サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

ヘリコプター帰依者って誰?

2015-03-23 00:00:44 | 日記
ポニョ:ムッデナハリの件やけど新しい段階に入ったぜよ。

ヨシオ:ポニョはまだそんな事に関与してるんか?

ポニョ:ババの帰依者を巻き込んだ大きな事件やぜよ。

ヨシオ:ババのカレッジの元舎監だった人がババのメッセージを個人的に受け取って無料の学校や病院をインド各地に創設されているんやろ。ババもそこを訪れて祝福されたんやろ。それでそれに賛同した人達がたくさん自分の意思で寄付をしたり奉仕をしてそこで働いているんと違うんか?

ポニョ:ということやったんやけれど、おいらが最近聞いた話によると元舎監の方はナラシンハさんと言うんやけれど、若い23才のマッドゥスーダンという男の子にババが乗り移っていると言っておられるんやて。その青年は大きな外車に乗って金持ちの寄付者に大事にされているんやて。

ヨシオ:なんでアフリカのスーダンからわざわざそんなマッド(気狂い)な青年を連れて来たんや。

ポニョ:違うっちゅうに。マッドゥスーダンという名前やねん。

ヨシオ:それは完全にペケポンやな。ナラシンハさんが本当にそういう事に関与されているんやったら、大きな取り返しのつかない間違いを犯しておられるよな。

ポニョ:そうやろ。おいらもそれを知ってびっくらこいたぜよ。あんなにババに近い人がババの教えを何にも分かっていないなんて信じられないぜよ。それに何十年もサイのカレッジで舎監として学生たちを指導されて来られたと思うと霊的な事をよく分からずに人々の上に立てばとても危険だってことが良く分かったぜよ。

ヨシオ:そういう人のことをヘリコプター帰依者って言うんや。霊的な段階を一段一段登りつめて最高の段階まで来られた人はそういう間違いを絶対しないけれど、何段階かを飛び越えていきなりババの元に来た人はそういう初歩的な霊的な間違いをしてしまうんや。それにそういう人は自分が間違っていると金輪際も思っていないのが面白い。

ポニョ:どこが面白いねん。周りでそういう事に騙されて大金を支払っている人は大きな迷惑やぜよ。

ヨシオ:金持ちはそれでええかもしれんけれど、なけなしの金をそういう事に使った貧乏な人は可哀想やな。

ポニョ:ババが肉体を離れれば、こういう人があちこちから出て来るって昔からあんた言ってたけれど本当になったな。

ヨシオ:インドだけではないんや。どこにでもある話や。人は自分の心の奥深く沈潜して自分の中におられる神様の声を聞こうとしないから、外側にそれを求めようとするんや。ババは将来私の身体の近くで働いていた帰依者が実は本当の私から遠くにいることを見るだろうと言っておられる。この前、俺はその話をしたやろ。

ポニョ:そうやったな。自分が住んでいるところに神様が人の身体を取ってやって来られたら、されるであろうという事をおいら達がすればええんやったな。

ヨシオ:そういうことや。自分の中におられる神様を、全ての生きとし生けるものの中に見て、自分の周りに神様の愛を広めながら生きて行けばええんや。

ポニョ:もうこの話はこの辺で打ち切ろか。きりが無いぜよ。もしおいらが聞いた話が本当やったら情けないぜよ。

ヨシオ:ババが再降臨された時にぶっ飛んでしまうやろなこの、スーダンから来た気狂い青年は。今のうちにアフリカに帰りなさい。

ポニョ:さっきからそうじゃないって言っているやろ。

ヨシオ:もしポニョの言っていることが本当やったら、この事は帰依者に与えられたババからのテストやろな。でもめちゃ簡単なテストやな。でも、俺が最初から言っているけれどこういう事に関わらない方がええで。大体その情報ってのは100%信じられるんか?

