サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

聞こえない音って何かな?

2015-05-15 00:00:50 | 日記
ポニョ:おいらの性格は、何か一つの問題が持ち上がってくると。それだけに気が取られてしまい、何も他のことが出来なくなることなんやぜよ。

ヨシオ:別に悪い事や無いやないか。一つの事にポニョは集中出来るから、とてもええ事やと思うけど。

ポニョ:でもその反面、もっと大事なことや、やらなくてはいけない事が疎かになって、一日を無駄にしてしまうんやぜよ。

ヨシオ:それは、ちょっと良くないよな。ポニョは根が真面目やから、ちょっとしたことでも一生懸命になってしまうもんな。

ポニョ:自分で言うのも何やけれど、そういうふうに昔から言われたな。何でも真面目に取り組みすぎるって。

ヨシオ:結局、木を見て森を見ずって奴になってしまうんやな。時間を無駄にしてしまうんや。もっと、毎日の生活にけじめを付けたらええんと違うか。例えば、どんな問題を抱えていても、その問題は晩飯前の一時間だけ考える。とか、他の大事な用事を済ましてから、それに取り掛かるとか、俺の息子もポニョと同じで、学校の試験前になると、部屋に閉じこもって出て来ないんや。それで、勉強しているのかなと思って覗くと、友達とLINEをやっていたりFBを見て喜んだりして、結局何も勉強をやっていないんや。プロのバスケ選手やから、シューティングも毎日練習しなければいけないのに、それも出来ないから、結局どっちもダメになってしまうんや。

ポニョ:おいらと、性格がちょっと似ているぜよ。

皆さんは多くの問題に直面するかもしれません。
問題で頭がいっぱいになるのを許してはなりません。
日々の活動の時間割りを作りなさい。
夕刻の三十分か一時間を、自分の問題を熟考するために取っておきなさい。
そうすれば、問題の解決策を見出すことができるでしょう。
もし四六時中心配ばかりしていれば、あなたは時間を無駄にし、問題は解決できないでしょう。6/85

ヨシオ:俺の経験では、何か心配事があったり、大きな問題が起こった時には、クリシュナダスさんのようなナイスミュージックを聞くようにしているんや。すると、自分が別の次元に行ったような気になり、どんな事があっても、それは小さい問題やと思えるから不思議や。

ポニョ:ミュージックか。メディテーションミュージックとか、リラクシングミュージックとかが、ええかもしれんな。おいらも、トライしようかな。

ヨシオ:それに、バジャンや神様を讃える歌を歌うと、世界中を清めることが出来るんや。

ポニョ:大気の波動が細かくなるって言ってたよな。

インドでは音楽が心に有効に働くと信じられています。
それは、心の動揺と心配事という波立つ心を落ち着かせ、平常心を取り戻させます。
音楽は、情熱をおさえ、感情をおさえ、衝動を高貴な目的に導きます。
我々は、このような我々の文化の中の音楽が持っている偉大な役割を忘れてしまっています。SSSvol5p,257
メロディとリズムに注意して、至高の神の御名を歌うことには特別の功徳があります。
至高の神は音楽を愛します。
その上、その歌が熱心に歌われるなら、それは全ての悪い想念を心から追い払うことに役立ちます。
妙なる音楽は至高の神の心を動かし、聞き入る人々を感動させることが出来ます。
~清らかなハートで神の賛美の歌を歌うなら、あなたは環境を、国家を、世界を清めるでしょう。11/4/97
音楽を,神に帰融するパスポートとしなさい。音楽は神への捧げものです。23/11/96

ヨシオ:実は、今日まで嫁さんが、娘二人と、旅行に行ってたんや。嫁さんが誕生日プレゼントをもらったので、何かなと思って開けたら、娘二人と行き先不明のミステリアス旅行券やったんや。それで、あちこち回って今日帰って来たんや。

ポニョ:それは面白そうな誕生日プレゼントやったな。

ヨシオ:母の日と嫁さんの誕生日が近いので毎年、まとめて一度にお祝いしているから、今年は、少し、娘たちも豪華なプレゼントを用意したようや。俺の方は久々に家にゆっくりとして、一人で農場で仕事をしていたんやけれど、同居している息子は、夜勤が多い週だったので一日中顔を合わさないので誰とも話さないし、面白い事にどういう訳か、耳の感覚が研ぎ澄まされて来て、だんだんといろんな音が聞こえるようになって来たんや。

