すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

無事、葬儀を終えて

2022-11-30 | アイリッシュハープ
昨日、無事義母の葬儀が、終わりました。


昨年の義父の経験から
準備にも見通しが立ち、
義妹たちからは、
ハープとギターの演奏のリクエスト。

家族が演奏するのは
ストレスがあることもわかってくれており、
事前の準備は私に負担がないよう配慮してくれた。
(相方さんの負担は、仕方がない)

教会には大なり小なり、パイプオルガンがある。
義父の時には、オルガニストの負傷で、
ピアノに変わったのだった。

今回は、パイプオルガンを演奏してもらえる。


当日、私たちにはマイクの設定など準備があったので、
パイプオルガンのリハーサルに立ち会えた。

教会には、パイプオルガンが似合う。
構造上、教会に響き渡る。
ましてや、木造の教会。
よりまろやかに響くのだ。

この別れの時間、
その音色が皆の心を癒してくれることは
間違いない。

私たちの演奏・・・要る?

しかし、終わってから、
オルガニストが声をかけてくれた。

「ハープとは珍しい。
 とってもよかったよ」。

なんとも有難いお言葉・・・。
他の人からも いろいろ声をかけて頂き、
有難い限りだ。

義母は、私たちの演奏の録画を
喜んで聞いてくれたものだ。

でも、生で演奏する機会は少なかった。
することが多く、
時間を作れなかったのだ。

心身が弱っている義母にこそ、
ハープの生音色を届けたかった。

だから、この後悔をぬぐうべく、
私たちは葬儀で弾いた。

しかし、正直、心の切り替えなど、
家族にはきつい。
家族こそ、癒しが要るのだから。

トロムソにハーピストを。
もっと多くの人にハープの音色を。

葬儀を終えて、
そんな気持ちがより強くなりました。

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「信頼するこころ」にもらった「自信」

2022-11-22 | ノルウェーから

 11月16日14:04

義母の所に行っていた時間。
ああ、もう行かなくていいんだ。

その慣れない時間に、まだボーとしています。

前回、ブログをアップして仕事に出かけたのですが、
仕事場に相方さんが現れたのが、13:00。

「施設から、家族に来てくれと連絡があった」。

駆けつけると、
義母は息も絶え絶えで、
「ああ、会えた」と目で言っています。

叔母が見舞いに行った時は、
それほど悪くなかったそうです。
ただ、叔母が手を握っているのに、
義母は他の手を握ろうとするかのように、
空中をまさぐった
そうです。
それを見た医者が、
「家族に会いたいの?」と聞くと、義母は頷く。

「これが最期」とは言いきれない。
でも、医者の直感で連絡をくれたのです.

その後、呼吸困難に落ちて行ったそうです。

通常なら3時間で来れる所に住んでいる義妹。
ちょうどこの日から道路は凍結状態。
どれだけかかるか。

義母の呼吸が止まる時間が1分を越す。
義妹が着く前に母を逝かせてなるものか
と皆で手を握り肩をさすり、
呼吸が止まる母を呼び起こす。

義妹が着いた時には、皆がほっとして、
涙でぐちゃぐちゃでした。

それから、家族で交替でつききり、
翌朝、5時20分、
義母は安らかに旅立ちました。
義父に迎えに来てもらって。
(私たちは、そう信じています)

この一週間、私にとって、
義母がどれほど大きな存在であったか、
改めて思い知らされています。

義母は、口の上手な人ではありませんでした。
しかし、心の温かい人でした。
いつもまっすぐに私を見る目をしていました。

言葉が通じなくても、
お料理を教えてくれ、編み物を教えてくれ、
意地悪など言われたことがありません。
否定されたこともありません。

エーデルの仕事が決まったときには、
仕事の初日にエーデルに来てくれました。

私の娘、息子のセーターも編んでくれて、
驚きました。

さらに、私の娘が結婚すると聞いて
(子どもはできていません(#^.^#))、
なんと赤ちゃんのお包み、
カーデガンを編んでくれていたのです。

脳梗塞を起こす前の最後の作品で、
作ってあることすら
私たちは、知りませんでした。

私の娘が妊娠したと聞いて、
何かしきりに言いたがる義母から、
義妹が見つけてくれたのです。

私の母が私たちに歌ってくれた「モーツァルトの子守歌」を
私と相方さんで演奏し録音したものを、
もうすぐ生まれ出てくる孫にと、送りました。

義母はそれを聞きながら、涙を流すのです。
まるで私の母もここにいるかのように、
一緒に泣きました。

また、彼女は、私の子どもや孫の写真や動画を
実に愛おしい目で見て喜んでくれるのです。

義父が亡くなってからは、がくんと体調も落ち、
本当につらい時間だったと思います。

言いたいことが言えなくて、泣く義母。

ノルウェー語がろくにできず、
言いたいことが言えない悔しさ・辛さを味わっていた私には、
彼女の気持ちが痛いほどわかりました。

だから、連想ゲームをするかのように
ヒントから探るのです。
結局わからなくても、
笑顔になってくれました。

右腕が動かず、腕や手首の痛みが増すと、
体調だけでなく、
脳の働きにも影響することに気づき、
行くたびに腕のケアをしてきました。
これは、私の母にもしてきたことです(岡先生の指導)。
コロナ期も
療法士さんが辞めた後もずっと。

