉が『ちらし寿司』を作った。
久しぶりに取り出した皿がとても綺麗だったから、これで食べたいわと話が決まった。
それに、節分の恵方巻はやめたが、急に寿司が食べたくなったのだ。

卵焼きは私の役目みたいになっている。
何時も思うのだが、どうしても、うまく焼けない。
結局、今日も一枚だけが成功した。
まあ、いいか!私にしてはうまく出来たのだから、これからも頑張ろう。

切れ切れになった卵焼きでも、結構、寿司は美味しかった。
今度は何時作るのかな?
二人の誕生日?雛祭り?

昨日はいい物を見つけた。
『ウルイ』は早い春のしるしみたいな物。
薄緑色が何とも言えない魅力だ。
ぬたにして食べようと思う。

もっとも、この山草は私のMacでは、デスクトップで、毎日、何回もお目にかかる。

自分の立場を確り受けとめよう

2016年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
2月8日(月)

今日はリハビリの時間に合わせて何時もより早め目に出た。
玄関の鍵を掛けようとした時、宅急便の女性と会った。
荷物を運んでもらえるように依頼する。

宅急便で、伊東まで滞在中の必要品を送る為である。
だんだん、荷物を持ち歩くのが嫌になってきた。
出来るだけ手に荷物を持たないように、日頃からリュックサックを使っている。

兎に角、危険の無いように、無理をしないように、自分から気を付けるようにしなければと、最大の注意を払わなければいけない。

以前にエスカレーターで、尻もちをついた事がある。
結局、下のフロアで立つ事が出来たが、暫くの間は恐ろしくてエレベーターばかりを利用していた。
今ではエスカレーターの使い方をしっかり出来るように、心と手足を引き締めている。

毎日の様に何かしらの不都合を感じる事が多くなった。
最初のうちは、この事が悔しくて、素直に受け止められなかったが、大げさに言えば、日々、様々な現象に障害が現れると、悩んでばかりはいられなくなった。

人は、自分がその立場に立たないと、理解出来ない事が多すぎる。
しかし、他人がそれを分かってくれないと、こちら側が思うのも、無理な話だと思う。

自分の事を甘えて、愚痴をこぼしてばかりはいけない。
心を引き締めよう。

いよいよ、EIさんの治療も終わりになる。
『自分がやる気を出さなければいけない』
心配をする彼の厳しい言葉に、自分に甘えてはいけない、確りしようと改めて思う。

帰宅後、駅ビルへ行く。
愛媛の友人夫妻にバレンタインのチョコレートを贈る。
久しぶりに『アップルチョコレート』を見つけて嬉しくなった。
よく、神戸まで旅行をしたものだ。

聞き間違え/地図の思い出

2016年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
2月7日(日)

新しい駅弁を買ってみた。
鯖寿司で有名な吾左衛門鮓のちらし弁当という物が発売されていた。

この店の鯖寿司は私のお気に入りなので、よく買ったが、このチラシは初めてだ。
早速、スーパーへ行ってみた。
時間によって入荷する弁当類のなかから『吾左衛門鮓のちらし弁当』を選ぶ。

早速、味見をした。
鮨飯は甘みが強い。ちらしの具には鯖鮓を細かく切った物が混じっている。
余り、私の好みに合わないと思った。
矢張り吾左衛門鮓は鯖鮓に限る。


本当は、舌平目のムニエールを作るつもりだった。
どうしようかな?

食べ過ぎかな?


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朝鮮に思う

「乱世に生まれ、乱世に死ぬ」と、姉が言った。
「えっ!なんのこと?」
乱世が男性に聞こえた私は聞き直した。
最近の私は聞き取れないことが起こりがちだ。

「ああ!そうかぁ!乱世ね」
バカね!私のボロ耳!

