ポニョ:ババによる、奇跡のレッスンが面白かったな。ババが奇跡のやり方を、懇切丁寧に教えても誰も真似出来ないよな。
ヨシオ:それを、分かってて教えてられるんや。大体、アヴァターの持っている十六の能力の中で、無から物を物質化さすことが出来る十六番目の力は、アヴァターしか持っていないんや。それ以外の力は、霊性修行で獲得することが出来るけど。だから、ポニョがどんなに逆立ちしても無からの物質化は出来ないんや。
ポニョ:なんや、そうやったんか。でも、食べ物を物質化したり、花や色んなものを物質化してるヨギの話を聞いたことがあるぜよ。
ヨシオ:それは、ババが言った三つの物質化の方法の二番目やろうけど、無から物質化してるわけではないんや。どこからか出来合いの物を、物質移動してるか、成分を変化させてるんや。
ポニョ:物質移動か。そうかもしれんな。そうか、無から物質化は出来ないんや。でも、神様のように心で思った事と、話していること、そして行為が一つになれば、かなり高い霊的レベルに到達出来るやろな。
ヨシオ:そうやろな。だから、それを培うための一つの手段として、バジャンをサイババさんは勧めておられるんや。
バジャンは、神を満足させたいという願いを持って全身全霊を込めて歌わねばなりません。
神は才能の優れた音楽家と乞食を区別しません。
信愛と真剣さがあればよいのです。バジャンに魂を溶け込ませなさい。
バジャンを霊化させなさい。
そうすればあなたは真の至福を体験します。6/3/97
ポニョ:バジャン会に出て 歌を歌うことと、思いと言葉と行為が一つになることって何の関係があるんや。
ヨシオ:バジャンって神を讃えたり、思ったりする歌が多いやろ。だから、神を思い、それを声に出して歌い、手を叩くという行為もついでにするやろ。
ポニョ:そうやな。思い、言葉と行為の三拍子がセットになってるな。おいらは黙って聞いているのが好きやから、手を叩いたりしないんやけど…。
ヨシオ:ババはそれはダメだ。神を思って大きな声で歌い、手拍子もしっかりしなさいと言っておられるんや。でないと、三拍子揃わないやんか。ババは、この三つが揃った時に、人は神と融合することが出来るって言われたんや。
ポニョ:そうなんや。今度から、大きな声で歌って、手拍子も叩くようにするぜよ。
ヨシオ:ババは、一人でいる時は、心の中でいつも歌を歌ってたり、小さな声で歌ってられるんや。ある時、何か一人でブツブツ言ってらるなと思って顔を近づけると、なんかの面白いメロディーの歌の一節を繰り返して歌っておられた時もある。
ポニョ:クリシュナみたいやな。クリシュナもいつも戦場で幸せそうに歌っていたぜよ。
ヨシオ:ババは、私は子供達と一緒にいる時は、子供になり、婦人といる時は婦人に、年寄りといる時は年寄りになります。でも、一人で居る時は、神になります。と言われたことがある。だから、誰も、ババが神になっているのを見れないんや。
ポニョ:確かにそうやんかな。だって、一人になっているんやから。
ヨシオ:でも、実は、飛行機で旅をされた時に、一人で座席に着かれ黙って座っておられる時、私は神に戻っていると言われたことがあるんや。
ポニョ:それじゃ、周りの人からババが神になっているのを見られているやんか。
ヨシオ:さっきのは、冗談や。ババは一人になってもならなくても、いつも神さんやんか。でも、ババが一人になっておられる時には、いつも歌を歌っておられるんや。幸せそうに。ダルシャンを与えておられる時も、歌を歌いながら歩かれている時もある。また、僧侶たちが唱えているルッドラムを聴きながら一緒に唱えて、ダルシャンを与えておられたこともある。あるダルシャンの時、学生たちがバジャンを歌ってたんや。知ってるやろ、この歌を。アナンダサガラ ムラリダラという曲や。
ポニョ:知ってるぜよ。ちょっと哀愁を帯びたええ曲やな。
