磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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40年目の証言 あの日のナガサキ

2007年09月27日 | 読書日記など
『40年目の証言 あの日のナガサキ
   魔の瞬間を取材した被爆記者の記録』
       松野秀雄・著/市民出版社1985年

この本では、ソ連参戦のことがわりと書かれてありました……。高射砲を指示するのは、誰だったのでしょうか?



ナガサキ原爆、その日の朝のニュースとして同盟通信社の記者たちは知る。下「」引用。

「長崎市に原子爆弾が投下される数時間前、昭和二十年八月九日(木曜)の朝、長崎市馬町にあった同盟通信社長崎支局は異常な興奮に包まれていた。ソ連参戦のニュースが入ったのだ。-略-「ソビエト政府は八月九日以降、日本と戦闘状態に入る旨宣言」」

しかし、長崎市民はまだ、そのことは知らなかったという。
知る前に原爆があり、その日の夕方のラジオ放送があったそうだが、長崎市民はラジオをきくこともできなかった……。
……当時、ポータブル・ラジオはなくテレビもなかった。

長崎駅長・山川渕の証言がありました。当時長崎消防署か大学病院詰めとして派遣されていた消防分隊長熊本三郎氏(長崎市在住)の話もあり、永井隆博士のことも書かれてありました。

馬の死骸がいろいろな資料でかかれてありますが……。下「」引用。

「秋月辰一郎聖フランシスコ病院医長にこの話をしたら、「それは三菱兵器製作所の大橋工場から茂里町工場へ製品をピストン輸送してた。そのため長崎荷馬車組合の大半が徴用されていたのだ」という。」

玉音放送をデマとする憲兵隊員たち。下「」引用。

「岡田市長は、
「いつから軍政がしかれたのか! 知事の命令がない以上、そんな重要なことを市民に通達するわけには参らない」と突っぱね、憲兵を追い返した。念のため総務部長住田政之助を立山町の県防衛本部に走らせ、知事の意向を聞いたが、陛下のお声に間違いなく、終戦は事実であることを確認した。」

給料がよかったという憲兵隊員たち。


当局の怠慢と書かれてありました。下「」引用。

「だが、広島でも高空からB29の少数機にやられた。広島の被害や爆撃の状況を、いち早く国民に知らせなかった当局の怠慢に、私は限りなく憤りを覚える。「少数機でも、あなどるな。高空からのB29に厳戒」との警告が出されたのは、長崎が壊滅した後である。」

しかし、小倉は高射砲で守っていたということを、今年のNHKのラジオでも伝えていました。

だけども、高射砲では守れなかったと指摘する人もいたと思う……。


この本は多くの箇所が、

被爆記者の証言 太陽が落ちる

と重なっていました。










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