サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

幸せになる秘密

2017-11-25 16:00:51 | 日記
人は太陽が昇ると喜び、太陽が沈むと幸せを感じます。
なぜなら、昼間は働くことができ、夜は休むことができるからです。
人は、太陽が日々昇っては沈むことによって自分が地上に存在する時間を短くしていることに気づいていません。
地上は、自分が所有していると主張するものをすべて置き去りにして発たなければならない大きな宿泊所であるということを、人は自覚していないのです。21/11/85

ポニョ:人がどのくらい生きるのか、いつ死ぬかはもうその人が生まれる前から決まっているって言ってたよな。例えば、人が危険な事をするから事故に遭って寿命が短くなったとか言うけど、実は、その人がその日その場所で事故に遭うことも、もうすでに人生の中で織り込み済みなんやって。生まれる前に、もうすでに自分の命日が決まっているのに、人は自分の死を恐れるって滑稽やな。

ヨシオ:ババは死を恐れるな。と言っておられる。その人の人生で一回しか死はやって来ないし、その日時はもう決まっているのに、死を恐れるって滑稽やろ。
神さんは、その人が一生の間に何回息を吸って吐くか、その人の生涯における心臓の鼓動数まで知っておられる。また、何度、その人が一生の間に嘘をつき、人を傷つけるか。
また、何回、神のことを思って胸を焦がすのかも知っておられる。
ポニョが言ったように、全ては神様によって織り込み済みの事なんや。だから本当は、ガンを宣告されて自分の死に直面しても、ジタバタする必要なんてないし、身内や友人の突然の死に接しても、全く泰然とした態度を取らないといけないんや。

ポニョ:そういう態度を取るって難しいよな。執着心って誰でも持っているから。でも、淡々と、飄々と、その人の行為は、まるで水の上に書いた字のように、書いては消えて行くように、スゥ~っとクールに人生を送れば良いなって、以前も記事にしたことがあったな。

ヨシオ:確かにその通りやな。神様に近い帰依者って、そういう人なんやろな。神の帰依者の神に対する思いって、神様を束縛するって言うやろ。神様は帰依者の召使になるって。
俺は、それは一体どういう事なんかなと思っていたら、こんな話をサイカレッジの学生であるヴィジャヤサイ君が言ってた。
ダサラ祭の日に、プーナチャンドラホールに入りきれない程の人々が詰めかけていた時、ババは、学生たちと一緒に緞帳が閉じられている舞台の上におられて、ダルシャンを与えようと椅子から立ち上がろうとされてたんや。
でも、ヴィジャヤサイ君たち学生は、こんなに近くババと一緒にいることが出来る機会は余り無いので、ババに、心から「ダルシャンに行かずに、もう少し僕たちと一緒にここにいて下さい。」とお願いしてたんや。
ババは、「私がダルシャンに行かなかったら、ホールに集まっている何千人もの人々が、まるでハスの花の近くにいながら、その蜜の味を味わえないカエルになってしまうじゃないか。だから、ホールで待っている人々にダルシャンを与えないといけないのだ。」と言われたんや。
でも、ヴィジャヤサイ君達が、「お願いですから、もう少しだけでも僕たちと一緒にいて下さい。」と頼むと、ババは、「君たちのそうした心からの祈り、願いがどれ程の力を持っているのかを君たちは知らないだろう。私は、その君たちの純真な祈りの力によって、この椅子から立てないのだよ。」と言って、そこに二十分近く座っておられたんや。
ババは、「それじゃ、少しだけダルシャンを与えたらすぐに帰って来るのでダルシャンに行ってもいいかい?」と、言われたんや。そして、ダルシャンを与えに、カーテンを開けて人々の前に出て行かれると、ババをを待ちわびた人々が、ババが出て来られたのを見て大きな拍手をしたんや。
ババは、会場を一回りして舞台の上に戻って来られると、ヴィジャヤサイ君達に、「彼らはカエルからミツバチになった。遠路遠くから遥々やって来て、私の神聖な蜜を味わった。」と言われたんや。