ヨシオ:この曲は珍しく六拍子の曲やねんけど、ババはこの曲を聴きながらダルシャン会場を歩いておられたんや。すると突然、ある女性の帰依者が、ババの御足に飛びついたんや。ババは、この曲の難しい六拍子のリズムに合わせて後ろに二歩下がられ、そしてすぐに、リズムに合わせて前に二歩、ダンスをするようにリズミカルに動かれて、何事もなかったように男性側に歩いて行かれたんや。そしてその後の曲が、とてもテンポの早い十拍子の曲やったんやけど、ババはこの曲にも合わされて歩かれていたんや。でも、皆はそのババの御足を見て驚いたんや。だって、足から血が流れていたんや。というのもその飛びついた女性の爪がとても長かったので、ババの足を切って怪我をさせてしまったんや。その女性は、大きな声で泣いていたな。
ポニョ:神様に触れる時ぐらいは、爪を切って来いよな。失礼な人や。でも、ババは何もなかったように、ハッピーそうに曲に合わせて歩いて行かれたんやな。さすがや。
ヨシオ:ババは、このようにいつもハッピーなんや。クリシュナのようにいつも、心の中で歌を歌ってられるんや。そして、俺たちも神を思い、その思いを口に出して歌い、手もついでに叩けば、さっきも言ったように、神に融合することが出来るんや。
ポニョ:なるほど、そういうことやったんか。ババは一人の時は神になっていると言ったけど、バジャンを歌ってられたんやな。おいらが、いつもお風呂で歌っているけど、その時は、おいらも実は神になっていたんやな。
何のために人間として生まれてきたのでしょうか。
立派な教育を受けながら、それを生かそうとせずに、鳥や動物や虫が夢中になっているような程度の低い楽しみのために時間を使っていてどうするのですか。
人間だけに特別に許されている理想とは何でしょう。
人間として生まれることは、途方も無く難しいという言葉の深い意味は何でしょう。
皆さんは動物のように振る舞うために生まれてきたのではありません。
人間は神になるために生まれてきたのです。
人間としての人生は、神の意識という最高の境地に達するために与えられたのです。SGc21
ヨシオ:ババは学生たちがいる前で、このようにしてバジャンを歌えば、この世界の全ては私に融合することが出来る。と言いながら近くにいた学生に、でも君は、私が今言ったことを全然信じていないけれどね。と言われたんや。
ポニョ:サイババさんが目の前で言われたことを信じない、そういう学生もいるんやな。しかも、自分の心の中をすっかり読まれているぜよ。
ヨシオ:確かにサイのカレッジの学生たちにもいろんなんがいてるな。ある時、女性の帰依者がババに、私の息子はサイの学生です。と言ったら、ババは、いいやそうではない。と言われたんや。それで、その女性は、ババさん、私の息子はあなたのカレッジを、つい最近卒業したサイの学生ですよ。と言うと、いいや、そうではない。と言われたんや。ババは続けて、サイのカレッジを卒業したからと言って、自動的にサイの学生になる訳ではない。と言われたんや。
ポニョ:つまり、こういう事か?サイの学生って、サイのカレッジを卒業していなくても、サイの教えを守って生きて行けば、その学生はババから君はサイの学生だ。と認められるって訳なんやな。
ヨシオ:そういうことや。だから、インドのサイのカレッジや教育機関に行かなくても、どこかの国の大学やカレッジに行っていたとしても、その学生がサイの教えを守り、サイの理想に基づいて生きているんだったら、その学生はサイの学生なんや。
ポニョ:そうか。よく考えてみれば、そういうことやもんな。だって、サイのカレッジに行っていても、サイの教えを守っていなかったら、サイの学生って言える訳がないやんか。
ヨシオ:学生の中には金をもらって、反サイババキャンペーンに手を染めている人もいるんやで。
