死というものをじっくりと考えることは、まさに霊性修行の基盤です。
それがなければ、人は必ず嘘偽りに陥り、五感を悦ばす対象物を追い求め、物質的、世俗的な富を積み上げようとします。
死は災難ではありません。
死は、その先にある吉祥なる光明へと到るステップです。
死は逃れられないものです。18/7/70
ポニョ:昨日、浜岡原発のすぐ近くで直下型地震がありました。これは地球の女神様からの警告やぜよ。
ヨシオ:川内原発も稼働し始めた途端、桜島近辺で火山や地震が活発化し始めたらしいやないか?人は、地球はただの岩や土の塊やと思っているからな。本当は、霊的に見たら俺たちと同じように心を持っている生命体なんやけどな。今、人類が鉱物資源やら石油を探索、採取する為に地球に穴を開けまくって見境もなく収奪しまくっているけれど、それって後で大きなしっぺ返しが来るのは、間違いないんや。
ポニョ:アメリカのネイティブインディアンのホピ族は、石ころ一つでさえ、ある場所から違う場所に移すことを、母なる大地に許可を得てから移したんや。ホピ族はそれぐらい母なる大地を、本当に自分たちを育て育んで下さっている母そのものとして、尊敬の心を込めて丁重に扱って来たんや。
ヨシオ:ポニョの友達のグロ襟がやっている事と正反対やないか。ババは、昔、人々は地球を女神様として崇拝していました。やがて、時が経ち地球を女神様から母として扱うようになり、今では奪い取って収奪し尽くして、もう役に立たなくなれば、通りに捨てられる売春婦のように扱われていると言っておられたな。
ポニョ:このおいら達を育み育てて下さっている母なる大地、地球の女神様を、売春婦と一緒くたにするなよな。なんか話を聞いていたら頭に来たぜよ。
ヨシオ:ポニョは昼飯を食ったのか?お腹が空いたら、すぐに怒りっぽくなるからな。
ポニョ:いや、まだ食ってない。やっぱりすぐにバレますか?情けないね。腹が減っているだけで、感覚をコントロール出来ないって。
ヨシオ:まあ、ぼちぼち断食とかしてチャクラの位置を上げていけや。フードマントラの話を今度する予定やけれど、毎食事の前にフードマントラだけではなく、ガヤトリも一緒に唱えると効果があるんや。犬に餌をやる前に、おあずけするやろ。そのように、ご馳走を目の前にしてもすぐに食べない習慣をつけたら、少しずつ感覚がコントロール出来るようになって来るで。まあ、次の機会にもっと詳しく話そうか。話は元に戻るけれど、この世界にどれだけの人がホピ族のように母なる大地を尊敬し、敬って生きているんやろうか?
ポニョ:福一の事故で、人は大きな教訓を得たはずやのに、また原発を再稼働し始めている。これだけ自然を汚しているのに全然反省もせず、人はどれだけ傲慢になっているんやろうな。
ヨシオ:人が全てのものの中に神を見ることが出来れば、こういう事は起こらないんやけどな。
ポニョ:昨日の浜岡原発のすぐ近くに地震があった後、静岡に住まわれている方が、こんな投稿を、あるブログにされたんや。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7819.htmlより
この頃は、いつ死ぬかわからないから、親孝行しようと自分が働いて貯めた貯金を使いまくってるよ。
貧乏と苦労ばかりしてきた親に、少しでも楽しい時をと思ってね。
自分は、ここに生まれて本当に良かったと思う。
ありがとう静岡県。
それから、自分は浜岡原発を止める努力は本当に一生懸命やったが、
あれをこの世から消せた訳じゃない。
あれがこの世を汚すことになったらすまん。
旧浜岡町住民じゃないが、同じ県に住む者として、迷惑をかけて済まないと思う。
それから、自然の神様にも。
引用終わり
ヨシオ:…こういう人もいるんやな。感激するよな。こういうハートの底から魂を絞り出すようにして出て来た言葉を読むと…。実は、全ての人が、地球の女神様や社会に対して感謝して、へりくだった謙虚な態度を取るのが、正しい生き方なんや。どんな事が自分の身に降りかかっても、全てはなるべくしてなるのだと受け入れて感謝して生きて行くと、だんだん自分のエゴが小さくなって行き、「私」「私のもの」という思いが小さくなって行くんや。