ポニョ:帰依者の神への祈りって、それほど神様を束縛し、拘束出来るんやな。帰依者の神さんを思う気持ちって本当はすごい力を持っているんやな。
だからババは、「心から神に祈りなさい。それは神に必ず届くから。」と言われているんやな。

ヨシオ:この前ポニョが紹介してくれた、カレッジの学生が、サイババさんを思う気持ちに応えられたエピソードが良かったな。

ポニョ:ああ、あの走り幅跳びで怪我をした学生の話やろ。そのエピソードをもう一度紹介すると、

サイカレッジの学生で走りやら跳ぶ能力がとても高い運動選手がいてたんや。スポーツフェスティバルで100メートルや200メートル競争、また走り幅跳びにも出場していて、よく一番になっていたんや。でも走り幅跳びの時に、ウオームアップ不足という理由もあったけれど、跳んでからお尻で着地しないといけないのに、左足で着地してしまって、足を挫いて病院に運び込まれたんや。
幸い骨には異常は無くて二、三日歩かずにベッドの上で静養していたら治ると言われて、寮の部屋に寮生たちに助けられて戻り、ベッドの上で横になっていたんや。でも寮生たちは全て表彰式に出掛けていなくなってしまったんや。
その学生は、表彰式に出てサイババさんの近くに行き、祝福される事だけをとても楽しみにして走り幅跳びなどをしていたのに、怪我をしてババさんに会えなくなったので、毛布を被りながらサイババさんに「どうして僕がこんな目に遭わなければいけないのですか?あなたに少しでも近付き、あなたに逢うために頑張って跳んだり走ったりしたのに…あなたに本当に逢いたいです。」と、ババさんを思って泣いていたんや。
すると右肩を誰かが叩いているのに気が付いたんやけれど、自分が泣いていたのを見られたくないし、横になったままの姿勢で「何ですか。どちら様ですか?」と返事したんや。
そして涙を拭いてから、毛布をゆっくりと下ろして顔を右肩越しに向けて見ると、なんとサイババさんがお連れの人たちを五人くらいを連れて、ベッドの真横に立っておられたんや。
その学生はすごく驚いて、「これは夢ではないだろうか?たぶん夢だ。」と思ったら、サイババさんが「夢ではないよ。現実だよ。これは夢ではないんだよ」と言われたんや。
それを聞いて学生は急いで立ち上がろうとしたけれど、サイババさんは
「横になっていなさい。立ち上がってはダメだ。」と言われたんや。
そしてお付きの人たちに「この学生は走り幅跳びをして、一回目のジャンプでお尻から着地しないといけないのに、足で着地したせいで足をひどく挫いて、こうしてベッドの上にいるんだ。この学生は一度しかジャンプしていないのに走り幅跳びでチャンピオンになったんだよ。
私の祝福を得たい一心で、努力を惜しまず一生懸命トレーニングして来たんだ。
でも表彰式に参加出来ず、私に会えない寂しさで枕を濡らしていたから、私は表彰式会場から、こうして急いでこの学生に会いにやって来たんだよ。」と言われたんや。