北朝鮮のことよ!と、姉が言う。

国民が餓死しそうなのに、何と言う国と、何時も思う。

私が仁川に住んでいた時は、南も北もなかった。
小学生の頃、放課後に残って模造紙一杯に朝鮮半島の地図を描いた思い出がある。
何の為にかかされたのか、担任の先生の意図は分からない。

地理の時間は朝鮮半島の事がほとんどだったと思う。
もともと、私たちが使っていた教科書は朝鮮総督府だった。文部省ではない。
全てが朝鮮総督府の下にあったのだ。
そして、戦時下には、ますます、その傾向が強くなったのではなかろうか?

あのウサギの様な形の朝鮮半島は、目をつぶっていても描けると自信があった。
まさに、歴史や地理が大好きの少女だった私は、先生に随分とタヨリにされていたわけである。
何にも可愛がっては貰えなかったけれど、いそいそと放課後に残って作業をしたのだものね。
あれは、先生、なにに使ったのかな?
その様な事がよくあったなと、今にして思う。
朝鮮と満州の境目にある河は鴨緑江と言っていたが…


先程の姉の言葉、本当に、私たちは乱世に生まれて生きて、終わろうとしている。
でも、悲しいとは思いませんよ。
現実に、こうなっては嫌ですものね!
今は食べたい物は食べられるし、遣りたい事はやれる、しかし、体が言う事を聞いてくれればの話だけど。

今日の様な事は、やめてほしいなぁ!
二度と、乱世は来ないで欲しいもの。


かなり激しい横揺れがあった!
日本全国、地震の恐れあり。
地震、雷……打ち上げ…かぁ!

駅ビルで買い物

2016年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
2月6日(土)

朝は素晴らしい青空だったのに、もう、今は曇天。
我が家の脇の小道は何時も北風が通り抜ける。
ふと見ると、郵便局の建物が真っ白の板で囲まれて、いよいよ建て替え工事が始まる様子だ。

日に日に変わって来るのが見える様になったバス通りは、近い将来、街の変化をぐんと変えてくれるだろう。
矢張りオリンピックにかけて、街のあちこちが変わるのは興味のある事には違いないが、この道路の場合も、随分、長い間、拡張工事の掛け声だけであった様な感じがする。
しかし、まあ、2020年を目指して工事を進捗させるのも良いだろう。
この街のお馴染みの郵便局が、どんなスタイルでお目見えしてくれるか、楽しみにしよう。

久しぶりに駅ビルの寿司店へ行った。
今日の板前さんは、愛想の良い人で、私の注文通りに丁寧に握ってくれた。
おきまりの種だけでなく、違ったものをと思いながら、結局、何時もと変わらない注文。
到底、私には10個ぐらいが良いところとは……
情けないが、仕方がないなぁ!
終わりに羊羹をご馳走してもらった。

姉と別れて、彼女は本屋へ(ここで私の好みがわかる)
私は靴下屋へ行った。
脚のむくみを抑える履物を探すためだ。
結局、適当なものを買って、試験をしてみる事にする。

薬屋に医療用の靴下がいろいろ並べられているので、店の人に相談する。
結局、決めた商品を持ってレジで待っていたら、先ほどの女店員が戻ってきて、
「整形のお医者さんにしっかり聞いて来て下さい。まだ、大丈夫ですから」と言った。

店員の今時の商売とは違う慎重な態度に感心する。
成る程、靴下一足が2,500円もするのだから、場合によっては全く履かないも同然になってしまうかもしれない。
ましてや、医療用なのだから…
客の立場で考える店というのは珍しいと、信頼感を持った。

帰りのバス停は郵便橋前より先方になった。
オヤ? 遠くなったよ!
とは、あまり遠くもない数メートル先移転の停留所に対する贅沢な感想。

我が家の白樺は…

2016年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム
2月5日(木)

冬の空って、こんなに美しいものかと、毎朝の様に見上げる。
今までは、空の変化を写真に収めてブログに取り入れていたが、うまくいかない。
最近は、長い間、文章だけで済ませているが、自分としてはあまり気にしていない。
これも負け惜しみか?