ポニョ:信頼出来る情報筋から聞いたんや。写真も見たぜよ。

ヨシオ:ロイター通信みたいやな。まあ、この件はこれ以上持ち込むなよ。
でも、読者の方の話によるとそのアフリカ人の青年にババの霊が乗り移っているのではなく、姿が見えたり声が聞こえたりするって言ってられるで。

ポニョ:あのねさっきからアフリカ人じゃないって言っているやろ。でもそれってカナダのケンさんと一緒やぜよ。

ヨシオ:そうやったな。カナダのケンさんもババの姿が見えたり声が聞こえたりするって言ってたな。

ポニョ:台所で食器も一緒に洗ったって言ってたで。

ヨシオ:そうやったな。でもそれらのメッセージは全てケンさんだけへのメッセージなんや。ケンさんはそこで受けたメッセージを誰かに伝えたりされてなかったやろ。

ポニョ:誰かに聞かれたら答えておられただけやぜよ。

ヨシオ:このようにババが誰かを通じてメッセージを送られることなんて絶対にないんや。全ての答えは各々の内にあるんや。というわけでこのブログが井戸端会議ブログみたいになるからこれぐらいにしとこか。あゝややこしい。

ポニョ:分かったぜよ。それでは、今日もヴィジャヤサイ君の話に移ろか。おいらは、それが毎日楽しみになって来たんや。このヴィジャヤサイさんという学生さんは、とても面白いもんな。ババを笑わせようとして、バジャンの歌を変えるって聞いたことがない。ところで、どのソングに変えたんや。

ヨシオ:オームナモバガバテ バスデ~バ~ヤに変えたんや。そして、そのバジャンに突然変わったのでババは、少し驚かれ、シリアスな顔をして十秒間ぐらい我慢しておられたんやろな。でも突然、我慢しきれずに、吹き出して大笑いをされたんや。

ポニョ:神さんも、笑いを我慢しきれないことってあるんやな。

ヨシオこのヴィジャヤサイ君はとてもシンプルな青年で、シンプルな二つの欲望を持っていたんや。一つは、ババが講話をされる時に一度でいいから、ババの通訳をしたいのと、ババの車を運転したいという二つやねん。

ポニョ:めちゃシンプルな欲望やな。でも、普通の人には実現さすのが難しい欲望やな。

“神は一つの国や社会のために来られたわけではありません。
神がこの世に来られたのは、すべての人類のためです。
各自はそれぞれの欲望の程度に応じて神から得ることができます。
各自の行為に応じて、行為の果実を得ることができます。
それ故、何か事をなす前にそれが正しいか間違っているかを考えねばなりません。
その行為によって、誰かを傷つけることがないかどうかを検証しなくてはなりません。
これは肉体的な快楽に執着している者にとっては簡単なことではありません。
すべての苦悩は身体と世俗的な欲望に関係しているのです.8/1996p,218”

ヨシオ:それで、ある時、コダイカナルに行く途中、例のサイスクールのあるウーティに寄り、そこでババが講話をされることになったんや。でもアニールクマールさんは急用で家に帰られたので、誰か代わりに通訳をしたい人は、と聞かれたので、ヴィジャヤサイ君が名乗りを上げたんや。でも、彼の出身地の言葉はテルグ語ではないので、ババの講話を通訳しようと思っても難しかったんや。それで、ババがヴィジャヤサイ君が、少し困っているのに気がついて、ヴィジャヤサイ君が知っている話や詩を引用して、それらを中心に話されたんや。講話が終わってから、そこにいた人々がヴィジャヤサイ君がとても上手く通訳したので、感心してたんや。

ポニョ:でも本当は、ババがコントロールされてたんやな。でも、さすがババやな。どのようにして、ババがヴィジャヤサイ君が知っている話や詩を知っておられたのか、それは神さんしか出来ない芸当やな。それで、車の運転の方はどうなったんや。

