自分で作り出すべき運命

2012年04月26日 | 言葉 -


 自分の運命は 自分でつくり出すべきもので、

 虚偽や不正は 絶対に排撃せねばならない。


                 
                <by チェーホフ >


            


 誰でも、人との関係性の中で、“たまらなくなる”ときがあるはずだ。
 
 そういう時に限って、予想外の想像できない不可解な真実が発覚したり、
 情報共有をはかっていない決定を(一方的に)されたりもする。
 こういう時こそ、我慢どころであり、同時に、主張しどころだと自覚する。
 相手の提案を受け容れることになったとしても、主張するべきことは、
 主張したいという意地があり、(立場上)主張するべき道理もある。
 
 最近は、「当然だ」と思っていることが認識できていない人が多いから、
 なんとなく複雑な心情に襲われることが多い。
 「こんなことにも気がついていなかったの?」

 人々の感性は、どんどん鈍感になっているように思われ、同時に、
 自己中心的な思考回路を基に、(自分を正当化するために)あえて
 「こうなのだ」と思う概念を、思いこんでしまっている人がいるようだ。

 今夜は、天気の悪い中、大事なアクションを二つも欠落されて、
 自宅の最寄駅まで届けてもらうということがあったが・・・・
 もっと恐怖なのは、その件に対する「立ち話」が1時間半に及ぶ会談で
 あったということ・・・・。
 改札を出る私を待ちかまえていた “その人” は、昼間会う時とは、
 全く印象が違った。
 
 いろいろな話をして、その内容において、どんどんシリアス感が増していき、
 結局 “その人”が現在、抱えている問題点についてのアドバイスを求められた。
 たとえ、どんなに 一生懸命でも、自分が掲げた壮大なビジョンがあるのなら、
 短絡的に「私に結論のような方策を求めてはいけないでしょう。それは、
 あなたのためにならないことなので、あえて私は申し上げません。
 自分で模索し、自分で選別し、自分で決定して下さい。 それが・・・
 結局は自分のためになると思いますよ 」・・・という・・・私にとっては、
 稚拙なテーマによる長話になってしまった。
 この人は、仮にも 私よりも年上の起業家である。
 びっくりするような肩書きを 持っている人でもある。
 その人が、私の最寄りの駅で、私を待って、謝罪しつつ、最後は笑顔で
 「自分なりの落胆」と「ある決意」を 持って帰った。

 私としては、ただ疲れただけ・・・だったが、今の私にとっても、
 ポイントとなる “共通する理論だった” とも感じる。
 
 だから、正直に言うと、私は “少しばかり熱を帯びていた” ように思う。
 どうせなら、喫茶店にでも入るべきだった。
 疲れているのに、立ちっぱなし・・・なんて! 一時間半以上も・・・。
 せっかく、アサイチで点滴してきたのに、後半に振り回されてしまった。
 結局・・・今日も、23時帰宅!

 「あぁ~~、 ゆっくりと眠りたぁいなぁ 」

 「穏やかに、過ごすことって、本当に難しいものだ 」


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