ヨシオ:サイババさんって本当に優しいよな。愛がいっぱいや。俺もその話を聞いて祈りの力って、このようなすごい力があるって改めて知ったな。今度からもっとしっかりと、神さんに祈るようにしようと心を新たにしたんや。
でもババに祈ったり、お願いしたりする時は、正確な言葉で、きちんと意味が通じるように、正しいセンテンスで言わなければいけないんや。
だって、神様の話されることは全て真理で、言霊そのものなんや。だから、その神様に何かお祈りやお願いをする時は、言葉自体がマントラだと思って、自分の心の中の思いや願いが、ハッキリと伝わる様に話さなくてはいけないんや。
二年以上も失業中の俺の友達も、ババにインタビューをもらった時に、「僕は二年間も失業中なのです。どうか、何か良い仕事を与えて下さい」と頼んだんや。
するとババは、「良い仕事か…。そうだな。四月になれば、君にとても良い仕事をあげよう。その仕事をずっと続ければ、良い嫁さんも見つかり、とても良い人生を送れるよ。」と言われたので、四月になるのを心待ちにしていたんやけど、やがて五月になり六月を過ぎ八月になっても、何の仕事も見つけられなかったんや。
でもその人は、ババさんが約束された良い仕事が見つかるまで、四月にオープンしたサイババブックショップの奉仕活動を一日中していたんや。でも、ババが約束してくれた良い仕事に付けなかったので、ババに騙されたと思いこんで、とても失望してブックショップの奉仕活動もやめてしまったんや。
俺はその友達に「ババの言われた仕事って、今あんたがしているブックショップの奉仕活動の事やで」と言ったけれど、「こんな事をしていたら金もなく、貧乏なままでいつまで経っても結婚も出来やしない。僕が望んでいたのは、高給がもらえるような仕事なんや。」と言っていた。
ババは給料が良い世俗的な仕事などに何の興味もないんや。神の目から見たら、その帰依者が欲望やエゴを少なくし、神に一歩でも近づく為の仕事のみが、有益な良い仕事なんや。
だから、その友達がサイババブックショップの奉仕活動に100%身を捧げたら、必ずサイババさんが生活の面でも面倒見てくれるし、必ず良い結婚相手も見つけてくれるんや。
それが、神さんの帰依者に対する仕事、義務なんや。
俺は友達がそういう事を理解出来ずに、サイババさんの元から離れて行ってしまったので寂しく思ったな。
帰依者が神の方に一歩近づくと、神様は百歩帰依者に近づいて下さるんや。それが、真の帰依者と神様の正しい関係なんや。

ポニョ:いろんな奉仕活動を通じて、神様に自分のエゴや欲望を捧げれば、神さんに一歩近付く事が出来るんやな。逆に、人はそういう奉仕活動をせずに、どのようにして神の方に近付いて行けるのか?それが問題なのじゃな。フムフム。

ヨシオ:何がフムフムや。
ババはもちろん、全ての人々が幸せなになる事を望んでおられるけれど、それは物質的な豊かさや便利さに裏付けされた幸せじゃないんや。
実は、物質的な豊かさと幸せは何の関係もないんや。いくら大きな家に住もうが、自家用飛行機を持っている様な贅沢な暮らしをしても、それは一時的に満足感を得るだけで幸せとは程遠い生活なんや。

ポニョ:レバノンの首相も大金持ちで、自家用飛行機を持っているけれど、子供さん二人がサウジアラビアで人質に取られているぜよ。

ヨシオ:いくら大金持ちになって、首相になって権力を持っていても、人は幸せになれないんや。

ポニョ:サイババさんは、この世のものから幸せを得ることは出来ないって言われているよな。例えば、おいらはオクラの天ぷらには目が無いほど好きやけれど、別の人はそれほど好みじゃないやろ。だからオクラ自体の中には、全ての人を幸せにするものって無いんや。
物質の中に幸せがあると思って、人は物や金や権力や名声を追い求めるけれど、そういうものの中に幸せがあるって思い込んでいるだけで、本当はその中に幸せ何て無いんやぜよ。