ポニョ:おいらも、この方のコメントを最初に読んだ時に涙が出て来たぜよ。この人は、地球に対して人類が犯した、或いは犯そうとしている過ちに許しを乞うておられる。そして、自分はその過ちを正そうと全力を尽くされたけれど、まだ原発は無くなっていない。そしてこの人は、今回のような原発直下型地震の大きな奴が再び襲えば、浜岡原発も稼働はしていないとはいえ、冷却システムが破壊されれば福一のようにただでは済まないので、万が一の時の為に、今の間に苦労して生きてきた両親に親孝行をしたいと思っている。そして、自分を育み育て上げてくれた静岡という素晴らしい土地に感謝されている。なんて素晴らしい、謙虚な生き方なんやと思うよな。全ての人々がこういう生き方をするようになったら、世界は平和になるのにな。でも自分たち人類は、福一のような国土を破壊するような大きな事故から何も学んでいないって寂しいよな。
ヨシオ:本当や。確かにそうやな。金権や利権が絡んでいるからな。世の中は今のところ、金、金で動いているしな。この方のように、こうして常に死というものを身近に意識して生きる事ってとても大切なんや。俺たちのブログも、死に向き合うというのが一つのテーマなんや。死というものは実は恐ろしいものでもなく、反対に大きな祝賀パーティーをしなければいけないくらい喜ばしい事なんや。逆に子供が産まれると、人は喜んで誕生パーティーなんてして祝うけれど、当の赤ちゃんは本当は悲しんで泣いているんや。
生まれたばかりの赤ん坊は泣き声を上げますが、成長した大人は微笑みながらこの世を去るべきです。
どうして赤ん坊が泣くのか知っていますか。
赤ん坊が泣くのは、これから待ち構えている長くて骨の折れる問題だらけの人生、という不幸が目の前に横たわっているからです。
人は誰もが何度も何度も生まれ変わります。
だから赤ん坊は泣くのです。
人生は「私は誰か。{コーハム}」という質問で始まり、一生が終わる前に「私は神である。{ソーハム}」という答えを見つけなければなりません。STPSp249
ポニョ:そうか。死ぬことは喜ばしい事やったんや。でもお葬式が祝賀パーティー会場になれば面白いよな。
皆様、お忙しいところヨシオのお葬式にお集まり下さいまして誠に有難うございました。生前、ヨシオはその特徴的な、いかつい長い顔とドスの効いた声でこの世の人々を恐怖に陥れて来ましたが、今日のこの日を持ちまして、ヨシオは閻魔様の元に旅立ちましたので、私たちの世界も平安になりそうです。皆さん、ヨシオの逝去をお互い大いに喜び合おうではありませんか!
ヨシオ:あのな、簡単に俺を殺すな。それにポニョの挨拶は、俺がさっきから言ってる事と趣旨が違うやないか。何が世界を恐怖に陥れているや?俺は天使のような翼は背中に着いていないけれど、神様のメッセンジャーなんやぞ。
ポニョ:あのね、一言ええかな?神様のメッセンジャーが、なんでそんなに柄が悪いんや聞いた事が無いぜよ。
ヨシオ:柄が悪かったら神のメッセンジャーになれないんか?それってお腹がぽっちゃり出ていたら神様のメッセンジャーになれないのと同じやないか?
ポニョ:あのね、お腹がぽっちゃりは関係無いでしょう。
ヨシオ:以前も言ったけれど、人を始めこの世に生を受けた全ての生きとし生けるものは、例外なくこの世にさよならも言わずに、ある日突然死んで行くんや。でもそれは実は見せかけだけで、死んだのは肉体だけで、魂は滅んでいないんや。その魂にはカルマの因子が包摂していて良いカルマ、悪いカルマに関わらず、そのカルマの因子を持っている限り、人の魂をカルマの法則が支配する世界に連れ戻し、輪廻転生の車輪に縛り付けるんや。
ポニョ:カルマの因子って生まれ変わる為のチケットみたいなもんやな。
ヨシオ:俺はもうそんなチケットなんか要らんけどな。でも、今度もらったらポニョにプレゼントしたげるわ。このようにこの世界だけを見ると、人が死んで物質世界からいなくなり、何処かに消えてしまうように見えるけれど、実際はそうではなく、魂は存在していて、次に新しい身体を取るまでの間、その魂のカルマに応じた期間を黄泉の国で過ごしてから生まれ変わるんや。だから人はこの世だけを見たら、一つひとつの生が終わり、また新しい生が生まれるように見えるだけで、本当は深いところでは全ての生命は一つに繋がっているんや。
人の誕生と死、ある界から別の界へ移動すると考えること、それらはすべて真ではありません。そのように見えるだけなのです。UVc5
何度も何度も生まれては死ぬことを まぬがられないというのはどういうことか、分析しなければなりません。
デーハ(体)は生死の繰り返しを被りますが、アートマは永遠です。
アートマが内在者として体の中に留まっている限り、体には意識があります。
アートマが体を離れた瞬間に、体はジャダ(不活性)になります。
この現象が死と呼ばれているものです。
この真理を悟ることができずに、人は自らを悲しみにさらしているのです。
生と死は外側の姿形だけのものであり、アートマのものではありません。20/10/04
