「公的扶助制度」を考える

2015年07月01日 | 雑感 -
何かがオカシイのではなくて、
誰かが狙って 作り出した仕組みが 
今の社会構造なのだろうか。

そんな印象を持ってしまうほど・・・
私は “ やるせない感情 ” が 抑えられない時がある。



そもそも、日本国憲法25条 には、下記のように示されている。
すべての国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する


この憲法でうたっている生存権を保障するため、
社会保障制度がある。
年金保険、医療保険、介護保険、雇用保険、
労災保険、そのほかにも、
障がいを持つ人をサポートする制度や、
低所得の困窮者を対象とした生活保護制度もある。



しかし、現実には、どうだろう・・・。

すべての社会保障制度とは言わないが、
これらの多くの制度には、複雑で 様々な盲点があり、
万能ではない現実を感じている。 

法律によって定められた対象者は、強制的に加入するが、
加入者が負担した保険料は 将来の自分に充てる積立方式とは
異なっているので、意図的に加入を拒む人もいる。

基本的に、個人の生活を支える 公的な責任 があるために、
社会保障制度の財源は 「 保険料 」 となっているにもかかわらず・・・
どれぐらいの人々が これらの背景や目的を理解した状態で、
“ 加入者としての責務 ” を果たしているだろう。

これらの仕組みは、一部の人に対しては、
基本的に 信頼 を無くしてしまっているのではないだろうか。



私たちの日々の生活・・・
私たちの老後の生活・・・
多くの種類のリスクを背負い、同時に不安を抱きながら、
毎日を暮らしている人々。
そして、自分だけでは備えられないし、そのすべも解らず、
困惑することも珍しくはない。



本来、社会保障制度は、
社会全体で備える仕組みなのに・・・。

実際は、どこまで機能しているのだろう。




もしも 不安をあおることが多い社会保障制度であるなら、
これは、本当に、国民のために 公的な責任 を持って、
機能しているとは言いがたい。

国家が行うべき公的扶助制度なのに、リアルに 説得力がないのは
何故だろう・・・。
そんな風に感じているのは、私だけ・・・?


      


何度でも言いたい。
個人だけでは対応できないことに対して、社会全体で備えるのが
社会保障制度である。



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