さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

帯広百年記念館:晩成社展 ランドーの冒険記20

2022年10月16日 | 北海道シリーズ


帯広百年記念館にやってきました。


晩成社関係の展示をもう一度見たかったのですが、ちょうど「晩成社展」をやっている
というタイミングの良さ!
「ランドーの冒険記12 アイヌの地にいたサムライと遭遇」で書きましたが、晩成社は
北海道開拓に挑戦した元サムライたちが立ち上げた会社で、その中心人物のひとり
渡辺勝に、ランドーは帯広で偶然出会ったのです。ランドーはアイヌの国で「文明人に
出会った」と驚いていましたが、英語が通じたことにも驚いたことでしょう。


まず最初に依田勉三さんが出てきます。こいつがリーダーですからね。


ベンゾーさんは、17冊の詳しい日記を残しました。どんな生涯を送ったのか、どんな
苦労をしたのか、読んだら楽しそうだぞ。


ベンゾウさんは伊豆・松崎の出身です。慶応に進学したのちに英学塾に通ったとか。
当時最先端の教育を受けたのです。


実家は裕福な実業家で、兄ちゃんは第一回の衆議院議員。そのバックグラウンドの
援助を得て、北海道開拓に乗り出したと。野心に燃えていたのでしょう~。


しかし過酷で困難なプロジェクトですよ。。。


勉三さんはリーダーだから、いつも真ん中ですね。


牧畜を初めて牛肉やバターの生産、そして水田も作ったと。


陸路で函館まで牛を連れて行ったと。ちと無理があるよなあー。


背中に「牛肉」と書かれている奴が勉三さんなのかは謎だそうですw


バターを作ったのはいいけれど、製造・輸送・販売を全部やるのは至難の業だったとか。


当時のチラシや領収書なんかが残っています。


マルセイは、いまでもお菓子なんかで見ますよねェ。一旦は会社を解散して、復刻
されたそうです。


ベンゾーが亡くなったときのお知らせの葉書なんかも残っているとー。


ランドーの冒険記20 根室の宿屋への訪問者

ランドーが根室の宿屋にいたら、4人の男たちが訪ねてきた。最初に彼らは握手を
求めてきた。それは日本ではまずありえない振る舞いだ。

名刺には「加藤 根室新聞」と書いてあった。

おやまあ」私は日本語で話した。「根室には新聞があるのですか

はい」彼の仲間の一人、湯浅氏が自分の名刺を出して英語で答えた。

ではあなたは英語を話すのですね、湯浅さん?

はい

あなたがたに何か飲むものか食べるものを提供させて頂けますか

はい

何がいいですか?

はい

酒はいかがでしょう

いえいえ、私はあなたと話しにきたのです

ありがとう

いいえ、私は根室新聞で、あなたの命を奪いにきたのです。どうぞどこ来た
話して下さい。何歳?どこ行く?」(I come to take your life in Nemuro newspaper.
Please speak where come? How old? Where go?)

お互いに片言の言葉で微妙にとんちんかんな会話が始まりましたが、いきなり英語で
「あなたの命を奪いにきた」と聞いて、ランドーはショックを受けたのでした。