それがなければ、人は必ず嘘偽りに陥り、五感を悦ばす対象物を追い求め、物質的、世俗的な富を積み上げようとします。
死は災難ではありません。
死は、その先にある吉祥なる光明へと到るステップです。
死は逃れられないものです。18/7/70
ポニョ:昨日、浜岡原発のすぐ近くで直下型地震がありました。これは地球の女神様からの警告やぜよ。
ヨシオ:川内原発も稼働し始めた途端、桜島近辺で火山や地震が活発化し始めたらしいやないか?人は、地球はただの岩や土の塊やと思っているからな。本当は、霊的に見たら俺たちと同じように心を持っている生命体なんやけどな。今、人類が鉱物資源やら石油を探索、採取する為に地球に穴を開けまくって見境もなく収奪しまくっているけれど、それって後で大きなしっぺ返しが来るのは、間違いないんや。
ポニョ:アメリカのネイティブインディアンのホピ族は、石ころ一つでさえ、ある場所から違う場所に移すことを、母なる大地に許可を得てから移したんや。ホピ族はそれぐらい母なる大地を、本当に自分たちを育て育んで下さっている母そのものとして、尊敬の心を込めて丁重に扱って来たんや。
ヨシオ:ポニョの友達のグロ襟がやっている事と正反対やないか。ババは、昔、人々は地球を女神様として崇拝していました。やがて、時が経ち地球を女神様から母として扱うようになり、今では奪い取って収奪し尽くして、もう役に立たなくなれば、通りに捨てられる売春婦のように扱われていると言っておられたな。
ポニョ:このおいら達を育み育てて下さっている母なる大地、地球の女神様を、売春婦と一緒くたにするなよな。なんか話を聞いていたら頭に来たぜよ。
ヨシオ:ポニョは昼飯を食ったのか?お腹が空いたら、すぐに怒りっぽくなるからな。
ポニョ:いや、まだ食ってない。やっぱりすぐにバレますか?情けないね。腹が減っているだけで、感覚をコントロール出来ないって。
ヨシオ:まあ、ぼちぼち断食とかしてチャクラの位置を上げていけや。フードマントラの話を今度する予定やけれど、毎食事の前にフードマントラだけではなく、ガヤトリも一緒に唱えると効果があるんや。犬に餌をやる前に、おあずけするやろ。そのように、ご馳走を目の前にしてもすぐに食べない習慣をつけたら、少しずつ感覚がコントロール出来るようになって来るで。まあ、次の機会にもっと詳しく話そうか。話は元に戻るけれど、この世界にどれだけの人がホピ族のように母なる大地を尊敬し、敬って生きているんやろうか?
ポニョ:福一の事故で、人は大きな教訓を得たはずやのに、また原発を再稼働し始めている。これだけ自然を汚しているのに全然反省もせず、人はどれだけ傲慢になっているんやろうな。
ヨシオ:人が全てのものの中に神を見ることが出来れば、こういう事は起こらないんやけどな。
ポニョ:昨日の浜岡原発のすぐ近くに地震があった後、静岡に住まわれている方が、こんな投稿を、あるブログにされたんや。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7819.htmlより
この頃は、いつ死ぬかわからないから、親孝行しようと自分が働いて貯めた貯金を使いまくってるよ。
貧乏と苦労ばかりしてきた親に、少しでも楽しい時をと思ってね。
自分は、ここに生まれて本当に良かったと思う。
ありがとう静岡県。
それから、自分は浜岡原発を止める努力は本当に一生懸命やったが、
あれをこの世から消せた訳じゃない。
あれがこの世を汚すことになったらすまん。
旧浜岡町住民じゃないが、同じ県に住む者として、迷惑をかけて済まないと思う。
それから、自然の神様にも。
引用終わり
ヨシオ:…こういう人もいるんやな。感激するよな。こういうハートの底から魂を絞り出すようにして出て来た言葉を読むと…。実は、全ての人が、地球の女神様や社会に対して感謝して、へりくだった謙虚な態度を取るのが、正しい生き方なんや。どんな事が自分の身に降りかかっても、全てはなるべくしてなるのだと受け入れて感謝して生きて行くと、だんだん自分のエゴが小さくなって行き、「私」「私のもの」という思いが小さくなって行くんや。