ヨシオ:ババは、それはお前に任せられない。お前が運転したのを保険会社が知ると、保険がおりないって冗談を言われたんや。

ポニョ:学生やしな。まあ、それぐらい運転がまだ下手くそっていうわけやな。

ヨシオ:歌の話に戻るけど、ババがダルシャンの時にヴィジャヤサイ君の前を通り、今日、お前が歌ってスピーチもしろと合図を送られたんや。でも、ヴィジャヤサイ君は、その日、喉が腫れていて声が出なかったので、ババに喉を指差して、歌えないとジェスチャーをしたんや。するとババは二三回大きく手を回されて、大きなキャンディを物質化されて、ヴィジャヤサイ君に手渡され、噛み砕かずに舐めなさい。そうすれば、お前は今日歌えるって言われたんや。それで、大きなキャンディをしゃぶっていたんやけど、大き過ぎてなかなか全部溶けないので、もう五曲ぐらいバジャンが終わり、ババが次はお前の番だと合図を送られても、口の中のまだ溶けずに残っているキャンディを、口を開けてババに見せたりして、二人でアタフタしてたんやけど、やっと、演壇に立ててスピーチと、歌を終えることが出来たんや。それで、意気揚々と元の座っていた場所に座ろうと思ったら、後ろから、みんなが詰め寄って来ていて、ヴィジャヤサイ君の座るスペースが無くなっていたんや。仕方なく、少し離れたところにスペースを見つけて座っていると、ババがヴィジャヤサイ、もう一曲歌えと言われて、マイクが回って来たんやけど、座っている場所からは、ハーモニウムやタブラから遠くて聞き取りにくいんや。案の上、歌い始めたのは良いが、音を取るのが難しくて少し外れそうになったんや。でも、ババがミニシンバルの演奏を始められたので、群衆は大喜びで手拍子をして、曲を無事に歌い終わることが出来たんや。そして、周りの人々が、ヴィジャヤサイ君に、あんたが歌っている時にババが一緒にシンバルを演奏して下さった。なんてラッキーな奴だと言って、喜んでくれたんや。それで、ヴィジャヤサイ君はババに感謝しに行くと、ババは、お前が音を外しそうになったので、私が急いでシンバルを演奏したんだ。そうすれば、みんな私の方に集中して、お前の音が外れた歌に誰も気付かないからな。と言われたんや。

ポニョ:それって、感激もんやな。その、ヴィジャヤサイ君は俺も聞いたことがあるけど、とても歌も上手いし、話すのも上手やから、その名声が落ちるのを防ぐために、ババが自らシンバルを演奏する事によって、守られたんやな。帰依者を守るためなら、どんな事でもされる愛の化身や。

ヨシオ:しかも、ただ座って小さいシンバルを演奏されていたんではなく、椅子から立ち上がり、自ら身体を動かしながら、男性の方を向いたり、女性の方に身体を向けたりして大サービスをやったんやで。

ポニョ:帰依者を思うその優しい心。千の母の愛、汚れ無き、全き純粋の愛、その愛の塊であるババに愛してもらう人って、ババと同じく、純粋な愛の心を持っているんやろな。神様から、おいらもそんな風に愛してもらいたいぜよ。

ヨシオ:人がどれだけ神様を愛しているかは問題ではないんや。自分が神様からどれだけ愛してもらっているのかという方が大切なんや。というのも、後者はババの教えを実践している帰依者の証拠なんや。でないと、それだけの愛を神様からもらえない。

ポニョ:つまり、自分は神様を愛しています。と言っても、その神様がそうか。そんなに私の事を愛してくれているのか。では、私の帰依者だったら、少なくとも、私の四つのやってはいけない教えを守るのです。とババが言われても、いやそれは、自分には少し無理です。家内が菜食ではないので、家では肉を食べざるをえないし、タバコや酒、ビールをやめろって言われても、急には無理だし、ギャンブルも、会社の付き合いで、競馬や賭け麻雀やゴルフをしなくてはいけないし…。でも、あなたの事を愛しています。って言ってるようなもんやもんな。

