龍の声

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「平成の御代の最終章に思う」

2018-11-18 07:50:17 | 日本

菅家一比古さんが「平成の御代の最終章に思う」の掲載があった。
以下、要約し記す。


⇒   
「天皇の神格化を否定する。」戦後民主主義はそれが大前提として始まったように思います。天皇主権を否定し、国民主権と大声で謳(うた)われ、誰もが戦後民主主義、即ち国民主権こそが常識であると信じるようになったのです。いつから日本人はそんなに偉くなったのか、あなたはいつこの国を造ったのか。

戦後七〇年の日本が本当の日本なのでしょうか。とんでもありません。三千年近くにわたって「天皇国家日本」だったのです。これが日本の常識です。我々の遠いご先祖たちや先人たちは、天皇、皇室を中心に、国家建設、国家運営に血と涙と汗を流し続けて来たのです。誰一人として「天皇国家日本」を疑った人はいないのです。

日本の悲劇は明治維新以降、天皇国日本、神話の国日本が近代国家の仲間入りを果たすため、西洋合理主義の近代化に軸を置いたことです。また、大東亜戦争敗戦によって、日本の古き良き伝統、文化、歴史、精神を否定したことです。

先ほどの天皇の神格化の話に戻します。柿本人麻呂(七世紀)、大伴家持(八世紀)は、この時代既に天皇を神として詠(うた)っています。この時代、急に神に成ったのではなく、神武建国以来、天皇の神格化ではなく、「神格」として日本の民草(たみくさ)の心に有り、眼に映っていたのです。

数千年前から古事記の口伝による伝承は続き、天武天皇の時代(在位六七三~六八六)稗田阿礼(ひえだのあれ)の口誦を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録し、ここに初めて文章化したのです。今年は皇紀二六七八年です。しかし実は日(ひ)の本(もと)は神武天皇建国以前から既に在ったのです。

では、一体何処に在ったのか。それは目に見えない世界、在(顕・有)らしめてやまない世界、高天原に在ったのです。高天原世界の神々は、自分達の現(映)し世を観て喜びたかったのです。それが日の本でした。

現(映)し世がそれによって天皇(天津日継)を中心に大和楽(わらく)を創出、形成し、それを観ている神々は大歓喜に包まれます。ですから、高天原と日の本(現世)の関係は、大歓喜、大和楽となるのです。

日本とは宇宙の眼に見えない姿、形、エネルギー、法則、システム、奥義、秘法が全て含まれ、再現化、または体現化されたと言ってよいでしょう。それが封印されているのが神道なのです。

神道、古神道を紐解けば、日本文化の本質が明らかになり、日本の世界的使命が観えてきます。その中心霊性として現れたのが、日本国天皇です。日本は正真正銘、天皇国家なのであり、天皇を神格化したのではなく「神格」そのものだったのです。
何か大きな足音が迫ってきているように思えてならない今日この頃なのです。












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