さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

根室から落石へ ランドーの冒険記12

2022年10月08日 | 北海道シリーズ


根室から落石(おちいし)へ向かいます。最初は根室に3泊しようと思ったのですが
3日目はすべての宿が満室!あとでわかったのですが、300人も参加する労働者組合の
会合があったそうだ。というわけで、根室から電車で20分程離れた落石の民宿を予約
したのです。


このあたりは霧が多く、晴れた日が続いていましたがようやく見ました。


落石で電車を降りたのは俺ひとりでした。釧路の酒場で「落石に泊る」と言ったら、
「ははは、何もないよ。ほたるの不倫したところだ」と言われた。「北の国から」の
ロケ地になったのですな。


「らくせき」って読みたくなりますよね。「昆布森」はベタですが、「べっとが」は
「別当賀」と書きます。アイヌ語での「ペトゥッカ(pet-utka)」(川の・浅瀬の上を
水がうねり流れる所)に由来するそうです。


ここで昼飯を食べます。


どうやら落石の駅前には何もないと知っていたので、根室駅で売られていた弁当を
買っておいたのです。電車は少ないし昼前の出発なので、弁当売りのテーブルが
出たのです。しかし机に置かれたのは一個。それを買ったら、作り立てで熱い。
他の人が行くと、係の女性は携帯電話で駅舎の横にある食堂に電話し、それから
作られて持ってくるシステムでした。


あったかくてうまかった♪


おしぼりの裏に山椒がくっついているのを食べ終わってから発見。俺これ大好き
なのにー((+_+)) 山椒だけなめないしなー。。。


これが落石の駅舎です。ペンションみたいw


予約した民宿までは、歩いて30分はかかります。のんびり行きましょう。。。


イイ感じの家もあるぞ。


ここは港。霧が左の海から流れ込んできました。押し寄せるように進みます。


港の奥の陸地に到達すると、霧は丘を乗り越えて行きました。


ランドーの冒険記12 アイヌの地にいたサムライと遭遇

ランドーは食料を持たずに旅をして、アイヌの部落を見つけては食料を調達していた。
そして泊めてもらったり食べ物をもらったり、スケッチをさせてもらったりしてはコインを
渡してお礼をしていた。苦労したのは宿泊したところには寝具はなく、いつも硬い板の上で
寝るしかなかったこと、蚊や虻、蜘蛛の巣などに悩まされたこと、食べ物が腐っていたり
して食べられないこともあったこと、そしていつもアイヌの住まいはひどい悪臭に満ちて
いたことだった。また泊めてもらった所の住民に持ち合わせている金を盗まれそうになった
こともあった。

そんな危険な旅を続けながら、ランドーはObishiro(帯広)にやってきた。そこには7軒の
家があった。驚いたことに、そこには日本の上流階級に属するような振る舞いをする老人と
若い男、そして素敵な女性がいたのだ。彼らも驚いたようだった。というのも、彼らに
とってもこの地に来てから礼儀正しく文明化した人間を見るのが初めてだったからだ。
彼らの住まいは立派ではなかったが、内部はとてもきれいで、まるで天国に来たような
気がした。予想もしなかったこの邂逅の驚きが過ぎてから、今まで忘れていた文明の存在を
かみしめるのだった。

この人たちはロマンチックな歴史を持っていた。若いほうのワタナベマサル(渡辺勝)は
教養を持った、生い立ちもジャパニーズ・ジェントルマンだった。ただ不運だったのだ。
冒険心に富み、賢く繊細で生まれ故郷の因習にうんざりし、8年か10年前に北海道に移植
することにし、ここで植民生活を送っているのだった。彼の愛した女性は彼と同じように
勇敢で志操堅固な人だった。彼女は父と一緒に日本から船に乗ってやってきたのだった。

彼らは長く危険な船旅を経て十勝川の河口に到着し、アイヌのカヌーに乗って川を遡り、
帯広に落ち着いたのだった。そこは文明からかけ離れた蝦夷のほぼ中央だった。最初は
そこの原住民と多くのトラブルがあったが、いまは皆に愛されている。そこで二人の可愛い
子供たちと一緒に、彼らは醜い争いに狂う人々や世間の喧騒からはるか離れ、卑俗な社会
から自由になり、理想の生活を送っているのだった。

これが「晩成社」を立ち上げた名古屋出身の武士、渡辺勝と、彼と結婚した上田の武士の
娘、カネさん、それとその父でした。彼らは明治になってから、つまり武士という職業を

失ってから東京に出てきて英語を学び、その後北海道に渡って開拓の道を選んだのでした。
というわけで気品と威厳があり、教養をそなえた人たちだったのです。英語が通じて
ランドーはさぞたまげたでしょうねェ。