サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

クンダリーニのパワーは熱いのだ

2019-04-04 04:00:45 | 日記

ポニョ:心がさまようのを防ぐのは難しいな。先日の記事でもババはハンカチを持っているより放す方が易しいと言われたけど、そんなに簡単な事やないよな。

ヨシオ:誰でも欲望はあるから、心がそっちの方に興味を持つのは当たり前や。目を閉じて瞑想していても美味しい料理の匂いがしてきたら、ポニョみたいに頭の中は食べることばかり思うようになる。この世界はとても魅力的に創られてあるから、人の興味を引くものがたくさんあるんや。それらに没頭して一生を終わってみると、何の事は無い、俺が追い求めていたのは蜃気楼やったと分かるんや。

ポニョ:そうやな。神さんがご自分の想像力を使って創られた世界がおいら達が住んでいるこの世界やもんな。もともと、想念だったのが物質化しただけの話なんや。

ヨシオ:ババは、この世界は全て変化する。地球も人の体も何もかも永遠のものなんて無いんや。インタビューでババは俺の息子の手を取ってご自分の前に立たせ、この子はまだ六才や。でも三十年も経つと一人前の男と呼ばれる。そして六十年経つと年寄りと呼ばれる。この子の身体はどんどん年と共に変化して行くが、この子の中のアートマンは変化しない。そのアートマンこそが実は本当のこの子なのだよ。と言われたんや。おかげで、うちの息子は三十を過ぎても結婚せず独身貴族で生活を楽しんでる。36歳で結婚しようかなとか言って。

ポニョ:この世界は全て変化して行くけどアートマンは変化しない。でもこの世界にある全てのものは実はアートマンそのものやろ。

ヨシオ:変化して移ろい移り行くものの中に、変化しないアートマンを見るのはとても難しい。そんな事が簡単に出来る人ってそこらにいないやろ。だから、永遠で目で見ることの出来ない、全てに偏在する神様を人の目に見えるように石や絵画などで自分の好みの神様を作り、それを拝めて徐々にその神様が全ての変化するものの中におられることを感じ、最後に全てが自分も含めて姿形を持たない神さんだと悟れば、今まで崇めてきた神さんの彫像や絵画などが要らなくなるんや。そういう段階になれば、自分が見る聞く感じる全てのものは神になって、瞑想さえする必要はなくなるんや。

ポニョ:その人が朝起きて寝るまで、見るもの聞くもの全てが神だと分かって生活していてば、その人が生きていること自体が瞑想していることになるんやな。

ヨシオ:俺に会いに、こんな田舎まで外国からもたくさんの人が来てくれた時があって、その時に色んな人がいろいろと聞いて来るんや。ある人はあなたはどのような瞑想をしていますか?という質問をして来た。俺は、神様を体験するのが瞑想やと思っている。と答えたんや。そのように答えた後、サイババさんが夢に出て来て、俺に瞑想って神を体験することやもんな。と言われて微笑まれたんや。

ポニョ:神を瞑想の時に体験するってどうやって出来るんや。

ヨシオ:これはあくまで二十年以上前に俺がやってた方法やけど、サイババさんの御姿をイメージして一緒に遊ぶんや。ババと手をつないで、いつもの散歩のコースを歩いたり、子供達と芝生の上に座ってピクニックランチを食べたり、一緒に歌を歌ったりするんや。だから、瞑想が楽しいしどれくらい時間が経っているのかも分からん。

ポニョ:でも、そんな事誰でもすぐに出来ないやろ。サイババさんと手をつないで散歩なんて。

ヨシオ:ババは、人はテレビや映画などを見るけど、それは甘い味が付いているナイフを舐めているようなもので、徐々に人の想像力を奪ってしまう。と言われている。俺はこういう事が誰でも出来るんやと思っていたので、来た人たちに俺の体験を話すとみんな驚くんや。その反応を見て俺はもっと驚いた。

