「人あたり」

2011年01月18日 | 自分 -

今日は、仕事があって、打ち合わせもあったのに、
休ませてもらった。
まぁ、軽いもので、ちゃんとアポもとっていなかったからだが、
ドタキャンをしたことには変わりはない。
頭が痛くて、体調が悪くて、もう出かける気がしなかったし・・・
どっぷりと、疲れ果てていたからだ。
この週末から、体調が芳しくなく、実は鎮痛剤を飲みながら、
土曜日&日曜日を過ごして、スケジュール(約束)をこなしていた。
断れないものばかりだったからだ。
それに、今週は出張もあり、断れない約束が後半に入っている。
今日しか・・・なかったのかもしれない。


実は・・・仕事が忙しいのに・・・
昨年末から、多くの人に会ってきた。
久しぶりに会う人もあって、その人の変化についていくのには、
ある程度のエネルギーを使う。

あるいは、若い頃に、お世話になった人の墓参りに行ったり、
懐かしい人と一緒に食事をしたり、そういうことをしていた日々だった。
新しい行動パターンにトライしていたようにも感じる。

そういうことを、毎日のように、繰り返していたからだと思う。
結局、ちゃんと休んだ記憶がない。
身体が横たわっていても、抱えている課題があったりすると、
脳細胞は休めず、結局「完全に休んだことにはならない」。
心も、身体も、頭も、すべてが休めてこその効能だからだ。
リラックスすることは、そう簡単に手にすることができない境地だ。



私は、昨年から「人」に会いすぎた。
人にあたったのだと、そんな気がしている。
自分に心を寄せてくれているからこそ、申し訳なく思って会いに行っても、
そのあとに気になってしまい、自分が落ち着かない・・・という気分を
味わってみると、本当にリラックスすることができない。
現在、病気の人とか、身体が不自由な人、生活に不安を感じている人、
何かに強く執着している人、人の悪口を言う人、愚痴を繰り返す人、
わがままな人、・・・・列挙したらきりがないが・・・
そういう人は、やはり自分の中に、ほんの小さな“しこり”のようなものを
残してしまう。
「シアワセじゃないのかなぁ」
そんな印象をもってしまうと、潜在的に気になってしまうのだろう。
私の昔からの性格的な特徴かもしれない。




まるで、仕事に追い立てられた毎日を悔いるように、
私のプライベート時間が欲しかったのかもしれない。

去年は、忙しかったからこそ、年末年始の数週間で、本当に
何人もの「懐かしい人」に会った。
笑顔を見たり、日々を楽しんでいることを知ると「よかったなぁ」と
思えたのだが・・・・比率でいうと、そうではない人も多く、
私自身も含めて、なんとなく「世知辛いなぁ」「あったかくないなぁ」と
感じてしまったように思う。
そういう精神的な疲れは、意外と後を引くということを、今回・・・・
はじめて思い知った。


何事も、ほどほどに、のらりくらり行くのが一番だ。
焦っていたわけではないが(そんな自覚は全くなかったが)・・・
実は、そうだったのかもしれない。
自分が社会から“おいてけぼり”になることはなくても、
潜在的な気持ちが私を支配して、行動させていることもある。
おそらく、一人になることが怖かったのかもしれない。
心の奥底で「私を忘れないでね」と主張しているようなものだ。

率直に言うと・・・
数年ぶりに会う人が多かったからこそ、きっと疲れ果てたのだと思う。
特に、その人たちの中には、天涯孤独で、身体が不自由な人がいて、
お正月の準備やら何やらで、いろいろと気を配り、時間を割いて、
その人の話相手にもなり、悩み事解決にも一役をかって出たりしていた。
私も、こんなことは初めてで、・・・微妙だが・・・なんとなく・・・
将来の自分の姿を心配するかのように感じていたのか。。。
とにかく、その人に、少しでも穏やかにお正月を過ごしてほしかったのだ。
このような自分の行為は・・・なんとなく・・・ 
今となっては、よくわかる気がする。


しかし・・・仕事が忙しい時に、こういうことを敢行してはいけないと、
思い知った。
決して「やったこと」を否定(後悔)しているのではなく、
時間に余裕のある時に、やるべきだったのだ。

一つ、学習したことにしよう―ーと思う。


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