ポニョ:いろんな音って、どんな音が聞こえるんや。あんたの家はお化け屋敷みたいやったから、お化けがドロロ~ンと出てくる時の効果音が聞こえたりしたんやないやろな。

ヨシオ:いや、そんなんではなく、後ろを振り返ったりして頭を回したら、ポヨヨ~ンと耳の中にある三半規管が揺れる音が聞こえるんや。また、まぶたを閉じたり開けたりした時にシャカシャカという音とか、仕事をしている時に、鉄の細い棒を手で折ろうと曲げていたらギュユユンという音がして、折れた時にピシッという音がしたな。

ポニョ:あんたのところは本当に静かな所やったからな。でも、そんな小さな音がいつも聞こえるようになったらうるさいでヤンス。でもないか。

ヨシオ:昔、子供達が小さい頃、俺の農場に隣接している、自然保護地区の森の中によく連れて行ったんや。そして、森の真ん中まで歩くと、そこで目を閉じさせて、一体どんな音が聞こえるのか、一人ひとり言わせたんや。確か、前に記事にしたよな。この話は。

ポニョ:そうやったな。虫が這う音とか、風が木々の間を吹抜けて行く音とか、鳥が小枝にとまった音とか、子供ならではの、感受性が強い人しか聞こえないような音が聞こえるって言ってたよな。

ヨシオ:自然の中に一日中いると、本当にいろんな音が聞こえてくるんや。蟻が穴から砂粒を運び出す音とか、反対に蟻が獲物を運び込む音、シロアリが倒木の木の中をかじる音など、生命が音を出しながら、命を育んでいる。俺たちの周りには、そういう音がそこら中に満ち溢れているんや。普段、人工的な環境の中で生活していると、そういう音は全く聞こえないけどな。

音響のない瞬間はなく、どんな小さな出来事にも音響が伴います。
ただあなたの耳がそれらのかすかな音を捉える力を持たないのです。
まぶたを閉じるときや、花びらに露のしずくが落ちる時にも音がしているのです。
静寂を乱す、ごく微かな波立ちにも音が伴うのです。
宇宙創成の原初の動きによって自らを生じさせたマーヤーが、ブラフマンを覆った時にプラナヴァ(オウム)の音響が響きわたりました。
ガヤトリ マントラはプラナヴァを精緻にしたものであり、極めて神々しく価値あるものと崇められ、霊的生活の秘儀伝授にあたっては、先ずプラナヴァ瞑想から始めることになっています。SIP4-11

ポニョ:人の能力ってすごいよな。そう言えば、盲目の人の耳の感覚はとても発達していて、おいら達の会話を何倍も速くテープレコーダーで再生しても聞き取れるっていう記事を読んだことがあるぜよ。

ヨシオ:フーンそうなんや。実は、俺たちの周りは命を育んで生きている生き物たちが出す音で満ち溢れている。そして、その生き物たちは神様そのもので、一瞬一瞬が喜びに満ち溢れて生きているんや。でも、俺たち人間だけが、他の生き物達のように喜びに溢れて生きて行こうとせず、いつも、心配事や悩み事、問題にぶち当たって落ち込んだり、人を恨んだり、妬んだり、嫉妬したりして、せっかく神様が下さった大切な時間を無駄にしているんや。

ポニョ:このブログで何度も全てを神と見ましょう。ってことを記事にしたよな。困難や心配事、不幸な出来事やいろんな問題なども、神様が自分のカルマに応じて下さった贈り物だ、ということも言って来たよな。