ポニョ:それは、すごいカルマを作ってるぜよ。だって、ババの教育機関って全て無料やろ。ババにそんなに、世話になっているのにババの悪口を言うなんて、最悪じゃんか。
ヨシオ:これは例外中の例外やけどな。大多数の学生は、もちろん真面目で、ババの教えをしっかり守って生きているんや。でもある時ババは、冗談でサイカレッジの学生たちの前世は、シータを救うためにラーマに協力した猿たちだった、と言われたことがあるんや。
ポニョ:お猿さんが大学生になったんか。面白いやないの。でも、その中の何匹かの猿がラヴァナに幽閉されていたシータの純潔を疑ったので、シータは火の上を素足で歩いて渡り、その純潔性を証明せねばならなかった、というエピソードがあるな。
ヨシオ:いろんな猿がおるのと一緒で、いろんな学生がおるからな。まあ、いろいろ違ってみんな良い。の世界やな。
ポニョ:でも、サイの学校を卒業して一歩外に出ると、世間の荒波が待っているぜよ。どのようにして、今までの神の保護の元にある学園生活から、あんたみたいな海千山千がウロウロしてる社会に適応出来るんかいの。めちゃ難しいと思うで。いろんな、誘惑がいっぱいあるぜよ。
ヨシオ:俺のどこが海千山千やねん。そうやな…、やっぱり当たってるかもしれんけどな。神の化身の直接の指導と保護の中で育った学生たちは、一旦社会に出てその荒波にもまれても、今まで培ってきた霊的財産を、無くさないようにしなくてはいけないから、みんな普通の学生より人一倍努力してるんや。ババは、君たちはミルクだ。社会は水だ。君たちが社会に出て、水と混じるとミルクが薄くなって飲めなくなる。でも、このカレッジにいる間に、神の化身である私の教えをしっかりと守り、それを自分のものとすれば、君たちはミルクから、それをかき混ぜればバターになるように、社会に出ても汚い汚染水と混じらなくなる。だからここにいる間に、ミルクからバターになるように努力しなさい。と言われたんや。
ポニョ:めちゃ分かり易い例えやったな。さすがババや。本当にその通りやもんな。ババの学校にいる間に、瞑想の習慣をつけたり、いつも真理のみを話すようにしていたり、もちろん菜食に徹したり、時々断食もしたり、おいらは無理やけど…。また、友達や先生に対して、愛を持って接したり、神の御名と唱えたり、バジャンを定期的にやったりする習慣をつけると、どこに行っても神のことを忘れず、社会の悪や誘惑に染まらなくなるやろな。
ヨシオ:神の元へ行くには、三つの知識が必要とされるんや。一つは、霊的な知識、二つ目は、この世界を生きて行くための実践知識、そして科学的な知識なんや。サイの学校では、その三つの知識を教えているんや。だから、学生たちはどのようにして水道の配管をするのか、電気の配線などの仕事、各種工具の使い方を習ったり、家の修理の仕方など、いろんな事を学ぶんや。特に重要な事は、奉仕活動をしっかりカレッジをあげてやるんや。グラマセバと言って新聞紙に包んだ弁当をたくさん、トラックに積んで貧しい村に届けたりするんや。
ポニョ:そうか。おいらは霊的な知識はそこそこOKやけどな。実践的な知識はしっかりあるし、科学的な知識も、アインシュタインには負けるけど一応持ってるな。
ヨシオ:ということは、ポニョは神の元へ行ける知識を三つとも備えているって事やんか。おめでとう。ようこそ、神の元へ。棺桶は松竹梅のどれにしますか?パンダの絵がフタに描いてあるのが、あなたにぴったりだと思いますが…。
ポニョ:あのね、松竹梅ってめでたい事に使うんや。なんで、棺桶に松竹梅があるんや。
ヨシオ:身体を離れるってめでたい事やないの。
ポニョ:おいらは、まだ、逝きたくないっちゅうに。そんなに早く人を殺すなよ。
