サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

磁場反転とクンダリーニについての一考察②

2015-05-14 00:00:46 | 日記
http://bccks.jp/bcck/121362/info
Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
http://bccks.jp/store/114521

ポニョ:磁場反転による二酸化炭素濃度の増大が脳(中枢神経)を活性化する事と、クンダリーニの力を覚醒さすことを結びつけるって面白いよな。以前、クンダリーニについての記事にしたよな。

以下、過去記事の一部を再掲載します。

脊髄と霊に話に戻るけど、クンダリーニヨガという背骨に六つある生命を維持するシャド・チャクラつまりエネルギーの溜まり場を下の方のチャクラから背骨に沿って登って行く霊的な修行があるんやけど、背骨の間をくるくる螺旋状に登って行くもんやから蛇がそのヨガの象徴として描かれてるんや。

このヨガは、必ずヨガのマスターについてしないと呼吸を制御してするので、酸素不足になって脳や肺にダメージを受ける。経験不足のマスターに付くと間違った事を教えるので危ない。
それで、細かいことは飛ばすけど、背骨の一番下にある生命を維持するムーラーダーラー・チャクラにあるクンダリーニーシャクティという力を、呼吸法によって酸素の供給を制限して呼び起こすんや。
つまり、ゆっくりと規則正しく一定のリズムで呼吸を繰り返す事によって酸素が不足気味になってクンダリーニの霊的力を呼び起こすんや。
これは、とても危険なヨガで体にダメージを与えやすいんや。

これは、酸素が少ない高地でトレーニングしている人や、エベレストの登山をしている人が酸素不足になった時に、神を体験したとか、至高体験をしたという話を聞くけど、そのことを呼吸法によって人為的に実現することなんや。
素人はやったら危ないのでこれ以上は言わない。それにこれは、瞑想でもなんでもない。上手くやってたら寿命が伸びたりいろんな効用はあるけど、でも寿命を伸ばさんでも、今ある寿命をどのように愛で満たすかの方が大事や。
それで、このクンダリーニシャクティがさっきも言ったように、蛇のようにクルクルと背骨にある六つのチャクラを通って、頭の大泉門にあるサハスラーラチャクラに到着するんや。
そこには、神聖な光がありその周りを千枚の花弁が取り巻いているんや。それがはまるで、ハスの花のように見えるんや。

それで、人がいろんな欲望や怒りなどを持ったままそのヨガのレベルに到着すると、それらの花びらが真ん中の光に集まって来る。でも、人が神聖な気持ちで修行してこのヨガのレベルにまで来ると逆に神聖な光が大きくなって周りの花びらを包み込んで行くんや。
どちらのケースも一見、ヨガの霊的なパワーを手に入れることが出来たみたいやけど、一方は花びらに神聖な光がくっつくので、ヨガのパワーを得ることが出来るけど、神聖な光がくっついているだけで光そのものにはなれない。もう一方は、神聖な光が拡がって花びらを包み込み、光と花びらが一体となって、花びらが光そのものになることが出来るんや。

前者は、いろんな悪魔の儀式などを通じて、イルちゃんが得ようとしてるパワーなんや。
でも、イルちゃんでそこまで行ってる人はいない。やり方が間違っているし、このクンダリーニヨガはこの世界を神様がお遊びで創造されたと認識しているものでないと出来ないヨガなんや。
イルちゃんのようにこの世に囚われているものは絶対に無理や。
逆に、ヒラニヤカシプのような神に近い人やけど欲望をコントロール出来ないような者は苦行をしてこのヨガのパワーを手に入れることが出来るが、それを間違った目的に使うと神さんに正されることになる。
以上過去記事からでした。

蓮華座を組んで座り、ムーラーダーラー・チャクラにあるクンダリーニーシャクティを呼び覚まし、それを大泉門にあるサハスラーラーチャクラに導こうとすることは、真の瞑想ではありません。真の瞑想とは、あらゆる場所{や人}の中に神の存在を認め、その意識を、私たちの行う小さな一つ一つの仕事の中にまで、表現することです。

この、背骨の一番下にある生命を維持するムーラーダーラー・チャクラにあるクンダリーニーシャクティと言う霊力は、シャド・チャクラと呼ばれる生命を維持する六つのチャクラの中でも一番低いところにあり、生命を維持する根本的、根源的な力を持っているんや。

だから、地縛霊なんかや、亡くなってすぐの魂はこういうレベルの霊力を使っていわゆるポルターガイストと言われているような悪さをしたり、超能力と言われているスプーン曲げのようなことが出来るんですごく魅力的な霊力なんや。

ポニョ:あんたが言いたいことがだんだん読めて来たぜよ。つまり、クンダリーニシャクティと言う霊力は、人為的にヨガの呼吸法で呼び覚ますことが出来るけど、地磁気が反転して大量の酸素が大気から無くなり、二酸化炭素の割合が増えると、別にこういったヨガの修行をしなくても、大気の中の二酸化炭素の割合が多いので誰でも自然にクンダリーニシャクティを目覚めさせて、その霊力を使えるようになるんではないか、と言いたいねんやろ。

