●2012.3.9.
今回を素老日誌・最終回といたします。
2月、
母はようやく兄の家と病院で
2週間ごとに過ごすことができました。
話すことも自分で体を動かすこともできません。
ただ、「胃ろう」はせず、
注射器で食べ物を飲み込むことがはできています。
私は、母が病院にいるときに、
マッサージをして歌を歌って帰ってきていました。
こうすると、母の表情がはっきりとしてくるからでした。
母は歌が大好きだったからでした。
母に私ができることは、
これくらいしかないと思っていたからでした。
ところが、ある日のこと。
看護婦さんから、
「相部屋なので、外に出て歌っていただけます?
いつでもベッドを外に出しますから」
と言われました。
これまで相部屋でも、
同じ部屋の人に「歌ってもいいですか?」と
確認し了解をもらって歌ってきました。
その前日も部屋の人は一緒に歌ってくれていました。
これまで、こんなことは一度も言われたことはありませんでした。
どうしてだろう?
それから数日後、
ふと私の脳裏に母の声がしたのです。
「晴子、私のことはもうええ。
自分のことをしな」。
そうか、そういうことだったんだ・・・
母のことに労力も時間もかからなくなったのだから、
私は自分のしたいことを思い切りしようと思っていました。
ところが、意外なことに、
これまで自分がしたいと思っていたことに
心も体も動かないのです。
じゃ、私のしたいことって何?
まるで、
全く先の見えない振り出しに戻されたようでした。
これまでは、自分の人生を生きていたんじゃなかったの・・・?
本当に自分のしたいことを見つけなきゃ・・・
だけど、情けないやら焦るやらで、
ますます動けなくなる。
そんなときの看護婦さんの言葉に
気落ちしてしまいました。
でも、母の声が聞こえたとき、
全てがストンと腑に落ちたのです。
そう、今本当に母に安心してもらいたかったら、
自分の感覚に耳を澄まし正直に
自分のために生きること。
私が心から「幸せ」を感じたとき、
母は本当に安心して逝ける。
ひょっとして・・・
これが、母離れ・娘離れ?
そう気づいた瞬間、
自分のための人生を生きる!
という想いが私の中に湧いてきました。
ということは・・・
素老日誌は、
親離れ・娘離れするためのお話だったということ・・・
ということで、
これにて幕を閉じることにいたしました。
皆さん、
永きにわたりおつきあいいただきまして、
本当にありがとうございました。
皆さん、幸せにいましょうね。
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