ときめき感

2009年02月21日 | 自分 -

最近、すごく思う。

なぜ、ときめかないんだろう。
ときめきが感じられないのは、なぜなんだろう・・・・・・と。

仕事でもプライベートでも、めっきりと「減った」。

恋や愛などの浮かれた話ばかりではなく、
生活全般に「ドキドキ感」がなくなってしまったのだ。


たとえば、頑張っていた仕事が、昨日決まった。
大きなバゼットの仕事である。
正直言って、うれしかった。
その結果を手にしたとき、はっきりと気づいたことがある。
昔とは確実に違う感覚に・・・。
「やったぁ~」と、胸がバクバクになって、「今日はお祝いに何しよう」なんて、
あれこれ想いをめぐらせていた頃が・・・とても懐かしい。
今は全くそういう感覚が手にできないし、
(たとえどんなに)努力してもたどりつかないような気がする。

これまで“いくつもの経験”を積んだことが原因か、
はたまた、自分自身が(多少は)“枯れてしまった”のだろうか。
何か虚しいものを感じる。



心と頭では、そして人に対する言葉でも、
「情熱」や「活き活きとした生活」を目指していることを掲げて、
いつも「ときめき」と「後悔のない(ほどのよい)一生懸命さ」を目指して
生きているつもりなのに・・・・。

やはり、昔と違う感覚なんだということを、(昨日)感じ取ってしまった。

勿論、今、状況がよくない時期だし、自分を取り巻く環境そのものも
あまり健全とは言いがたい。
実際、何度も経験してくると、新鮮さなどというものは無くなってくる。
それが原因であれば、何の問題もないのだが・・・。

私も、一つ一つを経験するたびに、
(それなりに)大人になっているということか・・・。

たとえば・・・
「禅」のように、何がおころうと全てをありのままに受け容れることができる、
ある意味で“ぶれない自分を確立する”ための過渡期であるかもしれない。
・・・・・などと、(口が裂けても)おこがましくて言えないが・・・。

とにかく、「理論」よりも、
また、「分析する」ことよりも、
この現実を受け容れるのが、今の私にとっては、一番なのではないだろうか。



とにかく、「うれしい」にも、いろいろあるんだ。
      (うれしかったのは事実だから!)
そう思って、「今」を見つめている。

「今の私自身」を味わっているところである。