11月27日(木)より
●またもや点滴抜いて血だらけ。
兄嫁と交代して、家に帰る。
入浴はできたが、仮眠する時間がない。
教室の仕事を済ませて
夕食を取って、再び病院へ。
病院に着いたのが23時30分。
母の部屋に近づくと、不気味な声が響いてくる。
予感的中!
声主は、母であった。
また点滴を抜いたのだ。
そのままかなり動いたのか、
腕も足も床も布団も寝巻きも
血で汚れている。
後片付けをして下さる護婦さんに謝る。
また睡眠の注射を打ってもらう。
母がベッドについてからどうなったのか・・・
全く覚えがない。
昨夜からの寝不足で私はすぐに眠ってしまったのだ・・・。
ふと目が覚めると、数人の看護婦さんが・・・。
また点滴を抜いたのだ。
難儀して点滴の針を刺し終えて、
静かに看護婦さんたちは姿を消した。
点滴を抜くのは、痛みを感じないが、
点滴の針を刺すのは、痛いようだ。
細い腕に何度も刺されるのは、痛々しい。
●点滴を抜くのは、母のプライドから?
ああ、またしても私は監視できなかった!
ああ、まったく私は何をしに来ているのか!
ふと思った。
「監視」しようとするからいけないんだ。
私がいなくても大丈夫なように。
そのために私はここに来ているんだ。
そうだ。
そこで、考えてみた。
母はどうして点滴を抜くのだろうか?
看護婦さんは言った。
「病気がさせるんですから、仕方ないですよ」。
「そうですよね」と私も言ったのだが、
果たしてそうなのだろうか?
認知症だから、点滴を抜くのだろうか?
興奮状態だから抜くのだろうか?
点滴を抜く母の理由があるはずだ。
母がずっと訴えているのは、
「おしっこくらいさせてもらわな、困る!」
直腸脱になって、
排便が不自由になり、
とうとう紙パンツを受け入れた。
しかし、小便は自分で行っていたのだ。
それが、母のプライドだったのではないだろうか?
ところが、
自分でトイレに行こうとすると点滴が邪魔をする。
だから、点滴を抜く。
また、そのときには
認知症だからか、興奮状態だからか
不思議なことに痛みを感じない。
それだけのことではないのだろうか?
●「『命づな』を一緒に連れて行ってな」。
母が落ち着いたところで、
ゆっくりと話してみた。
今は、食事が食べられない。
だから、「点滴」がとっても大事なんだ、と。
すると、母はこう言った。
母:あれぇ、そしたら、これは『命づな』や。
娘:そう、『命づな』よ。
だから、いつも一緒にいてほしいの。
トイレに行くときにも一緒に連れて行ってほしいの」。
母:あー、わかった。
娘:でも、一緒に連れて行くことを忘れちゃうよなあ。
紙に書いて貼っておこうか。
母:ああ、そうしてもらえたらええなあ。
そこで、看護婦さんに紙とマジックを借りて書いた。
「これは『命づな』です。
いつも一緒に連れて行ってな」
これを点滴の器具に張った。
娘:もう一枚貼りたいんやけど。
目が覚めて一番に見るところはどこ?
母:(周りを見回して・・・)ここやな。
それは、枕の横のベットの柵だった。
なるほど!
ここは、私には思いつかんわ。
「命綱を一緒に連れて行ってな」。
そう書いた紙をそこに貼った。
次に私が目が覚めると、
母の立っている姿が目に入った。
そして・・・
母の右手は、点滴の取手に掛けられている。
お母さん、やったぁ!
こうして母の願望「トイレ行き」が実現した。
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