ヨシオ:今さっき、アインシュタインに負けるって言ったけど、アインシュタインは全然、この世を生きる上での知識を持っていなかったんや。ある時、大工に、ドアに犬専用の小さな出入り口を作って欲しいと頼んだんや。それで、何匹かペットの犬がいるから、大きな犬には少し大きなドアを、小さな犬には小さなドアを作るように、言ったんや。すると、大工は二つも三つも犬用のドアを作らなくても、大きい犬用のドアを一つ作れば全ての犬がそれを使うことが出来ると、アインシュタインに言ったんや。アインシュタインは全然そこまで考えが及ばなかったと言って、大工を褒めたんや。
ポニョ:なんや、そんな簡単なこと誰でも分かるやんかな。なんで、一匹一匹の犬がそれぞれ違う大きさのドアを使って出入りするんや。アインシュタインってもっと賢い人かなって思ってたぜよ。
ヨシオ:このように、この世界を生きる為の知識って重要なんや。つまり、一般常識って奴やな。だって、それが無かったら、神にいちいちお伺い立てないと、何も出来ないような人になってしまうんや。ババは、自分の頭を使え、一般常識を使えとよく言われている。
ポニョ:それやったら、任しといてくんろ。一般常識の専門家ポニョと言われているくらい詳しいで。
ヨシオ:一般常識の専門家なんておるんかい?誰でも持っているのが、一般常識やんか。ポニョは食事常識の専門家やな。
ポニョ:あんた、日本語がおかしいぜよ。食事の専門家と言ってくれる?
世間の知識は食べるものと住むところを与えてくれます。
ところがアートマンの知識は、自分自身の真実を気づかせてくれるのです。
世間のことを多少は知っておかなければ、不滅のものを知ることは出来ません。
世間の知識を甘く考えてはいけません。
世間の知識と神に向かう知識とのつり合いが大切なのです。
学問と霊的探求を結び付けなさい。
人生という車は一輪では動きません。
一輪の車はあまりにも危険です。
片羽で飛べる鳥はいません。
両翼を用いてこそ、自由に飛び回ることが出来るのです。
世俗のことには俗世間の知識が必要であり、ブラフマヴィディア(霊的知識)は霊的安寧の為に必要です。
両方の知識にもとづく生活を送りなさい。2/6/91
ヨシオ:それを、分かってて教えてられるんや。大体、アヴァターの持っている十六の能力の中で、無から物を物質化さすことが出来る十六番目の力は、アヴァターしか持っていないんや。それ以外の力は、霊性修行で獲得することが出来るけど。だから、ポニョがどんなに逆立ちしても無からの物質化は出来ないんや。
ポニョ:なんや、そうやったんか。でも、食べ物を物質化したり、花や色んなものを物質化してるヨギの話を聞いたことがあるぜよ。
ヨシオ:それは、ババが言った三つの物質化の方法の二番目やろうけど、無から物質化してるわけではないんや。どこからか出来合いの物を、物質移動してるか、成分を変化させてるんや。
ポニョ:物質移動か。そうかもしれんな。そうか、無から物質化は出来ないんや。でも、神様のように心で思った事と、話していること、そして行為が一つになれば、かなり高い霊的レベルに到達出来るやろな。
ヨシオ:そうやろな。だから、それを培うための一つの手段として、バジャンをサイババさんは勧めておられるんや。
バジャンは、神を満足させたいという願いを持って全身全霊を込めて歌わねばなりません。
神は才能の優れた音楽家と乞食を区別しません。
信愛と真剣さがあればよいのです。バジャンに魂を溶け込ませなさい。
バジャンを霊化させなさい。
そうすればあなたは真の至福を体験します。6/3/97
ポニョ:バジャン会に出て 歌を歌うことと、思いと言葉と行為が一つになることって何の関係があるんや。
ヨシオ:バジャンって神を讃えたり、思ったりする歌が多いやろ。だから、神を思い、それを声に出して歌い、手を叩くという行為もついでにするやろ。
ポニョ:そうやな。思い、言葉と行為の三拍子がセットになってるな。おいらは黙って聞いているのが好きやから、手を叩いたりしないんやけど…。