ヨシオ:神さんは自分の言葉を無駄にはされない。いくらその人に教えを垂れても、聞く耳を持たず、それを実践するような人では無かったら、初めから、その人とは話すことなどされないんや。だから、先ほどから、言っているように、どれくらい自分が神様を愛しているかは、口先だけではなく、その人が神様の教えをどれくらい実践しているかによるんや。

ポニョ:そら、いくら口であなたを愛していますと言っても、神さんの言うことを守らなければ、その神さんをリスペクトしてない、と言う事は、実際は愛していないのんと一緒やもんな。
家で、お父さん、あなたのことをとても愛しているけれど、あなたの言うことを聞きませんので宜しくって言ったら、家から出て行けって言われるよな。

ヨシオ:この、ヴィジャヤサイさんのように、ババからとても大事にされている人って、もちろん前世から持っているもんも大きいけど、共通している点があるよな。それは神様を心から愛しておられて、子供のような純真な心を持っておられるな。そして、自分の良心の囁きが聞こえるんや。次に、紹介するエピソードは、本当に今言ったことを証明している話なんや。この話をラジオサイのプログラムで、聞き手の方に話しておられたんやけど、途中から聞き手の人が黙り込んで質問をしなくなったんや。プログラムの最後に、聞き手の人は話を聞いている間に、胸が熱くなって涙が出てきて話せなくなったと言っておられたな。

ポニョ:もったい付けんと、早よ話してや。イライラして来たぜよ。

ヨシオ:それは、コダイカナルでの事やったんや。ババが少しヴィジャヤサイさんを皆の前でからかわれたので、ヴィジャヤサイさんは少し傷ついて、部屋に戻って泣いていたんや。そして、泣きながら、以前ババのことを思ってもその愛が叶えられず、その悲しみを歌った歌を作った人がいて、その歌の一節を思い出して、泣きながら歌っていたんや。すると、自分の後ろで、自分が歌っている歌と同じ旋律だけれど歌詞を、神さんと一緒で楽しいよ、と変えて歌っている声がしたので、目の前にある鏡を見ると、ババが映っていたんや。ババが、後ろにそっと来て、傷ついて泣いているヴィジャヤサイさんの部屋に、わざわざ慰めに来られたんや。そして、ヴィジャヤサイさんが歌っていた歌の本当の意味はこうなんだよ。と言って、一行ごと、一節ごとに解説して教えて下さったんや。そして、その歌は、実は最後には神様と一緒だと分かって幸せだ、という歌詞で終わるという事を、教えてもらったんや。

“欲望とむさぼりを戒め、いつも満ち足りていて、神の愛を受け取ることが出来るように努めましょう。
ただ神様を愛しているだけでは足りません。
どうすれば神様から愛されるか。
どうすれば神の恵みを得られるか。
どうすれば“欲望とむさぼりを戒め、いつも満ち足りていて、神の愛を受け取ることが出来るように努めましょう。ただ神様を愛しているだけでは足りません。どうすれば神様から愛されるか。どうすれば神の恵みを得られるか。
どうすれば神の愛をじかに得られるか。
それを良く理解せねばなりません。
神は自分のものだと言って泣いたり叫んだりしても何もなりません。
おまえは私のものだと言ってもらうように願うべきです。SGc23”

“だれが創造主ですか?
あなたは自分の意志で生まれてくることができましたか?
いいえ、できませんでした。
それは神の意志です。
神があなたに体を授けました。
神への奉仕と神への崇拝に体を使い、体を神聖にすべきです。
世界に理想を示すべきです。
すべての人の平安と幸福のために働きなさい。
他の人にしてほしいことを、他の人にしなさい。
苦しみたくなければ、他の人の苦しみを和らげるよう努めなさい。
あなたの平安と幸福を他の人と分かち合いないなさい。
全ての人の幸福を祈りなさい。