終の棲家

2010年09月20日 | 自分 -


人は、年毎に、老いていく・・・。
誰も「老い」は避けられないし、この私も決して避けられず、何度も誕生日がやってくる。

「そろそろ」と言うと、「早いよ~」とよく言われるが・・・・
私には「終の棲家」をどこにするのか・・・・・ということを、最近よく考える。




郷里の四国には、大きな一軒家の実家がある。
そして、母屋に隣接して、大きな納屋もある。
納屋の二階の片隅には、中学時代からの私の部屋が二つ(四畳半の洋間と和室)ある。
幼い頃から、私は母屋の家屋には住まず、一人暮らしのような環境で暮らしていた。
その方が、精神的に楽だったのだと思う。
想いおこせば、変な中学生である。

それぐらいの大きな納屋を想像していただければ、自ずと庭の広さも想像できるだろう。
しかし、この実家の二階建ての一戸建て家屋は、かなり古い。
築50年ぐらいだろうか。
それ以上だろうか。
あのまま住むことも可能だが、私が高齢者の域に入ると・・・いかがなものだろう・・・。



たとえ「終の棲家」を決めても、自分の最期を「そこで迎えられるとは限らない」。
介護してくれる家族もいないし、経済的な余裕が(それほど)あるわけでもない。

しかし、元気な内に帰郷して、「私流の田舎のネットワークを早く構築しておく」・・・
という選択肢がないわけではない。
要するに、ヨボヨボになって(齢を老いてしまってから)帰郷しても、何の活動もできず、
友人・知人の数も限られていて、有意義な日常を構築することは難しいと思えるのだ。
私は、地元のために、社会貢献活動もしたいと思っているので、余計にそう感じる。
心も身体も、多少は元気なうちでないと、そんなことはできるものではないからだ。
しかし、知人達に、それを話すと・・・・「まだ、はやいよ」と、皆に言われる。
「そうだよね」と感じながら、「早い内だから、活動ができるんじゃないか!」とも思う。




大都会、東京でやり残したことなどは、何一つない。
若い頃は、自分の成長と経験を一番に考えていたので、全く違う価値観だったが・・・
最近の私は、「生計をたてるために仕事している」だけだ。

冷静に言うと、両親を看取るためには、それなりの「お金」が必要だった。
田舎では低予算で生活できる代わりに、過酷な条件で仕事をしても高額の給料は望めない。
このような状況では、両親二人の介護をやりとげることができなかったと思う。
率直に言うと、お金を稼ぐためには、東京にいて、仕事をする必要があったのだ。

しかし、今は・・・身軽な立場になってしまった。
喜ばしいかな、哀しいかな、複雑な「一長一短」の境遇である。
だから、しみじみと、最近・・・・考える。

「生きがい」「人生」「仕事」「生き様」「人間力」「価値観」「経済的基盤」・・・
優先すべき選択肢は広すぎて、まだまだ確認作業と、根回しが必要かもしれない。





しかし、正直に言うと・・・・たとえ、大きな仕事で結果が残せたとしても、
それはそれで、私にとっては “あまり意味のないことのように感じる時もある”。
はっきりとしたことは明言できないが、仕事の質や結果よりも、もっと大切なものが、
自分の中に芽生えてきている証拠だと思う。

私の「命の使い方」に焦点をあてて考えてみると、何か “おぼろげなモヤモヤ感” が、
身体中に広がってくることがある。
まだ手に出来ていない 「私の潜在的な欲求の芽生えなのだろう」・・・と思っている。


人の気持ちは変わるもので、自分もしかり・・・。
環境が変われば、自ずと選択する事柄も明確に変わり、それは人の人生にも作用する。

ただ、現在の私は、郷愁に包まれている・・・そういう傾向にあるというだけかも・・・。

あまりにも、「田舎に帰りたい気持ちが強いのだろう」。
早く母の十三回忌の法要を執り行いたい責任感も、少なからず影響を与えていると思う。
その責任感は、意外と大きく、私を縛っていて、日毎に切迫しているような気がする。

だから、両親のことを思い出してばかりだ。
昨夜も、昔ながらの両親の知人:Yさんから電話があった・・・「何時帰るの?」と。
おそらく、今日から、秋のお彼岸(20~26日)だからだろう。


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