桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

新しいレンジ

2016年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月30日(土)

書きたい事は沢山あったのに、パソコンを開く事のなかった日が続いた。
私の記憶は、最近、その場限りになる事が多い。

その上、他にやるべき事が次から次へと起こったのだ。
その中で、少しばかり大変だったのはガスレンジの故障。
結局、レンジがもう老朽化してしまったと気づく。
ガス会社へ電話をして見に来てもらった。
結局、新しいものと交換をする事にした。

そして、昨日の夕方、新しいガスレンジに交換された。
成る程、十年以上も経つと、機能からスタイルまで全てが変わる。
使用する者にとって便利で安心して使えるわけだが、案外、その扱い方に慣れるまでは大変だという事がわかってきた。

昨晩、寝床の側に説明書を置いて読んで見たが、だんだん面倒になって適当に飛ばしてしまった。
結局、今朝になって見ると、操作の第一歩から理解していない。
説明書は100頁近いもので、これは無理と言うもの。

偉そうな顔をして知ったかぶりをしていた私は、説明書を見ていない姉から教えられた。
兎に角、レンジ周りの諸々の設定から始めた今朝は、相当な疲労を感じる。

でも、新しいっていうのはいいものだ。
さあ!新しい機能を持ったレンジを使いこなすように頑張らなくては……

天皇皇后両陛下のご訪問

2016年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月28日(木)

フィリピンの話題が続出。
天皇.皇后両陛下がご訪問されたのだ。

昨年に続いて、太平洋戦争の激戦地をご訪問になられた。
お二人の御身体は如何かと、自分に合わせて考える。
特にフィリピンは常夏の国で、これからの季節は、益々、暑さが厳しくなる。

私はかつて三年間、マニラに住んでいた。
日本人学校の教師として文部省から派遣されたのだ。
まだ、この国は戒厳令の敷かれた時代で、夜間の外出などは難しい時代だった。
日本人社会の中での交流が多く、現地の人との触れ合いは僅かなものであった。

そうした中でも、戦時中のフィリピンの出来事の幾つかを聞き、実際に目にしている。

フィリピンは太平洋戦時中、最も厳しい状況下にあった事も聞いていた。
日米両軍の激しい戦いで、将兵の犠牲もおびただしいものであったが、戦場と化したフィリピン全土に住む住民にとっては、実に悲惨なものであった。

この国には古くから日本人も多く住んでいた。
その多くの人達が、敵軍に追われて北へ北へとルソン島の北部へ避難しようとした。
そして、多数の犠牲者を出した。
他の島を合わせて、その数、五十万人を超えていると聞いている。

しかし、戦後の実際のフィリピンの生活の中で、あの過酷だった戦時下の現地の人達や在留日本人達が、どれ程、過酷な状況に追いやられていたかは、十分に知らされていなかった。
若しかすると、知ろうとしなかったのは、フレンドリーなフィリピンの人達の言動の裏にあるものに気がつこうとしなかったのかも知れない。

しかし、たまたま、疑問に思うような事実を目にしたり耳にした時、私はよく質問する事があった。
それは、立場や場所こそ違え、戦争の厳しさを身に染みるほど感じてきたからだ。

ある時、腕がない中年の女性を見かけた。
友達に聞くと「あの人は、子供の時、日本の憲兵に一家が斬り殺された。彼女は腕を切り落とされたけれど、命拾いをした」と聞かされた。
すごいショックを受けた私は、初めて、太平洋戦争の為に、この国の人達が受けた言いようのない痛ましい過去を、目の前で知る事になったのである。

また、ある時は学校のスクールバスの運転手さんの叔父さんが、戦時中、日本軍によって殺されたと聞いた。
日頃の彼の温厚な人柄から見て信頼出来る、実に良い人だった。しかし、本当は日本人に対してどんな感情を抱いているかを推し量りたくなったものだ。

何と言っても、忘れられないのは、マニラに住んでいる人が書いた手記である。
その本の事を聞いた私は、知人に借りて読み始めた。
あまりにも過酷な逃亡生活。
日本軍だけでなく、在住日本人がルソン島ではマニラから北へ北へと山中をさまよい歩いたと言う。
密林の中では、道中、米軍の過酷な襲撃に身を隠す事さえ出来ずに多くの人が死んでいった話だった。
また、食料も水もなく、草や虫、生き物まで食べようとするが、火を焚くと、すぐに襲撃されて、多くの犠牲者が出たと言う。

夜通しかけて、この本を読み終わった私の目は真っ赤に充血した。
その目で勤務に出かけた事を未だに思い出す。

我々日本人が『御国の為に』と言う言葉に、どれ程、苦しさを耐え忍んできただろうか?
しかし、このフィリピンの地では一般市民の日本人が死んでいった事実を知って、大変なショックを受けた。
そして、友好的なフィリピンの人達が、なんの罪も無いのに受けてきた犠牲を深く考えなければならないと思う。
特に
日本人学校へ派遣された者は、その国の事情を歴史の上でも熟知する事の大切さをしみじみと思う。

両陛下が自国の国民の追悼だけでなく、戦争に巻き込まれた罪の無いフィリピンの人達の事を深く考えられて、このご訪問をされた事を嬉しく思い、また暑い国の気候は御身体は如何かと思いながら、テレビの映像を拝見させていただいた。