ポニョ:元々誰にでもある能力なんかもしれないけど、だんだん失われて行くんやろな。

ヨシオ:俺から話を聞いた人は、これは前世からのもんやからあんただけがそんな事を出来る、と言うんやけど、でもその人たちは自分の家に帰って今までと同じように、テレビをつけて面白いドラマを見、コンピューターゲームをして自分の想像力を傷つけているんや。俺は、テレビを見ないしコンピューターゲームもしない。やはり、これは霊性修行やからババの言われたことを守って生きていかないかんと思う。自分を甘やかせて欲望や感覚の奴隷となって毎日の生活をしていても、きちんと瞑想が出来ないのは当たり前の話や。

どの家にもテレビがあります。
テレビは、金持ちの家には、各部屋に置かれています。
テレビが出現してから、人の心は汚染されました。
テレビの無かったころには心はそれほどは汚染されてはいませんでした。
暴力行為も、以前にはそれほど多くはありませんでした。
今日テレビはどの部屋にも置いてあります。
人々は食事を取りながらテレビを見ます。
その結果、テレビに映る下劣なことも(霊的身体にも取り入れて)消化します。
テレビに集中することは、見る者の世界観に影響を及ぼします。
テレビの見せる、感覚、思い、行為は見る人の心をいっぱいにします。
知らず知らずのうちに苛立ちと悪い思いが人々の心に入ります。
やがてそれらは心に根を張るでしょう。
それゆえ、食事をしながら恐ろしい事件を話題にすべきではありません。
心を興奮させる話題を食卓にのぼらしてはいけません。
食事をしている間は静粛にしなさい。
音響さえ心に侵入して影響を及ぼします。
食事の時はテレビを見てはいけません。
それは蜂蜜を塗った刃。
蜂蜜をなめるなら、刃は舌を切ります。
バラタのみではありません。
全世界がテレビの悪影響に犯されています。
世界には無秩序、不和、欲求不満が溢れています。
テレビを見ることを完全に止めなさい。
ことに食事中であれば尚のこと、仕事中であれば仕事に集中しなさい。15/1/1996

ポニョ:特に、肉食をしていたら、動物や魚の想念が入って来るから心のコントロールなんて難しいよな。そういう意味で、あんたの子供達が通ってたシュタイナースクールは菜食を勧めているし、テレビやコンピューターは御法度やし、想像力を養うのにはピッタリの学校やな。

ヨシオ:長男がシュタイナースクールの小学生やった頃に、ババが勧めておられる光明瞑想を教えようと思っていたら、僕はそんなことしなくても神様に集中出来るで。と言ったんや。それで、どんな方法で集中してるのか聞くと、自分が水の水滴の一滴になり、空から大きな波が立っていない静かな大海にポツンと落ちるんやて。そして、そのまま大海の一部となって静かにそしてゆっくりと大海に飲み込まれて行くんや。と言っていた。

ポニョ:小学生でそんな事が出来る子っていないんと違うか。面白い子やな。

ヨシオ:長男は以前も紹介したように卓球が好きで、卓球場へトレーニングに連れて行ったんや。その日は、元世界チャンピオンの中国人の人が練習をしてくれるって言われたので連れて行ったんや。そこの卓球場は卓球台と卓球台の間が天井から薄い布で仕切ってあって、ゆらゆらと揺れているんや。長男が元チャンピオンの人とたくさんのボールを使って練習をした後、散らばっているボールを拾い集めるんやけど、その時に仕切りのカーテンに体が触れてそのカーテンが大きく揺れたんや。その瞬間ボール拾いをしていた長男が凍ったように動かなくなって、そのゆらゆら揺れているカーテンを長い間見つめていたんや。
元世界チャンピオンの人も長男が動かなくなったので、不思議がって近づいて行って声をかけても返事をしないんや。俺はすぐに長男が瞑想モードに入ったって分かったから、チャンピオンだった人に少しそっとしておいて下さいと頼んだんや。
長男はしばらくして、何事も無かった様にボール拾いを始めてまた練習を始めたんや。俺は、その事について何も聞かなかったけれど、帰りの車の中で、お父さんカーテンが揺れているのを横から見たことがありますか?と聞いてきたんで、いや、正面からしか見たことがないな。と言うと長男は、今度機会があったら見て見たら面白いよ。とても綺麗やで。一つひとつのカーテンのひだが少し飛び出たり、たくさん飛び出てきたり、忙しくしてるんや。でもカーテンは一つやろ。でもひだはたくさんある。それぞれのひだの動きはバラバラでも、カーテン全体から見るととても調和が取れていて、踊っているみたいに見えるんや。また、あのカーテンを見て見たいな。と言ったんや。