ポニョ:おいらも、この方のコメントを最初に読んだ時に涙が出て来たぜよ。この人は、地球に対して人類が犯した、或いは犯そうとしている過ちに許しを乞うておられる。そして、自分はその過ちを正そうと全力を尽くされたけれど、まだ原発は無くなっていない。そしてこの人は、今回のような原発直下型地震の大きな奴が再び襲えば、浜岡原発も稼働はしていないとはいえ、冷却システムが破壊されれば福一のようにただでは済まないので、万が一の時の為に、今の間に苦労して生きてきた両親に親孝行をしたいと思っている。そして、自分を育み育て上げてくれた静岡という素晴らしい土地に感謝されている。なんて素晴らしい、謙虚な生き方なんやと思うよな。全ての人々がこういう生き方をするようになったら、世界は平和になるのにな。でも自分たち人類は、福一のような国土を破壊するような大きな事故から何も学んでいないって寂しいよな。
ヨシオ:本当や。確かにそうやな。金権や利権が絡んでいるからな。世の中は今のところ、金、金で動いているしな。この方のように、こうして常に死というものを身近に意識して生きる事ってとても大切なんや。俺たちのブログも、死に向き合うというのが一つのテーマなんや。死というものは実は恐ろしいものでもなく、反対に大きな祝賀パーティーをしなければいけないくらい喜ばしい事なんや。逆に子供が産まれると、人は喜んで誕生パーティーなんてして祝うけれど、当の赤ちゃんは本当は悲しんで泣いているんや。
生まれたばかりの赤ん坊は泣き声を上げますが、成長した大人は微笑みながらこの世を去るべきです。
どうして赤ん坊が泣くのか知っていますか。
赤ん坊が泣くのは、これから待ち構えている長くて骨の折れる問題だらけの人生、という不幸が目の前に横たわっているからです。
人は誰もが何度も何度も生まれ変わります。
だから赤ん坊は泣くのです。
人生は「私は誰か。{コーハム}」という質問で始まり、一生が終わる前に「私は神である。{ソーハム}」という答えを見つけなければなりません。STPSp249
ポニョ:そうか。死ぬことは喜ばしい事やったんや。でもお葬式が祝賀パーティー会場になれば面白いよな。
皆様、お忙しいところヨシオのお葬式にお集まり下さいまして誠に有難うございました。生前、ヨシオはその特徴的な、いかつい長い顔とドスの効いた声でこの世の人々を恐怖に陥れて来ましたが、今日のこの日を持ちまして、ヨシオは閻魔様の元に旅立ちましたので、私たちの世界も平安になりそうです。皆さん、ヨシオの逝去をお互い大いに喜び合おうではありませんか!
ヨシオ:あのな、簡単に俺を殺すな。それにポニョの挨拶は、俺がさっきから言ってる事と趣旨が違うやないか。何が世界を恐怖に陥れているや?俺は天使のような翼は背中に着いていないけれど、神様のメッセンジャーなんやぞ。
ポニョ:あのね、一言ええかな?神様のメッセンジャーが、なんでそんなに柄が悪いんや聞いた事が無いぜよ。
ヨシオ:柄が悪かったら神のメッセンジャーになれないんか?それってお腹がぽっちゃり出ていたら神様のメッセンジャーになれないのと同じやないか?
ポニョ:あのね、お腹がぽっちゃりは関係無いでしょう。
ヨシオ:以前も言ったけれど、人を始めこの世に生を受けた全ての生きとし生けるものは、例外なくこの世にさよならも言わずに、ある日突然死んで行くんや。でもそれは実は見せかけだけで、死んだのは肉体だけで、魂は滅んでいないんや。その魂にはカルマの因子が包摂していて良いカルマ、悪いカルマに関わらず、そのカルマの因子を持っている限り、人の魂をカルマの法則が支配する世界に連れ戻し、輪廻転生の車輪に縛り付けるんや。
ポニョ:カルマの因子って生まれ変わる為のチケットみたいなもんやな。
ヨシオ:俺はもうそんなチケットなんか要らんけどな。でも、今度もらったらポニョにプレゼントしたげるわ。このようにこの世界だけを見ると、人が死んで物質世界からいなくなり、何処かに消えてしまうように見えるけれど、実際はそうではなく、魂は存在していて、次に新しい身体を取るまでの間、その魂のカルマに応じた期間を黄泉の国で過ごしてから生まれ変わるんや。だから人はこの世だけを見たら、一つひとつの生が終わり、また新しい生が生まれるように見えるだけで、本当は深いところでは全ての生命は一つに繋がっているんや。
人の誕生と死、ある界から別の界へ移動すると考えること、それらはすべて真ではありません。そのように見えるだけなのです。UVc5
何度も何度も生まれては死ぬことを まぬがられないというのはどういうことか、分析しなければなりません。
デーハ(体)は生死の繰り返しを被りますが、アートマは永遠です。
アートマが内在者として体の中に留まっている限り、体には意識があります。
アートマが体を離れた瞬間に、体はジャダ(不活性)になります。
この現象が死と呼ばれているものです。
この真理を悟ることができずに、人は自らを悲しみにさらしているのです。
生と死は外側の姿形だけのものであり、アートマのものではありません。20/10/04