磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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長崎活水の娘たちよ  エリザベス・ラッセル女史の足跡……

2007年08月17日 | 読書日記など
『長崎活水の娘たちよ
    エリザベス・ラッセル女史の足跡……』
      白浜祥子・著/彩流社2003年

日本のいろいろなところで、外国の方の努力によって、日本の文化は豊かになったり、高められたりしていますね。それは、今も昔も同じ……。ただ、戦時中はちがいました。



表紙写真。下「」引用。

「写真はエリザベス・ラッセル、養女のエレン・メイ・ラッセル
背景は長崎・南山手の活水学院ラッセル館(明治20年頃)」

帯に書かれてあります。下「」引用。

「北にクラーク博士、南にラッセル女史有り…
日本の女子教育の
先駆者、「活水学院」の
創設者の足跡!
売春防止法を成立させた神近市子、日本で初の女性大臣となった中山マサらをはじめ多くの人材を世に送り出したミッションスクール。女子教育のために心血を注いだ創設者・アメリカ人女性の生き方!」

いい言葉が書かれてあります。下「」引用。

「「この世のもっとも尊いものは、希望と勇気を与えてくれる愛である」
 ラッセル女史はこのころ、ある宣教師からエジプトで宣教活動をしていたときの話を聞く機会に恵まれた。そのときそれほど深い感銘を抱かなかったとはいえ、生涯を大きく左右する出会いとなった。」

希望と勇気を与えてくれる愛……。

--ジョン・レノンもそうだと思います。


明治十五年(一八八二)六月八日。
--長崎市内の東山手十三番地の丘の上に落成した校舎は、ラッセル館と命名。

当時、長崎区といわれていたそうです。
区長永井俊行は、夜間学校をつくったそうです。

中山マサの父はパワーというイギリス人。
母ナカは、混血児であるマサに、できるだけの教育を身につけさせたいと……。

--ギャンブル館。
ラスベガスみたいなのがあったのかと一瞬思いましたが、ギャンブル夫人の協力によってできた校舎のことをそう呼んだようです。

--長崎原爆
活水の職員六名、生徒三十五名失う。














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