梅の木の向こうに赤い椿が賑わっている。
倉庫の側には深みのある赤い実がかたまって天を見上げる南天。
冬と言っても、結構、賑やかなものだ。
最近は、出歩かないので、世間ではもっと、庭を賑わせている家もあるのだろう。

一つ、気になるのは、白樺の木。
昨年までは、まだ葉が出ていた。
ところが、最近になってみると、どこも枯れた様になっている。
あの真っ黄色な葉と真っ白な幹こそ、シラカバなのに。

我が家の白樺は、富士山の庭から運んで来たものである。
まだ若木だったが、よく成長した。
街中の白樺の存在は、都会では~というより、東京では珍しい風景を見せてくれた。
白樺と言えば、皇后美智子様のお印になっているほど、優しい植物である。

何故、こんな枯れ木同然の状態になったかというと、一昨年?だったか?行きずりの植木屋に頼んで剪定してもらってからである。
その際、植木屋は「この木を切ったら後は枯れるよ」と言った。
「それでもいいから、邪魔にならないように切って」と、私は頼んだ。
塀の際なので、隣の駐車場に落ち葉が降りかかるからである。
だから、これは持ち主の責任である。

白樺のお陰で、富士山の庭を思い、また、白樺の美しさに山梨の景色を重ね合わせていた。
その楽しみも、もう、終わりとなる。
もう少し、広い場所に植えておけばよかったと思う一方、これも命と思おうか。

チューリップの芽が出始めた。
何の世話もしないので、花が咲くのだろうか?
兎に角、無精者の庭では期待出来そうもない。
何とかしなくては…… 





梅の花が咲き始める/仁川の事少しばかり

2016年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム
2月4日(木)

二階のベランダから庭を見ると、桃の花芽がかなり膨らんでいる。
寒い、寒いと言っても、春は確実にやってくると一安心。
手入れもしていないプランターに、たった一輪、鮮やかな紫色の小さな花が顔を出している。
最近は殆ど庭を見る事の無い生活が続いて、こんな可愛い花にまでご無沙汰をしている。
なんと、いい加減な暮らし方だろうと気がついても、一向に変えようとしない。

ところで、素敵な発見をした。
白梅が咲き始めているのだ!
今日は立春。
春です、春です!直ぐ、本物の春がやって来るのです。

* この花の名前はルビナスでした。私の記憶はちゃんと残っていました。

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立春といえば『コロンブスの卵』と言う話もありましたね。
日頃、思いつかない話が急に飛び出すなんて、驚きますよ。
これも、子どもの頃に聞いた話でした。
その後、ポルトガルへ旅した時、リスボンで大航海へ向かうコロンブスの像を見ました。
 
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我が家のキッチン側のドアは実に頑丈で、何時も開けるのに苦労している。
特に私の体は不安定なので、転ばないようにノロノロとドアを押し開くしかない。

郵便受けを見た。
手紙が三通、その中の一つは、かつて度々買っていたブティックの案内状。
年に一度のバーゲンと書いてある。
もう、必要はない。第一、いくら銀座で開催しても、僅かな道のりを歩くのも嫌だ。

後の一通はNTTと姉への手紙。
つい、この前、電話があったS氏からの通知だった。
仁川の同窓の集まりである。
何て、素早いのだろう?  

私の日頃の考えが、なんとなく変わってきそうだ。
『仁川を想う会』には、仁川に関わる人の名前が随分掲載されていた。
IN氏のこの会への熱意を感じる。

ところで、大勢の仁川関係者?の名前を見たが、残念ながら思い出せない。
もっとも、龍岡小学校は3クラスの内、1組は男子、2組は男女、3組は女子のみだったので、3組だった私にはわからない。
それに、女性は結婚していると、苗字が変わってしまう人も多いから無理と言うものだと気がついた。

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最近、誤字脱字の多いのには、我ながら呆れる。
姿勢が悪いし、寝転んでパソコンいじりは感心出来ない! 