ヨシオ:ババはそれはダメだ。神を思って大きな声で歌い、手拍子もしっかりしなさいと言っておられるんや。でないと、三拍子揃わないやんか。ババは、この三つが揃った時に、人は神と融合することが出来るって言われたんや。
ポニョ:そうなんや。今度から、大きな声で歌って、手拍子も叩くようにするぜよ。
ヨシオ:ババは、一人でいる時は、心の中でいつも歌を歌ってたり、小さな声で歌ってられるんや。ある時、何か一人でブツブツ言ってらるなと思って顔を近づけると、なんかの面白いメロディーの歌の一節を繰り返して歌っておられた時もある。
ポニョ:クリシュナみたいやな。クリシュナもいつも戦場で幸せそうに歌っていたぜよ。
ヨシオ:ババは、私は子供達と一緒にいる時は、子供になり、婦人といる時は婦人に、年寄りといる時は年寄りになります。でも、一人で居る時は、神になります。と言われたことがある。だから、誰も、ババが神になっているのを見れないんや。
ポニョ:確かにそうやんかな。だって、一人になっているんやから。
ヨシオ:でも、実は、飛行機で旅をされた時に、一人で座席に着かれ黙って座っておられる時、私は神に戻っていると言われたことがあるんや。
ポニョ:それじゃ、周りの人からババが神になっているのを見られているやんか。
ヨシオ:さっきのは、冗談や。ババは一人になってもならなくても、いつも神さんやんか。でも、ババが一人になっておられる時には、いつも歌を歌っておられるんや。幸せそうに。ダルシャンを与えておられる時も、歌を歌いながら歩かれている時もある。また、僧侶たちが唱えているルッドラムを聴きながら一緒に唱えて、ダルシャンを与えておられたこともある。あるダルシャンの時、学生たちがバジャンを歌ってたんや。知ってるやろ、この歌を。アナンダサガラ ムラリダラという曲や。
ポニョ:知ってるぜよ。ちょっと哀愁を帯びたええ曲やな。
ヨシオ:この曲は珍しく六拍子の曲やねんけど、ババはこの曲を聴きながらダルシャン会場を歩いておられたんや。すると突然、ある女性の帰依者が、ババの御足に飛びついたんや。ババは、この曲の難しい六拍子のリズムに合わせて後ろに二歩下がられ、そしてすぐに、リズムに合わせて前に二歩、ダンスをするようにリズミカルに動かれて、何事もなかったように男性側に歩いて行かれたんや。そしてその後の曲が、とてもテンポの早い十拍子の曲やったんやけど、ババはこの曲にも合わされて歩かれていたんや。でも、皆はそのババの御足を見て驚いたんや。だって、足から血が流れていたんや。というのもその飛びついた女性の爪がとても長かったので、ババの足を切って怪我をさせてしまったんや。その女性は、大きな声で泣いていたな。
ポニョ:神様に触れる時ぐらいは、爪を切って来いよな。失礼な人や。でも、ババは何もなかったように、ハッピーそうに曲に合わせて歩いて行かれたんやな。さすがや。
ヨシオ:ババは、このようにいつもハッピーなんや。クリシュナのようにいつも、心の中で歌を歌ってられるんや。そして、俺たちも神を思い、その思いを口に出して歌い、手もついでに叩けば、さっきも言ったように、神に融合することが出来るんや。
ポニョ:なるほど、そういうことやったんか。ババは一人の時は神になっていると言ったけど、バジャンを歌ってられたんやな。おいらが、いつもお風呂で歌っているけど、その時は、おいらも実は神になっていたんやな。
何のために人間として生まれてきたのでしょうか。
立派な教育を受けながら、それを生かそうとせずに、鳥や動物や虫が夢中になっているような程度の低い楽しみのために時間を使っていてどうするのですか。
人間だけに特別に許されている理想とは何でしょう。
人間として生まれることは、途方も無く難しいという言葉の深い意味は何でしょう。
皆さんは動物のように振る舞うために生まれてきたのではありません。
人間は神になるために生まれてきたのです。
