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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

中富良野町 郷土館 ランドーの冒険記33

2022年10月29日 | 北海道シリーズ


富良野2日目の朝を迎えました。昨夜の酒場「スエコの店」で「明日の朝に食べなさい」
と頂いた炊き込みご飯と漬物を食べました。次回は土産を持っていかないとw


昨日と同じ時刻の列車に乗って、今日は中富良野に向かいます。


またもや降りるのは俺ひとり。でも観光スポットには車で来た人がいるんだよなー。
これだから電車もバスも、公共交通機関は廃れるんだよ。。。


郷土館にやってきました。何やら子供たちの集う施設でしたが、それに付属していて、
「おっ見学客だ」という感じでした。


まずはアイヌ関係の展示。


むかしの絵画だとアイヌがひどくデフォルメされてたりしますが、これはそうでもない。


松浦武四郎の紹介。「アイヌを虐待するな」と幕府に粘り強く訴えましたが結局聞き入れ
られず、最後には涙を吞んで手を引いたということはもちろん書かれていません。
まあどこでもそうですが。


武四郎はアイヌを差別せず、協力を得て北海道の探検を徹底的にやりました。
「ロシアが来てるから、アイヌを虐待せずにむしろきちんと管理・対応して蝦夷地を
日本の領土にせよ」と訴えたのですが、まあ幕府はコストがかかるのを嫌がって
そういう意見をないがしろにしたのです。これはその後の琉球、台湾、朝鮮半島に
対する日本政府の姿勢と全く同じです。そりゃまあ予算の問題ですからね。。。


こういう機械化が進んで北海道は急速に開発されたのです。原住民のアイヌにとっては
悪夢でしょうが。。。


「ナショナル」ってロゴが郷愁を誘うような時代になりましたねー。しばらく前までは
世界中にHITACHIやPANASONICなんてのがあふれていましたが、そういうのってみんな
一世代で入れ替わっていくのかしら。するといずれAmazonやGoogleなんてのも
「懐かしい過去」になるのでしょうね。


いいねえ。おかあちゃんを思い出します。


出た、俺の好きな昔の写真シリーズ。


お~、昭和33年に小学校入学なら、この人たちはいま70歳くらいで生きてるよねえ。


こういうのを見てると、なぜかひとりひとりをじっくり見てしまいます^^;


お~~~、いい写真だよねー。いいなあ。


「昭和40年頃の富良野」で、「農業」やら「教育」やらだったか、全種類観る♪


こういうのが見られると「旅してきてよかったな」としみじみ思ったり。


ランドーの冒険記33 稚内に到着

いよいよ蝦夷地の北端、稚内の岬を回った。宗谷岬付近は海の難所である。進んで
いくとあちこちに難破した船の残骸を目撃する。そしてまた帆船が座礁しているのを
見つけた。4つ目だ。その船にはトルコの名前が印されていた。どうして宗谷岬に
トルコ船がいるのだろう?何か月も後に横浜に戻ったとき、その残った水夫たちの
憐れな話を聞いた。その船の任務は謎だった。何が目的で、どこに行くつもりだった
のだろう?シナ海で台風にあって、ここまで流されて来たのか?それとも誤ってこんな
ところまで来てしまったのか?4人だけが生き残り、この荒れ果てた地に放り出された。
服も食べ物も金もなく。いくらかの原住民が親切にしてやったらしい。あとで話を
聞いたら、何も言葉がわからず、彼らはただ”Sekhara”と言ってたらしい。セクハラ?
どうやらトルコ語で「煙草」という意味だったと思われる。稚内から何か月もかかって、
飢えて疲れ切って函館に到着したが、パスポートはないし、言葉も通じず、囚われの
身となって横浜に連れていかれたそうだ。