ポニョ:子供の感性ってすごいよな。カーテンの動きだけでこの世界の創造の秘密を看破してるぜよ。一人ひとりは違っても本当はそれらはひとつであって、踊っているように美しいって。すごい話やな。

ヨシオ:俺も、子供がこんな事を言うとは思わなかったので、とても驚いたんや。その時、シュタイナースクールに入れて良かったって思ったな。

ポニョ:おいらも、今度から瞑想をやってみようかな。今まで何回もトライしたけどいつも途中で寝てしまうんや。ババが光明瞑想を勧めておられるって言ってたよな。それをしてみようかな。

瞑想中に眠気をもよおす原因は、食物の不消化であることが多いのです。
食べ過ぎ、過度の運動による疲労、睡眠不足などによっても眠気が生じます。
ですから普通は、瞑想の修行をする者は昼寝をすべきではないのですが、前の晩に眠りが足りない時は、昼寝を少し取るのも悪くありません。
本当に空腹を感じるまでは、食事を摂ってはいけません。
食事の量は控えめにしなさい。
腹が四分の三満たされたと感じたら、それ以上食べないように。
つまり、もう少し食べれると思っても、そこで止めるのです。
このようにすれば、胃袋を正しく振る舞うように教育することができるのです。
運動のし過ぎも好ましくありません。
歩くのも度を超えてはなりません。
眠気が覚めるまで歩くのは良いのですが、眠気を追い払ったあとに、瞑想に入ることは出来ないことも忘れてはなりません。JV


ヨシオ:ポニョは集中力が強いから瞑想をしても直ぐに深く入っていけるかもしれないな。

ポニョ:昔から集中し過ぎて、他に気が回らないな。と言って叱られたな。


眼を閉じると、心の目の前に小さい黒点が現れます。
その黒点が動かぬよう、心を12秒間その黒点に集中しなさい。
この方法により瞑想の力がつきます。29/6/89
集中の実践は瞑想への準備です。
瞑想の持続時間は集中の12倍です。
つまり12x12=144秒.即ち、2分と24秒です。
正しい瞑想は集中を正しく行うことが出来て初めて可能です。
12の瞑想は三昧の一つ分に相当します。
つまり144秒x12で28分と48秒です。
1時間よりもずっと短いのです。
もし三昧がこれよりも長くなったらそれは生命に危険を及ぼすかもしれません。
以上が、ヨーガ行者の実践する修行法です。
今私が述べた修行法は、これまでのどの経典にも記されていません。29/6/89


ヨシオ:実は瞑想というのは、八つの霊性修行のうち二番目に高い修行なんや。だから、先ずポニョのように集中力を高めなくてはいけないんや。ポニョはアシュタンガヨーガって聞いたことがあるやろ。

ポニョ:知ってるぜよ。もののけ姫に出てくる男の子やんか。

ヨシオ:それは、アシタカや。俺が言ってるのはアシュタンガや。

ポニョ:あんまり変われへんやんか。それで、その後アシュタカと、もののけ姫は上手く行ってるんか?

ヨシオ:知らんちゅうに。俺が言ってるのは、アシュタンガヨーガと言ってサマディに至るまでに昇って行かなければならない八つの段階の事なんや。

ポニョ:なんや。それやったらよく知ってるぜよ。きちんと座って、寝ないようにして、食べ過ぎないようにして、とかそんなんやろ。

ヨシオ:それとはちょっと違うんや。先ず、正しい生活を送ること、心を清め、清く正しい生活をすること。もちろん肉食をしたりするのは御法度なんや。そして、ポニョが言ったみたいに正しく座り、呼吸を整え、感覚をコントロールし、揺らぎない神への信仰心を持って、神様に集中出来ること等や。そして、次に来るのが瞑想で、それは第七番目の段階なんや。