ヨシオ:ものの中にあると思い込んで追求している幸せは、実は自分の中にあるアートマの幸せを、そのものの上に投影しているだけなんや。
だから同じ物を見ても、人によってそれを手に入れたら幸せになると思ったり、そうではないと思ったりするんや。
例えば今さっきポニョが言った様に、ポニョはオクラが大好きやけれど、別の人に同じオクラをプレゼントしても喜ばないやろ。
現金でさえも、五百億円の豪華ヨットを買って遊びまくっている支配層の馬鹿息子や、全ての物質的な欲望を捨て去っているヒマラヤの聖者に、百万円の現金の札束を渡しても投げ返されるだけや。
そんなものの中に幸せ何て無く、真の幸せは自分の本来の姿である愛そのもの、至福そのものであるアートマと出会う事なんや。エゴと欲望で満ち溢れた自分から、エゴと欲望を捨て去って行くと、真の自分と出会う事が出来るんや。
その真の自分との融合が、俺たちの人生の目的なんや。
以前、スーフィーの音楽を紹介したけれど、十四世紀のイスラム教徒の詩人ウスロが、神様を求めて真剣に御祈りしていたら、ほんの少しだけやけれど、神様をチラッと見る事ができたんや。するとあら不思議、チラッと見ただけなのに、自分自身がその神さんの様な至福の存在になってしまったんや。その詩を歌詞にした歌を紹介したよな。

ポニョ:あの紹介してもらった歌を聞いたけれど、とてもハートフルやったぜよ。
https://m.youtube.com/watch?v=7SDrjwtfKMk
ヨシオ:ウスロさんの様に、人は、真の自分であるアートマと出会う時に、初めて至福の気持ちになるんや。物や金、権力や名声を手に入れた時ではないんや。
人の心って、汚いエゴや欲望で満たされた水をいっぱい含んだスポンジみたいなもので、そのスポンジを絞って汚い水を捨てないと、綺麗な神聖な水を吸い取ることができないんや。
毎日の生活で、一日一日、どれだけその汚い水を絞り捨て去って、綺麗な神聖な神さんの神聖な水を吸い取る事で、人は神さんの元に一歩一歩ずつ近づいて行けるんや。そうする事で人は初めて本当の幸せを感じる事が出来るんや。

ポニョ:つまり、神に近づいて歩んで行く人生、神さんに毎日感謝しながら生きて行くのが幸せな人生の秘密なんやな。
神さんは、この世に人の姿を取って来られたけれど、「私は人々を豊かな生活をしてもらうために来たのではないのです」とはっきり宣言されておられるもんな。
人が今の物質文明から抜け出して、携帯もなく、テレビやラジオ冷蔵庫も洗濯機もなく、ネットやコンビニ、車やバイクなんか無くても、本当は幸せに暮らす事が出来るんやぜよ。

ヨシオ:毎日、夜明けと共に起きて、お日様に両手を合わせてお祈りをするところから一日が始まり、そして大地を耕して、土の匂いを嗅ぎながらの作業をしながら一日を終え、夕陽にその日の感謝の祈りを捧げて夜は早く寝所につく生活や。

ポニョ:でもアクアポニックスだと、小さなポンプ一つあれば、土を耕さなくてもええし、雑草抜きもしなくても大丈夫やし、肥料やりや水やりさえしなくても野菜が育つぜよ。

ヨシオ:…(汗)。

ポニョ:アクアポニックスをすれば、あんたが言った様に、別に夜明けと共に起きて陽が沈むまで一日中働かなくても、昼前までゆっくりと寝て、美味しいものを食べて、のんびりとした生活を送れるでヤンス。そっちの方が汗水垂らして働かなくても良いので幸せでヤンスよ。

ヨシオ:勝手にし。

完全な無意識状態に没入すれば、突然、小さな水泡がはじけ、それは自らが大海全体であることを悟ります。
あなたは実は全体であり、無限であり、すべてなのです。
あなたは神性そのものです。
聖なるものの中で、最も聖なるものなのです。
あなたにとって世界は、もはや世界ではありません。
あなたはすべてのすべて、言葉で表現できない最高の力であり、誰にも、どんな心にも、それを描写することはできません。
あなたは純粋な「私」("I am")であり、それがあなたです。
天国はあなたの内にあります。
感覚の対象物の中に幸福を探してはなりません。
その幸福は、あなたの内にあることを悟りなさい。 ND手紙

https://m.youtube.com/watch?v=x2YRkECymzw

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