鬼は~外!

2016年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム
2月3日(水)

節分ですよ!

昨日のテレビで、舞妓さんが豆撒きをしていた。
でも、あの長い袖でまくのは大変だ。
どうせ、撒くなら、もっと元気を出して,大勢の人にわたる様に撒いてね!と言いたくなった。

スーパーの入り口には、節分用の品物がたくさん並べられている。
今迄だったら、私は必ず炒り大豆を買ったものだ。
そしてケチな豆撒きをした。
『お口に福は~内!』とね!
この様な季節の行事は、家では,私一人だったのだけど。
もう、やる気が起こらない。

それに、今日は昼からスキヤキをした。
準備は殆ど、私がやる。
大体、鍋物は私の係りとなっている。
水分は清酒ダクダク!
すごく良い匂いがするよ!

あの太~い海苔巻きも、うちでは食べない。
あんな太いものは、一気に食べられないものね。

それでも、福は来てくれると思いたいですね~~
鬼は~外!!

ジンセン会は幾つあるの?

2016年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム
2月2日(火)

こんなにブログを貯めるなんてだらしがない。
それに、今の私は忘れっぽくなって、なかなか、思い出せない。
どうせ、それ程忘れる事なら書かなくても良さそうだと思うが、それが出来ないのだから困ったものだ。

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昨日、姉のところに電話があった。
姉の小学校時代の同窓会のお知らせである。
八十八歳になっても『仁川時代』の幸せだった思い出が忘れられないようだ。
残念ながら、私にはその様な会も無く、それ程、気にもしていない。
しかし、最近の度々の姉達の話に、少しばかり考える様になった。

そして、仁川は私の『ジンセン』であって、インチョンでは無いと、益々、強く思う様になった。
姉達のグループの人達も、同じ思いだろうと想像する。
話によると、この方々は、戦後、お医者さんになった人が多いという事だ。

『仁川を想う会』のブログに載せられた『仁川散策』の写真を是非見せてあげたいと思う。
今度の会にお土産にしようかな?と、ふと、思った。

ところで、仁川会は幾つあるのですか?

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「きつい、きつい」と言いながら、炊事に立つ。
今日は煮豚料理だ。
新しいレンジの使い方を早く習得したいと思うので、つい、手を出したくなる。

最近は、座ると、つい、眠くなる。
オトシですね~!桜子さん。

よく歩きました

2016年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム
2月1日(月)

今朝は早く起きてシャワーを済ませたのに、10時20分に遅れてしまった。
タクシーがなかなか拾えない時があるからだ。

今日でEIさんのリハビリは終わりかなと思ったが、来週も治療して下さる事になった。
交代する人は?と気になる。
帰りは一気にバス通りまで歩く。
何時も、停留所までの信号をうまく切り抜けるよう速足で歩いた。

信号が変わると同時に、バスが到着。
帰宅するのが早く出来て満足する。

昨日は買い物へ行けなかったので、昼食後、出かける約束をする。
バスで、二停留所と言っても、距離が短いので助かる。

買い物をした後、家まで歩いて帰る事にした。
このスーパーは肉類が豊富なので、煮豚用の塊を買う。
パン売り場で、珍しく長野名物の『みすず飴』を見つけた。
なつかしい!以前は高速の休憩所で買ったものだ。
兎に角、このスーパーは何でもある店だ。

「シナモンシュガーはありますか?」と尋ねると、棚の整理をしていた男性店員が腕を伸ばして「あそこにあります」と答えたが、本人は動かない。
私は礼を言ってスパイスの棚を見たが、小さな瓶のラベルは読み難い。
もう一度、尋ねると、やっと、体を動かして小瓶のあたりを指した。