ヨシオ:その通りや。だから、ゴールデンエイジになれば、今ヨギや聖者が持っているような、テレパシー、千里眼やテレポーション、物質移動、リーディングなどが出来る人々が、普通にその辺りにゴロゴロ生活してる世界になるんではないかと言う仮説が成り立つんや。

ポニョ:ふーん。面白いな。誰でも、神が持っている霊的な能力を使える時代がやって来るんか。
ゴールデンエイジになったら神さんがそういうプレゼントを人類にくれはるんや。嬉しカルカルやな。
みんながお互いテレパシーで話し合えるようになったらええな。そうなったら携帯なんて要らなくなるんやろうな。
あれ?おたくまだ携帯を使ってられるんでっか?えらい古臭いもんをまだ持ってはるんですな。
ちょっと時代遅れやね。携帯を持ってるってケイタイやね。

ヨシオ:けったいやね、やろ。訛ってるで。

ポニョ:でも、これはあくまで磁場反転によって酸素が大気から無くなった場合やろ。まあ、仮定の話やから半分に聞いとこう。今から期待し過ぎたら良くないもんな。

ヨシオ:サイババさんは、私はいつでも人類の準備が整えば私の力を人類と分かち合う用意があります、と言ってられる。そういう神の力を多くの人が使える時代が近づいているんや。その時代になれば、サイババさんが空に現れたり、あちこちの場所で影分身の術で現れて人々にダルマ(正義)、信愛、真理、平安、非暴力の教えを広めて行かれるので世界中の人々が正されることになる。
でも今の世界にこういう霊力をプレゼントされても、邪悪な心を持ったグロエリのような悪魔が利用して悪いことに使ってしまうやろ。だから世界が正しい方向に向き、人々が愛で包まれ霊的に正しい生き方をした時に初めて、こういうプレゼントを人類にくれはるんやろな。

ポニョ:磁場反転による酸素の割合の減少がその為に必要ってわけやな。まあこれも話し半分やな。

ヨシオ:この世に起こる全ての出来事は神さんの掌の中で起こっていることなんや。俺たちが、これはいいニュースやとか悪いニュースやとか言って興奮して騒いでいるけれど、本当は一見悪いニュースに見えても、全ては良いニュースなんや。
俺たちは、神さんから見たら極度の近視眼を持って生活している人に見えるんや。
自分の目の前にあるものだけしか見えない。その後ろにある本当の理由も分からなければ、分かろうという努力もしないしそれだけの能力もない。
毎日、ただ世俗的なものを追い求め、毎日の事件やそれを報道するニュースなどを聞いて一喜一憂してる。
また自分が一番優れた者だと思い込んで他人を批判し、実はその他人も自分だったということに気がついてもいない。
何事をしても、自分がやった、これは自分の功績だ。自分のものだ。などと風船のようにエゴを限りなく膨らませて毎日を送っている。
これでは、いつまで経っても真の自分に近づくことも出来ないし、真の自分が一体誰か見極めることも出来ない。
何を見ても何をしても、心のキャンバスに自分というエゴや思いをしっかり刻み込んでしまうので、その心に刻まれた思いは来世にまで引きずって持っていく事になる。
そして、カルマの法則が支配する輪廻の大きな車が回り始め、人をいつまで経ってもその中に閉じ込めてしまうんや。
でも、この世にある全てのものは、実は愛、愛、愛だけしかないんや。人を平気で抹殺したり毒を入れて不妊にさせたりする悪魔のようなグロエリも、少なくとも自分自身のことを誰よりも愛しているやろ。
そういう意味で、人によって持っている愛は程度の違いはあっても、この世は愛で満たされているんや。

ポニョ:それも話し半分に聞いてたらちょうどええな。

ヨシオ:違うっちゅうに。さっきから、じゃかしーわい。

“如何なる人も、いつか必ず死にます。
その瞬間が苦悩に満ちたものであってはなりません。
優雅に微笑みを浮かべて軽く会釈をして世を去りましょう。
そうすることが出来る為には、大変な準備をしなくてはなりません。
長い一生の間蓄積してきたものを、後に残して死ぬのは大変なのです。
たった今から、一つまた一つと執着心を捨て、死ぬ日に備えて準備を始めましょう。
lあなたは夢の中で様々なものを手に入れます。
権力、金、地位、名声等を。夢を見ている間はそれ等は現実であり、あなたに満足と喜びを与えてくれました。
目が覚めて、それが実は夢だったとわかっても、あなたはそれらを失ったっことを、嘆きません。「なんだ、夢だったのか。」と一人つぶやくだけです。
人生を歩んでいる間に集めた物を、夢と同じように無造作に扱えないのは何故でしょうか。
無執着という性質を培えば、この夢の国という舞台に幕が降ろされる時、あなたは、微笑みを浮かべて去ることが出来るのです。



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