夏の残り香をこそっとまいていた9月が行って、秋10月。東京郊外、西多摩の朝は寒いくらいだった。前夜は気持ちが寒かった。というのは水墨画合同展覧会用の作品、3点出さないと許さないという師匠がこわいので、フィットネスにも行かずに最後の1点を描いていた。
だらだらと昼飯を食べてから和室にテーブルを出して、心落ち着けて絵筆に集中して…とおよそ3時間。ちょっと休憩してまた数時間。さらに休憩して夕飯をいただきそれから数時間。あらかじめ用意しておいた画仙紙はすべて使い切り、あわてて予備のストックから切り出してまた数時間…。
どんな大作かというと、花の開いた鉄砲百合ひとつと、つぼみがふたつ。茎1本に葉が数枚。これをA4版程度の紙に描いたのだけれど、思ったように仕上がらず、ええい矢でも鉄砲でも、あ、だから鉄砲百合だってば、とひとりでノリ、ツッコミの始末。深夜1時頃、中で一番ましなものを裏打ちして完了、という始末。
すでに仕上がっている2枚は、筆に墨で描いているから水墨画には違いないのだけれど、ここをもうちょっと、そこを濃い目になどと描いているうちに真っ黒になってしまった。風流も風雅もわさびのかけらもない「絵画」なのだ。それでもスケッチから含めると仕上げるまでにそこそこの時間はかかっている。
でも時間かければいいというものではない。過程より結果だ、というビジネスの掟がそのままはまるものでもないが、ともかく水墨画、っぽくない。ぽくなくても素敵な水墨画は多いが、それは別の話。だから、余白を活かした、筆がこう、すすっと流れるような清涼感のある1枚を描きたかった。鉄砲百合。カサブランカ種ほど優雅ではないけれど、きりっと伸びた姿態がさわやかじゃないですか、と思っていたのだ。スケッチはささっと描けたのに、それがこーんなに困難だとは思いもしなかった。
いや、これが師匠だったら本当にすすっとものの10分もかからずに描ききるのだろうと思う。ということは、ぎ、技量不足明らかなり之助。でもね、と常にものごとの明るい反面しか見ないほうの自分が言う。これくらい集中して連続して描いたことはなくて、その結果、だめだってことがわかったのだから、それはそれで得るものはあったってことだ。
寒い朝。2階の仕事部屋にあがり、ろくに見もせずに表面が乾いた「鉄砲百合」の上に大き目の辞書を5、6冊乗せた。重石代わりだ。これで1日おくとしわがのびるはず。あとは額に入れて落款押せば、形の上では一丁あがり。そして明朝は搬入。よし、来年に期待♪
何十枚もの失敗作を記念に撮影しておこうかと思ったが、実は金曜日、昼飯を食べたそば屋にデジカメを置いてきてしまい、週末は何の写真も撮れなかった。今朝は久しぶりにご飯をたらふく食べたから、昼は軽くすまそうと思っていたのだが、仕方ないのでくだんのそば屋で「親子丼たぬきセット」を食べた。食べ終わってからカメラを渡してもらったから、写真は完食後の光景…。
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