普通なら、店員は自分で、商品をとってくれるのだが、なんて不精なんだろうと思った。
兎に角、お目当の物を忘れずに買えたのは良かった。

帰りは歩いて帰る事にした。
約、片道500mはある。今朝も病院から歩いているから、今の私にしては可成りの距離になる。
しかし、それほど、辛い思いがしなかった。
これからも、頑張って歩いてみよう。

ブログはあちこち順不同

2016年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム
1月31日(日)

今年も一ヶ月経ってしまった。
何もやらない、本当に何もしない平成28年1月だった。
毎日、今日こそはと思いながら、結局、ダラダラと過ごしてしまった。

さすがに、今、私は焦っている。
しかし、最近はブログさえ、足踏み状態だ。
私のブログは日記みたいなものだからどうでもいいと思うのだが、記録として残そうと考えると、これでは意味が無い。
日付順では順序不同であるけれど、遅ればせながらでも思い出せるのは良いかと思う。
まさに、自己中心の傾向あり。

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1月29日(金)

外出。
主な目的は銀行へ行く事だが、最近は駅に近い銀行へ行くのさえ、歩くのが嫌になる。
それに滅多に行かないので、カードで出せる金額の限界も知らない。
世話係の男性に尋ねると「どちらへ振込みですか?」と聞く。
「いや、私にフリコミです」とふざけて?答える。
幾らまで出せるか聞いたから、若しかしてフリコミ詐欺にかかっている人物と思われたのかもしれない。
兎に角、世間の常識から離れてしまった私だ。

外出の目的が終わった後は、買い物。
いや、何か食べようと、駅ビルのレストラン街へ行く。
お気に入りの店が無くなったので、寿司店以外は気に入ったものが無い。

仕方がないと譲歩して、入ったのは甘い物と軽い食事の出来る店。
「本当は気にいっていないけれど…」と、恩を着せながらテーブルに着く。

姉は焼きそば。私は担々麺を注文する。
食べてみて驚いた。
真っ赤な汁が土鍋一杯にグツグツと煮えている。
姉の焼きそばも具が見えず地味な盛り付け。

食べてみて驚いた。食べる程に、鍋の底から色々な具が出てくる。
姉も同じように具が沢山出てきて喜んでいた。

器を下げに来た店員に「クルミが入っていて、とても美味しかったわ」というと、彼女はニコニコ笑って、厨房へ入って行った。

二人共、思わぬ良い店を見つけたと満足した午後だった。

新しいレンジ

2016年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月30日(土)

書きたい事は沢山あったのに、パソコンを開く事のなかった日が続いた。
私の記憶は、最近、その場限りになる事が多い。

その上、他にやるべき事が次から次へと起こったのだ。
その中で、少しばかり大変だったのはガスレンジの故障。
結局、レンジがもう老朽化してしまったと気づく。
ガス会社へ電話をして見に来てもらった。
結局、新しいものと交換をする事にした。

そして、昨日の夕方、新しいガスレンジに交換された。
成る程、十年以上も経つと、機能からスタイルまで全てが変わる。
使用する者にとって便利で安心して使えるわけだが、案外、その扱い方に慣れるまでは大変だという事がわかってきた。

昨晩、寝床の側に説明書を置いて読んで見たが、だんだん面倒になって適当に飛ばしてしまった。
結局、今朝になって見ると、操作の第一歩から理解していない。
説明書は100頁近いもので、これは無理と言うもの。

偉そうな顔をして知ったかぶりをしていた私は、説明書を見ていない姉から教えられた。
兎に角、レンジ周りの諸々の設定から始めた今朝は、相当な疲労を感じる。

でも、新しいっていうのはいいものだ。
さあ!新しい機能を持ったレンジを使いこなすように頑張らなくては……

天皇皇后両陛下のご訪問

2016年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月28日(木)

