磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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大田洋子集 第三巻 夕凪の街と人

2006年05月11日 | 読書日記など
『大田洋子集 第三巻 夕凪の街と人』
   大田洋子・著/三一書房1982年

・「夕凪の街と人と」
・「半放浪」
・「八十歳」
・「世に迷う--ふしぎな弟と私」
の四作品収録。




ハーモニカ住宅のことが書かれてありました。

ほかの本ではケロイドをもつ人が、
風呂屋から追い出されたと書かれてありましたが、
この本では、銭湯の客の三分の一が
ケロイドをもっていたと書かれてありました。

原爆一号についても書かれてあります。下「」引用。

「爆心地で廃墟の街の土産物の店をひらいている石河清は、篤子に出会ったとたん早合点した。篤子がなにも云わないさきに彼は云った。「あっ、そうですか。失明はする、家内は男をこしらえて逃げる。十二の娘がめしたきをしてね、七十三のおかあさんに、手をひいてもらって、よちよちあんまをして歩いている人がいますよ。そこへ行って見ましょう。四十五六の男ざかりに、両眼失明ですからね」一九五三年のこの街の実態を、自分の眼で見るために来たという篤子にたいし、自他ともに原爆一号と云っいてる石川清は、気軽そうに云った。」

基町には、四つの階級があるという。
・もとのプチブル階級
・要保護者
・社会的には落伍者
・ルンペン

便所のある家は金持ちと書いてありました。同。
「「土手中に、便所をもっている家はかぞえるほどしかありませんよ。便所のある家は金持です」」


橋なら復興、水道は見た目に復興に思われないので、
橋の復興からはじまったという。

原田東岷は一方的に大田洋子のことを
非難していましたが、ABCCについて
大田洋子も書き残しています。同。

「「その人たちを見ておくことは、承知しましたけどね。私も一度、ABCCで自分の血液像でも診ておいてもらおうかと思っているのよ。どうでしょうね」
「およしになった方がいいですよ」
 あどけない顔をした髪の黒い女教員が、即座に言葉をはさんだ。
「どうして?」
「とても血をたさくん採るんですって」
「行かれん方がええですよ」
 鍛冶屋の妻も声を強めて云った。
「あなた、行ったことあるの」
「ええ、気分が悪うならんから、二度ばかり、仕方なしに診てもらいに行ったんですよ。どこを診察する機械も全部そろっているけれどもねえ」
「どうでした?」
「機械だらけで、まるで工場に入れられたような気がしましたが、それよりも何よりも、大の女を素ぱだがにして、フンドシ一つにされてねえ」
「フンドシ一つ?」
「小さなT字帯にされてしまうんです」
 女教員がおかしそうに口ぞうえした。
「検査のために、血を仰山とられる。誰でも彼でも、女であれば子宮を診るという」
 腹立たしそうに毛利の妻は云った。ABCCの診察そのものを科学的に考えれば、奇妙な気もしなかいが、相手がアメリカ人医師だということと、そこでは一切の治療はしないということとが、婦人たちの心を傷つけ、侮辱感に陥らせていた。篤子は学生を見た。
「あそこでは、統計学上の調査しかしていないのですからねえ」
 やはり冷静に学生は云った。
「それが軍事的要素をもってくるかも知れないことは、やっぱり公表はしないですものね。僕たちの誰にも、ABCCをひっくり返す力はありませんが、国際機関として、民主的方法をとってほしいと思っています。理想主義的な云い方かも知れませんが」
 こんどは鍛冶屋がねいつものもの憂い調子で云った。
「ABCCは壊れて、日本の医者がやったほうがええですのう。アメリカの原子力委員会が、もの凄い予算をだして、大統領の命令によって、あれをやっとるというが、なんの病気一つ、癒す気もないし、癒りもせんですよ、それじゃあせっかく来とっても有難めいわくですのう」」

感情的になる大田洋子の気持をご理解して
いただきたいと思い、長文を引用しました。

法律も人道や正義という心でとらえるなら
いいものだと思いますが、ABCCは日本には
医師法があるので、治療はできないとも
語っていたそうです。

栗原貞子が解説を書いています。

大田洋子の“戦争責任”についても書かれてありました。同。

「しかし洋子が日本帝国主義の中国侵略のさなか北支(中国北部)に行き取材して書いた「桜の国」(朝日新聞懸賞小説当選、一九四〇・一)や「暁は美しく」など、戦争協力の小説やエッセイを書き、何冊もの単行本も出版したことなど、苦い思いをさせられるのは私だけではないだろう。彼女が被曝後、自らの戦争責任に対しては口をつむったまま、戦争の被害者として原爆の苦悩を書いたことが、彼女の原爆文学に対する文壇の人たちの疎外となったのではないだろうか。」

それだけが原因だとは思えませんが……。

この下の文章は意味ぶかいと思います。同。

「「原爆は終わった」、「終わった原爆をことごとしげに書く」と非難されたが、原爆は終わるどころか核戦争の絶滅の深淵の前に経たされた世界の民衆が反核運動に立ちあがり、日本でも六百名に近い文学者が反核声明に結集した。核兵器の存在が人類の存在を脅し続けている今日、原爆文学は世界の人たちの関心事である。壊れた体で、占領下に書く心理的抑圧を感じながら、血反吐を吐く思いで書いた洋子の原爆文学が、死後十九年目に各国で翻訳される動きがあり、やっと正当に受けとめられようとしていることに、私は深い感慨をおぼえずにはいられない」

「ヒロシマは未来だ!」
これは脅し文句ではありませんでしたね。
チェルノブイリの人たちは、
広島や長崎の人たちと共感する部分が多い
のも当然かもしれません。

そして
「チェルノブイリは未来だ!」
この言葉を軽く受け止められない
人たちもいます……。





【大田洋子集】
第一巻 屍の町第二巻 人間襤褸
第四巻 流離の岸




[関連本]
草饐(くさずえ) 評伝大田洋子--
女がヒロシマを語る



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