ポニョ:それって、おいらが思っているより厳しい条件やな。特に感覚のコントロールなんて無理や。食事を抜いて断食なんて絶対出来ないし。心は綺麗けどな。

ヨシオ:自分で言うてどうするねん。でも、そういう条件をクリヤー出来た人だけが瞑想をする資格があるんや。それらの前提条件を飛び越えて瞑想を始めると、集中出来ないだけではなく、瞑想をしている間、いろんな世俗的な事や、欲望を頭に浮かべてしまうので、気が狂ってしまう人もいるのでとても危険なんや。特に、瞑想を人に教えるなんて、厳密に言えば無理なんや。だって、教える人は瞑想をしている人が、瞑想をしている間に何を頭の中で想像しているのか、分からないやろ。その人の霊的レベルによっても違うし。

ヨガを行うその人の感覚の力が未だ相当に強い場合、その人の感情と熱情をそのままにしてヨガをすれば、悲惨な結果を生むことになるでしょう。
その人は狂気に陥り、自分自身や他の人にばかげたことや下劣なことを言ったり書いたりします。
私は、このように道に迷った多くの修行者を知っています。
それゆえ感覚をコントロールし、あなたの中にある感情や熱情をコントロールし、心が外的なものを追いかけさせないようにさせ、寒さや暑さ、悲しみや喜び、得たり失ったりしても平常心でいられる力を得なさい。
経典に記されていることや、聖者たちの体験を信頼しなさい。
それゆえ何事にも動じない心、忍耐心が、(神と融合するという)大志を抱く者の必要条件だと強調されてきたのです。SSvol10p118


ポニョ:でも、さっきも言ったけど、ババは光明瞑想を勧めておられているよな。また、トライしてみようかな。

ヨシオ:ポニョの気がすむようにすればええやんか。例のサイの学生のマユールさんも、クンダリーニヨーガの本を読み、自分もクンダリーニのパワーが欲しくなって瞑想をすることにしたんや。それで、一人になる場所を探していたら、ちょうどサイカレッジの校舎の建設中だったので、半分完成しかけた工事中の校舎の誰もいない教室に入り、ババの光明瞑想を始めたんや。
一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして半年近く、毎日のように長い間、一日も欠かさず瞑想に励んだんや。するとある日、何時ものように光を身体中に回して、霊体を浄化し、その光を第三の眼のある眉間に持って来ると、その光が大きく輝き、自分がその光に飲み込まれるようなヴィジョンを見たんや。少し怖くなって来たので、目を開けようとしても、その光が強烈で身体中が焼けるのではないかと思うぐらい熱を感じて、目も開けられなかったんや。マユールさんは、これが僕が長い間瞑想をして追い求めていたクンダリーニのパワーか?と感激したんや。
そして、しばらくすると精神も落ち着いてきて、今日の瞑想は最高だった。ととても喜んで目を開けると、なんとロウソクの炎が風よけに使っていたダンボールの紙に燃え移って灰になっていたんや。ババは、このあとマユールさんを全校生徒の前で、君!「ヒビ割れた壺君」こっちに来なさいと言って呼ばれたんや。マユールさんはどうしてババが自分の事を「ヒビ割れた壺君」と350人もいる全学生の前で呼ばれたのか分からんかったんやけど、この後ババは、講話でアシュタンガヨーガについて話されたんや。

ポニョ:つまり、瞑想をする段階に達していない人が瞑想をしても、それはまるで「ヒビ割れた壺」と同じで瞑想で蓄えられた霊力が身体から漏れて行ってしまうって事なんや。やっぱり、おいらは瞑想やめた。アシュタンガヨーガを一つひとつクリヤーしてからや。


善い性質を培うためには、根気強い努力が必要です。
あなたはその過程で、幾つもの障害物を乗り越えなければなりません。
美徳を培うことによって初めて、あなたの心は浄化され、集中力を獲得することができて、神の黙想や瞑想に没頭できるようになるのです。
そのような善い性質が備わっていなければ、心は一時の間も静かにしていることができません。心に善い性質や善い想いが備わっていないのであれば、どうして心を瞑想だけに向けることができるでしょう? 
レンガや漆喰を準備しなければ、どうして家を建てることができるでしょう? 
ですからあなたが、瞑想に没頭したいと望むのであれば、まず初めに、善い性質と善い想いを身につけなければなりません。KSHより

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