人間としての人生は、神の意識という最高の境地に達するために与えられたのです。SGc21
ヨシオ:ババは学生たちがいる前で、このようにしてバジャンを歌えば、この世界の全ては私に融合することが出来る。と言いながら近くにいた学生に、でも君は、私が今言ったことを全然信じていないけれどね。と言われたんや。
ポニョ:サイババさんが目の前で言われたことを信じない、そういう学生もいるんやな。しかも、自分の心の中をすっかり読まれているぜよ。
ヨシオ:確かにサイのカレッジの学生たちにもいろんなんがいてるな。ある時、女性の帰依者がババに、私の息子はサイの学生です。と言ったら、ババは、いいやそうではない。と言われたんや。それで、その女性は、ババさん、私の息子はあなたのカレッジを、つい最近卒業したサイの学生ですよ。と言うと、いいや、そうではない。と言われたんや。ババは続けて、サイのカレッジを卒業したからと言って、自動的にサイの学生になる訳ではない。と言われたんや。
ポニョ:つまり、こういう事か?サイの学生って、サイのカレッジを卒業していなくても、サイの教えを守って生きて行けば、その学生はババから君はサイの学生だ。と認められるって訳なんやな。
ヨシオ:そういうことや。だから、インドのサイのカレッジや教育機関に行かなくても、どこかの国の大学やカレッジに行っていたとしても、その学生がサイの教えを守り、サイの理想に基づいて生きているんだったら、その学生はサイの学生なんや。
ポニョ:そうか。よく考えてみれば、そういうことやもんな。だって、サイのカレッジに行っていても、サイの教えを守っていなかったら、サイの学生って言える訳がないやんか。
ヨシオ:学生の中には金をもらって、反サイババキャンペーンに手を染めている人もいるんやで。
ポニョ:それは、すごいカルマを作ってるぜよ。だって、ババの教育機関って全て無料やろ。ババにそんなに、世話になっているのにババの悪口を言うなんて、最悪じゃんか。
ヨシオ:これは例外中の例外やけどな。大多数の学生は、もちろん真面目で、ババの教えをしっかり守って生きているんや。でもある時ババは、冗談でサイカレッジの学生たちの前世は、シータを救うためにラーマに協力した猿たちだった、と言われたことがあるんや。
ポニョ:お猿さんが大学生になったんか。面白いやないの。でも、その中の何匹かの猿がラヴァナに幽閉されていたシータの純潔を疑ったので、シータは火の上を素足で歩いて渡り、その純潔性を証明せねばならなかった、というエピソードがあるな。
ヨシオ:いろんな猿がおるのと一緒で、いろんな学生がおるからな。まあ、いろいろ違ってみんな良い。の世界やな。
ポニョ:でも、サイの学校を卒業して一歩外に出ると、世間の荒波が待っているぜよ。どのようにして、今までの神の保護の元にある学園生活から、あんたみたいな海千山千がウロウロしてる社会に適応出来るんかいの。めちゃ難しいと思うで。いろんな、誘惑がいっぱいあるぜよ。
ヨシオ:俺のどこが海千山千やねん。そうやな…、やっぱり当たってるかもしれんけどな。神の化身の直接の指導と保護の中で育った学生たちは、一旦社会に出てその荒波にもまれても、今まで培ってきた霊的財産を、無くさないようにしなくてはいけないから、みんな普通の学生より人一倍努力してるんや。ババは、君たちはミルクだ。社会は水だ。君たちが社会に出て、水と混じるとミルクが薄くなって飲めなくなる。でも、このカレッジにいる間に、神の化身である私の教えをしっかりと守り、それを自分のものとすれば、君たちはミルクから、それをかき混ぜればバターになるように、社会に出ても汚い汚染水と混じらなくなる。だからここにいる間に、ミルクからバターになるように努力しなさい。と言われたんや。