その度、彼女は、ニコッと笑えるようになり、
帰り際に左手を振ってくれます。

施設のカフェに車椅子で行くと、
私がお年寄りのお友だちと話すのを
嬉しそうに見ています。

だんだん、私のノルウェー語でも
彼女に通じるようになり、
最後の引っ越しでは、
義妹の説得にも首を横に振っていたのに、
私と話して「引っ越す」と言ってくれました。

引っ越し後の急変に、
あれでよかったのかと思いめぐらしましたが、
実際最期を迎えて、
これでよかったのだ、
と確信しています。

私を心から信頼してくれた義母に、
涙があふれるばかりです。

日本生まれで日本育ちの私の中に、
理解できないこともあっただろうに。

私の方は、「なんであんな態度なんやろ」と
相方さんにぶつけたこともあります。
そんな未熟な私なのに。

「人を信頼する」とは、こういうことなんだ。

ノルウェーに来てから、
日本で当たり前にできたことができなくなり、
「私に何ができるの?」と
自信を無くしていた私。

「自信」をくれたのは、
私のことを信頼してくれる心だったのです。

私を受け入れ、私を信じてくれた。

私はこの心を
義父母から、
教えてもらっていたのだ、
と今よくわかります。

今思えば、
私の父と母も同じ心でいてくれたのでしょう。

「あんた、今頃わかったんかいな」。

私の父母、義父母、
今頃は4人で笑っていることでしょう。

葬儀は、11月29日。

それまで、ゆっくりします。

こちらは、極夜に入りました。


11月19日14:11
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願うは、「心穏やかに 笑みを浮かべる義母」

2022-11-15 | ノルウェーの福祉
皆さん、お元気ですか?
2週間、アップできませんでした。
覗いてくださっていた方、ごめんなさい。

実は、
義母の転院でバタバタしておりました。

元の施設も待機している人が多いので、
退去も早急に進めたいと
家族で頑張っておりました。

洗濯機、乾燥機、冷蔵庫などの電化製品、ソファなど、
大きいものはネットですぐに全て売れ、
皆さん、すぐに取りに来てくれました。
お陰様で この週末には、
綺麗に家を空け退去することができました。

ネットの普及あり、
大きい物も自分で運んでしまうフットワークの軽さ、
相方さんの兄妹の結束力のよさもあり、
「10日」で済ませた。

予期せぬ速さでした。

お義母さんは、かなり弱っており、
お医者さんが入院の依頼をするものの、
病院が満室で叶わず、
冷や冷や度は、高まるばかり。

そこへ、待ちに待った
Sykehjemmeの空きが出たと
知らせが来たのが、月曜の夕方。

二日後、水曜日に義母は引っ越しました。

Sykehjemmeとは、
患者10人単位で、医者、看護婦がおり、
個人に合わせてゆったりと関わってもらえます。
個人の部屋には、トイレ、シャワー室、テレビもあり、
家具も持ちこめます。

家族・客人が来たら、
お茶をしながらくつろげる共有のリビング、
食堂では、コーヒーやお菓子も頂ける。
コンサートなど行事も定期的にある。
(日本で言うと、何に当たるのでしょう?)

義母が、これまでいたのは、
Omsorgsleilighet
(日本で言うサービス付き高齢者マンション?)で、
ヘルパーの日常的サポートが受けられます。
看護師はいますが、医者がいない。
家族が病院に連れて行くか、
非常時は
かかりつけの医者が往診してくれていました。

義母は、喋れない上に、
呼びベルを押せなくなるなど、
多くの点で、義母がここで暮らすのは、
きつくなっていました。

手違いでSykehjemmeへの手続きが
遅れていることが発覚したり、
本当にヒヤヒヤする日々でした。

でも、幸いにも、何とか間に合った。
家族は、どんなに安堵したことか。

高齢者の需要に対して、
施設が不足しているのは、
ノルウェーも同じだと思います。

お義母さんも安心したのか、
忍耐の緒が切れたように眠り続けました。
体の痛みもあり、
ますます弱っていくのがわかります。

検査をして原因を突き止め、治療をする。
もう、そういうことはしない。

それが、
本人の希望です。

私たちも覚悟しなければならない時期。

どのような心構えで、
この時期を過ごせばいいのでしょう。

私の父母、義父の時とも違い、
改めて考えました。

心穏やかに 笑みを浮かべる義母

それだけをイメージして、
できるだけ自然体で過ごすことにしました。

義父が亡くなったのは、
昨年6月末。

その頃、ちょうど咲き誇っていた花が、
不思議と今、
うちの居間で
また花をたわわにしています。



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