フィリピンの話題が続出。
天皇.皇后両陛下がご訪問されたのだ。

昨年に続いて、太平洋戦争の激戦地をご訪問になられた。
お二人の御身体は如何かと、自分に合わせて考える。
特にフィリピンは常夏の国で、これからの季節は、益々、暑さが厳しくなる。

私はかつて三年間、マニラに住んでいた。
日本人学校の教師として文部省から派遣されたのだ。
まだ、この国は戒厳令の敷かれた時代で、夜間の外出などは難しい時代だった。
日本人社会の中での交流が多く、現地の人との触れ合いは僅かなものであった。

そうした中でも、戦時中のフィリピンの出来事の幾つかを聞き、実際に目にしている。

フィリピンは太平洋戦時中、最も厳しい状況下にあった事も聞いていた。
日米両軍の激しい戦いで、将兵の犠牲もおびただしいものであったが、戦場と化したフィリピン全土に住む住民にとっては、実に悲惨なものであった。

この国には古くから日本人も多く住んでいた。
その多くの人達が、敵軍に追われて北へ北へとルソン島の北部へ避難しようとした。
そして、多数の犠牲者を出した。
他の島を合わせて、その数、五十万人を超えていると聞いている。

しかし、戦後の実際のフィリピンの生活の中で、あの過酷だった戦時下の現地の人達や在留日本人達が、どれ程、過酷な状況に追いやられていたかは、十分に知らされていなかった。
若しかすると、知ろうとしなかったのは、フレンドリーなフィリピンの人達の言動の裏にあるものに気がつこうとしなかったのかも知れない。

しかし、たまたま、疑問に思うような事実を目にしたり耳にした時、私はよく質問する事があった。
それは、立場や場所こそ違え、戦争の厳しさを身に染みるほど感じてきたからだ。

ある時、腕がない中年の女性を見かけた。
友達に聞くと「あの人は、子供の時、日本の憲兵に一家が斬り殺された。彼女は腕を切り落とされたけれど、命拾いをした」と聞かされた。
すごいショックを受けた私は、初めて、太平洋戦争の為に、この国の人達が受けた言いようのない痛ましい過去を、目の前で知る事になったのである。

また、ある時は学校のスクールバスの運転手さんの叔父さんが、戦時中、日本軍によって殺されたと聞いた。
日頃の彼の温厚な人柄から見て信頼出来る、実に良い人だった。しかし、本当は日本人に対してどんな感情を抱いているかを推し量りたくなったものだ。

何と言っても、忘れられないのは、マニラに住んでいる人が書いた手記である。
その本の事を聞いた私は、知人に借りて読み始めた。
あまりにも過酷な逃亡生活。
日本軍だけでなく、在住日本人がルソン島ではマニラから北へ北へと山中をさまよい歩いたと言う。
密林の中では、道中、米軍の過酷な襲撃に身を隠す事さえ出来ずに多くの人が死んでいった話だった。
また、食料も水もなく、草や虫、生き物まで食べようとするが、火を焚くと、すぐに襲撃されて、多くの犠牲者が出たと言う。

夜通しかけて、この本を読み終わった私の目は真っ赤に充血した。
その目で勤務に出かけた事を未だに思い出す。

我々日本人が『御国の為に』と言う言葉に、どれ程、苦しさを耐え忍んできただろうか?
しかし、このフィリピンの地では一般市民の日本人が死んでいった事実を知って、大変なショックを受けた。
そして、友好的なフィリピンの人達が、なんの罪も無いのに受けてきた犠牲を深く考えなければならないと思う。
特に
日本人学校へ派遣された者は、その国の事情を歴史の上でも熟知する事の大切さをしみじみと思う。

両陛下が自国の国民の追悼だけでなく、戦争に巻き込まれた罪の無いフィリピンの人達の事を深く考えられて、このご訪問をされた事を嬉しく思い、また暑い国の気候は御身体は如何かと思いながら、テレビの映像を拝見させていただいた。