神は、生物・無生物の別なく、万物の内に存在しています。
大宇宙から小宇宙に到るまで、神は全宇宙に満ち満ちています。
この宇宙は、神の姿です。朝から晩まで、私たちはこのような神の姿を体験していますが、この事実に気付くことができないでいます。
皆さんの眼で見ているもののすべてが神の姿なのです。
皆さんが聞くすべての音にも神が遍満しています。
皆さんの心にある思いさえも、神の姿です。
心から放射される至福もまた神なのです。
見えるもの、聞こえるもの、体験されるもの、喜ばれるもののすべてが神であるとき、それ以外の場所に神を探そうとするのは、何と愚かなことでしょう。
皆さんは、世界という姿の神をした神を、毎瞬毎瞬見ています。
皆さんは、神聖な感情が欠けているために、世界を神として見るのではなく、神を世界として見ているのです。
いったん皆さんが宇宙はヴィシュヌ神の姿であるということを理解しさえすれば、必ず世界を神として見ることができるようになります。
『感じる通りの結果が生まれる』のです。
神は、全宇宙に遍満しています。
神がある特定の場所にいて、他の所にはいないという感じ方をしてはなりません。
神はいたるところにいます。
あなたが神を見つけようと思えば、どこを探しても、そこに神がいます。
まず皆さんは世俗的な思いを手放して、自分の視点を神聖な感情で満たさなければなりません。そうして初めて、皆さんは、『全宇宙に神が遍満している』というヴェーダの教えを理解し、体験することができるのです。
神を特定の名前や姿に限定してはなりません。
神は、真我の原理として、すべての存在とすべての姿に内在しています。
実際皆さんは、神の力によって、見聞きし、話し、体験し、喜ぶことができるのです。
そうであれば、困難や、心配や、不幸もまた神であるのかという疑問が生じるかもしれません。実は本当にそうなのです!それらもまた神の姿なのです。 23/11/99

ヨシオ:とは言っても、自分のカルマがどれくらいあるか分からないので、そういう不幸や困難に出くわした時に、人は神様を恨んだり、信仰心を無くしたりするんや。以前、俺はジャイナ教徒のインド人の友達と論争になったんやけれど、家族や友人を空港で見送った時に、これが最後の別れになるかもしれないと腹をくくって覚悟をするって言ってたやろ。

ポニョ:ああ、覚えているぜよ。その友達は、見送った人が無事に旅を終えますように祈らないといけないのに、どうしてそんなネガティブな事を思うのかと言い返して来たんやったな。

ヨシオ:もちろん、俺はみんな無事に帰ってきて欲しいけれど、神様には、もし万が一何が起ころうとも、その時には俺の心がしっかりと強く、その試練に耐えれるようにお導き下さいと願うんや。決して、命を助けてくれとか、カルマを少なくしてくれって頼まないんや。

ポニョ:以前紹介した、ヴェンタカタギリの王様のところで仕えておられたブラミンの僧の方が、ババに寿命を延ばしてもらったけれど、次の生では逆にこの生で伸ばした年数だけ寿命を縮めるって言われたよな。

ヨシオ:悪いカルマを持っていたら、この生で良いカルマを作って帳消しにするって事は出来ないんや。カルマって算数のように足したり引いたりするものでは無いから。でも神の恩寵で、その人がカルマを払っていても、それを払っているって感じないようには、してくれるけれどな。でも、基本的には、俺たちはどんな不幸や災害などがやって来ても、それに耐えられるだけの強い心を下さいってお祈りするのが一番なんや。そうすると、自然にカルマの方から俺たちの前から消え去ってしまうんや。

ポニョ:どんな苦しい事や、不幸な事も平常心で受け入れる態度が取れたら、カルマって思わなくなるもんな。でも、それってすぐには出来ないぜよ。何があっても受け入れることが出来る、いつも冷静になれる為の修行。だから、冷静修行って言うんやろか?

ヨシオ:字が違いますよ。

カルマは過ぎ行く雲のようなものです。
カルマについて心配してはなりません。
避けられない雲もありますが、それらはやがて方向を変えて消え去ります。
カルマも同じです。
ただカルマに向かって叫んでも、カルマは消えません。
それらの雲を追い払うことができるのは、修行だけです。
要するに、カルマはカルマの結果から心を自由にするために為されなくてはならないのです。2/10/62

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2 コメント

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Unknown (みかん)
2015-05-18 10:21:13
すいません、「冷静修行」のところで思わず笑ってしまいました…いつも楽しみに読ませて頂いております。心から感謝いたします。
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霊性漫談です (ポニョ)
2015-05-18 10:53:19
みかんさん
ブログを楽しんでいただいてありがとう。自分たちも、いつも楽しんでおちょけながら続けています。人生はゲームなので、いつでもどんな状況でも、戦場で嬉しそうに横笛を吹いていたクリシュナのように楽しみながら、神様のところに行きたいですね。
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