貴重な「過去の記録」

2011年05月29日 | 自分 -


過去の荷物の整理をしていると、懐かしい「写真」に出くわす。
そこには、若かりし頃の私が、笑顔で写っている。
あるいは、この目に刻んだ風景や、一瞬の一コマが記録されている。

中には、旅行した写真をアルバムにして、自分でひとことコメントを
手書きで記していたり、一緒に行った人の自筆コメントも (頼んで)
時々書きこんであったりして、マメな「懐かしい手作りアルバム」がある。

一人旅のものは特に、印象に残った光景や、風景の一部を切り取って、
写真だけの構成になっているが、そこに自分独自の感想コメントが残っている。
日程ごとに、訪れたごとに、撮影した写真は折り重なるように貼られていて、
“この教会では、こういう人に会って、こういう想いになった”・・・とか、
“裏道の路地が風情があった”・・・とか、その時々の「旅」が記されている。

「良いなぁ・・・」 と、思う。


久しぶりに、これらの写真を通して、当時の光景が思い出される。
あの日、あの宿で食べた食事のメニュー・・・・忘れていた“雰囲気”さえも、
たった一枚の写真が「あの日 & あの夜」に戻してくれるようだ。
それぞれに、書き込まれたコメントには、その時に感じた感情が・・・。

「とても、貴重なものだ」 と・・・今だからこそ感じた。




今回、多くのVHSテープを変換することなく、消却してしまった。
ほんの数本のみを残して、すべて捨ててしまったのだ。
そうすることによって、私の過去や記録は、無くなってしまう・・・。
当時、心が揺さぶられていた動画の数々が、・・・である。

なんとなく、考えさせられた。


写真も、動画も、現在は“データ”で管理しているが・・・、
たとえば写真だとしたら、プリントしないで、データのまま保存したまま、
いつか(今回のように)全てを捨ててしまったら・・・それまでである。
「ゴミ箱に捨てる」だけで、貴重な思い出のデータは、消失してしまうのだ。
あるいは、データが電気機器の何らかのトラブルで、(自分の操作以外で)
無くなってしまう場合もなくはない。 
そうすると、データは、同じく、消失してしまうことになる。


写真をプリントして残しておくことや、それらを自分の中でアルバムにして
保存しておくこととでは、大きな違いがあるように思う。

データであれば、いろいろな利用の仕方があるだけで・・・
やはり写真は、数多く撮影しても、選んだ数枚はプリントして、
自分の形あるものとして「アルバムの中に残しておく」ことの大切さ――。



たとえ規格体系が変わったとしても、写真を「紙で残しておく」ことは、
“永遠に、自分の手元に残される” ことになる。
「見たい時に、見ることができる気楽さ」を、手にすることができるのだ。



昔の私のマメな行動は、私の過去を懐かしく思い起こさせてくれた。
写真は、若く、生き生きとした笑顔や変顔と一緒に、時間を戻してくれる。
一瞬にして、“当時”を思い出させてくれた。
こういうアルバムは、きっと、もっともっと私が年を重ねて、
両手に余りある時間ができた時、初めて より貴重な財産となるのだろう。
今でさえ、つい見入ってしまうほどの「懐かしさ」があったのだから、
もっと時間が過ぎたら、すごい感覚と感慨と憧憬を与えてくれそうだ。
まるで「タイムマシンのように・・・」。

撮影した写真をプリントして、ファイルしておくことの大切さを、改めて
感じることになった今回・・・・
少しずつ、「アルバム化していこう」と思ってしまった。
記憶から遠くなってしまう細やかなことさえ、写真は記録してくれている。
撮影して、安心してしまわないで・・・やはり、「プリントするところまで、
ちゃんとやり遂げて、残しておこう」 と、しみじみと感じた次第である。


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