多種多様な人間像

2011年01月17日 | 社会 -

社会人の仕事の法則 ⇒ 決め言葉は「ほう(報告)・れん(連絡)・そう(相談)」。

しかし・・・現代は、情報化社会であって、上司の決断をいちいち仰ぐ時間など・・・
実際は、あって「ない」ようなものである。
スピード社会に則した決断力と判断力が、現場には必要になってきている。

だから、即決で決断したり、対処したりすることも必要になってくるが、
その結果そのものに責任をもつという特大の“おまけ”も、ついてくるようになった。



最近、意識しているからだろうか・・・ 私が人と会った時、
そのような「人間力」や「仕事力(判断力・対処能力)」がありそうか否か、
(なんとなくだけれど)読めるようになってきた。
それは、度重なる経験というものがネックにある。
たくさんの人と会って、仕事をしてくると、一つの簡単なことを伝えるだけでも、
相手が自分流に解釈したりして、勘違いをするので、きちんと伝わらない人がいる。
私は一回大きな深呼吸をして、ゆっくりとしゃべって、最初から順番に確認していき、
やっと当方の主張が伝わるようなことを、何度も何度も経験してきた。
だから、今は・・・個人的には、その人それぞれに対応を変えているが・・・・
上記のような人は、覚悟して対峙しないと、本当にイライラする典型のような人だ。
最近は、「キレる人が多くなった」のが現実で、それは私も感じている。
きっとキレるような人が仕事相手だとしたら、おそらく彼は撃沈していることだろう。




昨夜、竹林の中の和食専門店で、おいしい料理をいただいた。
ライトアップされた庭園が、とてもきれいで、心地の良い時間だった。
「相談事がある」と言われ、招かれて出かけて行ったが・・・・
その相談事とは「自分がキレやすい」ということを他人から強く指摘され、
今、そのことを、とても悩んでいるのだという。
なんと「これは・・」と感じ、かなり長い時間をかけて、その人の話を聴いた。
いろいろな角度から、質問をしたりしてみて、反応も感じてみたが・・・
その人は、日常的にも支障がなく、精神的にもバランスを壊しているように見えず、
私の結論としては「相手のほうに、何らかの問題があるように思えた」ぐらいだ。


キレることに対する恐怖というよりも、周囲の目に対する恐怖に苛まれ、
自分の気持ちの良い日常を害するのは、本当に残念なことである。
最低限度の迷惑をかけず、社会のルールを守り、穏やかに暮らしている人なのに・・・
そういう人でも、結局は、完全に自信を喪失してしまっていた。
自分を知る周囲の人から、それだけ混乱させるだけの強い口調と抗議を受けると、
やはり「大きな不安」を感じてしまうのだろう。
私だって、自信はない。
また、自分のことは自分ではわからないものだから、余計に不安になってしまう。



しかし、つくづく思う。
人と関わって生きていくのが社会人だが、本当にいろいろな人が増えてきて、
一つのセオリーや価値観で対応ができなくなってくるぐらい、多くの人物が群れている。
多様な生き方というよりも、「混沌とした個人主義」に傾いて行っているような・・・
そんな印象がするのは、私だけだろうか。

人々が健康的な生活を送り、安全で安心な気持ちを持ち続けることは、本当に
贅沢なことになってしまったようだ。

信頼できる友達を増やし、自分の支柱を構え、納得した人生を送りたいものだと
そう心から思う。


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