たかのマッタリブログ

セレッソ大阪と温泉、お城のブログです

勝瑞城館

2013-11-04 20:25:30 | 中国・四国の城
徳島県勝瑞城から向かったのは南西部にあるという勝瑞城館。

全く期待していなかった。
館跡碑がポツンとあるだけかな?と、思っていたのですが、
広い土地を発掘調査されており、現在も調査中。
立ち入り禁止ではないようなので発掘現場を散策。
いずれは、史跡公園みたいな感じに整備されるようです。

 主殿跡?の発掘現場

 一部再現されている溝跡と建物跡

 こんな感じに整備されるようです

勝瑞城館を見終えて、時間があったので少し離れた住吉城を探したのですが、見つけられず。
危うく電車の時間に間に合わなくなるところでした。

勝瑞城

2013-11-03 19:02:30 | 中国・四国の城
徳島県一宮城から向かったのは同じく徳島県の勝瑞城。
勝瑞城は戦国時代近畿まで名を轟かせた三好氏の居城です。

今は堀と少しの土塁が残るだけですが、
平城で堀が残っているだけでも凄い。
やはりというかそれ以外は全く残っておらず、
少し南の勝瑞城館跡を探しに勝瑞城を後にしました。

 勝瑞城に入るところに建つ城跡碑

 残されている堀

一宮城

2013-11-02 19:42:09 | 中国・四国の城
天気も良いので気になっていた徳島県の一宮城へ行ってきました。
大阪から高速バスで2時間45分で徳島へ。
そこから路線バスで30分ほど。
四国八十八カ所巡りの一つ大日寺の近く
一宮神社の横から登山道が伸びています。

登山道は階段が付けられてあり登ること30分ほどで本丸。
途中、倉庫跡や戝蔵丸、明神丸を見ながら上がっていきます。
そして、帯曲輪の先の本丸には石垣が見えてきます。
徳島特有の石なんでしょうか?粗い感じの石が積まれていました。
粗い石を使ってるからか?石垣の角度が急勾配です。

石垣は、一部積みなおしされてる部分もありますが、
この石垣を見たら疲れも吹き飛びますネ。
本丸からの眺望を楽しみながら、しばし休憩。

せっかく来たんだから、さらに南の小倉丸や陰滝を見て下山。
ただ、椎丸へはやぶが立て込んでたんで断念。

さすがに徳島有数のお城だけあって石垣は見事です。

 戝蔵丸と明神丸を遮断する堀切。

 見事な本丸の石垣。東虎口部分。

 違う角度から見た本丸の石垣。

備中高松城

2013-08-27 21:12:05 | 中国・四国の城
足守陣屋から向かったのは同じく岡山県の「備中高松城」。

あの有名な豊臣秀吉が水攻めで攻めてる最中に本能寺の変が起こり、
主君織田信長が殺害され、それを知った秀吉はあわてて和議を結び、
城主清水宗治の自害で備中高松城を開城させ、
中国大返し、天王山の戦いへと向かう舞台となったお城です。

備中高松城は驚くほどのペタンとした平場。
回りが沼だったのでペタンとした沼城です。

お城の跡は結構広い公園になっていて本丸、二の丸、三の丸の一部が
だだっ広く広がっていました。

そして、備中高松城といえば豊臣秀吉が水攻めをする際築かせた築堤。
少し離れたところに蛙ヶ鼻築堤跡として残っています。
この築堤。
高さ8m、上部の幅12m、底部の幅24m、長さ約3Kmもあり、
これを12日で作ったというんだから驚きです。

太閤さんの土木技術に脱帽です。

 ペタンとした公園になってる備中高松城(本丸部分)

 驚くほど巨大だった蛙ヶ鼻築堤跡

 偶然見つけた築堤跡(足守駅のそば)

足守陣屋

2013-08-26 20:52:04 | 中国・四国の城
岡山県北区足守にある「足守陣屋」に行ってきました。
足守陣屋は北政所(ねね)の兄 木下家定が足守を治めたことに始まる。

現在の足守は陣屋町の面影を残しています。
小さな町ですが古い街並みを歩くと情緒があります。

そのなかで足守陣屋なのですが、
陣屋の跡は芝生が植えられた広場になっており、
周囲に少し石垣?堀?が残されているだけでした。

足守は岡山の穴場的な観光スポットでした。

 足守陣屋跡碑

 陣屋周囲に残る?石垣と堀

 旧足守藩侍屋敷(無料でした)

 木下権之助屋敷表門

 陣屋町の面影残す足守の街並み