ポニョ:めちゃ分かり易い例えやったな。さすがババや。本当にその通りやもんな。ババの学校にいる間に、瞑想の習慣をつけたり、いつも真理のみを話すようにしていたり、もちろん菜食に徹したり、時々断食もしたり、おいらは無理やけど…。また、友達や先生に対して、愛を持って接したり、神の御名と唱えたり、バジャンを定期的にやったりする習慣をつけると、どこに行っても神のことを忘れず、社会の悪や誘惑に染まらなくなるやろな。
ヨシオ:神の元へ行くには、三つの知識が必要とされるんや。一つは、霊的な知識、二つ目は、この世界を生きて行くための実践知識、そして科学的な知識なんや。サイの学校では、その三つの知識を教えているんや。だから、学生たちはどのようにして水道の配管をするのか、電気の配線などの仕事、各種工具の使い方を習ったり、家の修理の仕方など、いろんな事を学ぶんや。特に重要な事は、奉仕活動をしっかりカレッジをあげてやるんや。グラマセバと言って新聞紙に包んだ弁当をたくさん、トラックに積んで貧しい村に届けたりするんや。
ポニョ:そうか。おいらは霊的な知識はそこそこOKやけどな。実践的な知識はしっかりあるし、科学的な知識も、アインシュタインには負けるけど一応持ってるな。
ヨシオ:ということは、ポニョは神の元へ行ける知識を三つとも備えているって事やんか。おめでとう。ようこそ、神の元へ。棺桶は松竹梅のどれにしますか?パンダの絵がフタに描いてあるのが、あなたにぴったりだと思いますが…。
ポニョ:あのね、松竹梅ってめでたい事に使うんや。なんで、棺桶に松竹梅があるんや。
ヨシオ:身体を離れるってめでたい事やないの。
ポニョ:おいらは、まだ、逝きたくないっちゅうに。そんなに早く人を殺すなよ。
ヨシオ:今さっき、アインシュタインに負けるって言ったけど、アインシュタインは全然、この世を生きる上での知識を持っていなかったんや。ある時、大工に、ドアに犬専用の小さな出入り口を作って欲しいと頼んだんや。それで、何匹かペットの犬がいるから、大きな犬には少し大きなドアを、小さな犬には小さなドアを作るように、言ったんや。すると、大工は二つも三つも犬用のドアを作らなくても、大きい犬用のドアを一つ作れば全ての犬がそれを使うことが出来ると、アインシュタインに言ったんや。アインシュタインは全然そこまで考えが及ばなかったと言って、大工を褒めたんや。
ポニョ:なんや、そんな簡単なこと誰でも分かるやんかな。なんで、一匹一匹の犬がそれぞれ違う大きさのドアを使って出入りするんや。アインシュタインってもっと賢い人かなって思ってたぜよ。
ヨシオ:このように、この世界を生きる為の知識って重要なんや。つまり、一般常識って奴やな。だって、それが無かったら、神にいちいちお伺い立てないと、何も出来ないような人になってしまうんや。ババは、自分の頭を使え、一般常識を使えとよく言われている。
ポニョ:それやったら、任しといてくんろ。一般常識の専門家ポニョと言われているくらい詳しいで。
ヨシオ:一般常識の専門家なんておるんかい?誰でも持っているのが、一般常識やんか。ポニョは食事常識の専門家やな。
ポニョ:あんた、日本語がおかしいぜよ。食事の専門家と言ってくれる?
世間の知識は食べるものと住むところを与えてくれます。
ところがアートマンの知識は、自分自身の真実を気づかせてくれるのです。
世間のことを多少は知っておかなければ、不滅のものを知ることは出来ません。
世間の知識を甘く考えてはいけません。
世間の知識と神に向かう知識とのつり合いが大切なのです。
学問と霊的探求を結び付けなさい。
人生という車は一輪では動きません。
一輪の車はあまりにも危険です。
片羽で飛べる鳥はいません。
両翼を用いてこそ、自由に飛び回ることが出来るのです。
世俗のことには俗世間の知識が必要であり、ブラフマヴィディア(霊的知識)は霊的安寧の為に必要です。
両方の知識にもとづく生活を送りなさい。2/6/91