連休、北千住の街を散策しました。とても似賑わっている街です。
千住は徳川家康によって千住大橋が架けられたころから、魚や野菜が集まり、
東照宮へ続く日光街道・奥州街道の宿場として賑わいはじめたそうです。
また、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を出発させた場所としても有名です。
行く春や鳥啼き魚の目は泪
お祭りの看板が掛けられています。どこでやっているのかな~?
とりあえず進んでみましょう。
千住宿には本陣が2ヵ所あったそうですが現在はこの「千住本陣跡」の石碑が100円ショップの前にポツンとあるだけです。(上の画像の左下あたり)
しばらく歩くと古いお家が2件見えてきます。
千住絵馬屋・吉田家
千住絵馬屋(吉田家) [吉田家は、江戸時代 中期より代々絵馬 をはじめ地口 行灯 や凧 などを描いてき た際物問屋である。手書きで描く絵馬屋は都内にほとんど見掛けられなくなって、希少な 存在となった。当代の絵馬師は8代目で、先代からの独特の絵柄とその手法を踏襲し、江 戸時代からの伝統を守り続けている。縁取りした経木に、胡粉と美しい色どりの泥絵具 で描く小絵馬が千住絵馬である。絵柄は、安産子育、病気平癒、願掛成就、商売繁盛など 祈願する神仏によって構図が決まっており、三十数種ある。これらの代表的絵馬が、現在 吉田家に一括保存されている。時代ごとの庶民の祈願を知るうえで貴重な民族資料であ る。
平成4年3月 東京都足立区教育委員会
横山家住宅
伝馬屋敷(横山家)(Panoramio) [宿場 町の名残として、伝馬 屋敷の面影を今に伝える商家である。伝馬屋敷は、街道 に面して間口が広く、奥行きが深い。戸口は、一段下げて造るのが特徴である。それは、 お客様をお迎えする心がけの現れという。敷地は、間口が13間、奥行きが56間で鰻の寝 床のように長い。横山家は、屋号を「松屋」といい、江戸時代から続く商家で、戦前まで は手広く地漉紙(じすきがみ)問屋を営んでいた。現在の母屋は、江戸時代後期の建物で あるが、昭和11年に改修が行われている。間口が9間、奥行きが15間あり、大きくてどっ しりとした桟瓦葺の二階建である。広い土間、商家の書院造りと言われる帳場二階の大き な格子窓などに、一種独特の風格を感じる。上野の戦いで、敗退する彰義隊が切りつけた 玄関の柱の傷跡や、戦時中に焼夷弾が貫いた屋根など、風雪に耐えてきた百数十年の歴史 を語る住居である。
平成2年10月 東京都足立区教育委員会
右側のシャッタの中に彰義隊の刀跡が残っているそうです。
槍かけ団子で有名な「かどや」さん。
昭和22年創業の老舗。備長炭で軽くあぶっている団子はもちもちと香ばしい。
名前の由来は、なんでも水戸徳川家二代藩主光圀が江戸と水戸との往来のために千住宿をよく通り、『槍』を近くの清亮寺にあった松の木に『立て掛けた』、 その『松の木』の前にあった団子屋なので『槍掛け団子』と言うようになったそうです。
それにしても・・・建物が新しくなっている~以前は西新井大師でご紹介したかどやさんと似た建物だったのに三階建の建物になってます。
あんことタレをいただきました。やわらくて美味しいです。
名倉医院
江戸時代に「骨接ぎ」を開業し、名医として名を馳せたそうです。
もちろん現在も開業中です。
建物に歴史と風格を感じますね。
隅田川の河川敷に出るとお祭りが行われていました。
ちょっと覗いでいきたかったのですが富士塚巡りもあるので河川敷から眺めながら歩き 大川町氷川神社の「大川富士」を見てまた歩き始めました。
銭湯があります。立派な建物ですね。
「大黒湯」さん。
石黒のあめ
創業は昭和8年で手作りの飴100gから売ってくれます。
木枠の中に25種類の飴が並びます。
以前に訪れた際ははミックスされた袋を買いました。
しばらく歩くと神社が見えてきました。
千住本氷川神社
概要
千住本氷川神社の概要 千住本氷川神社は、足立区千住にある氷川神社で す。徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に 千葉山西光院と共に、氷川神社として創建され、 江戸時代初期、当地に分社として建立しました。 明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田 氷川神社を合祀し、さらに昭和45年に社殿を新 築して現在に至っています。千住七福神の大黒天です。
足立は氷川神社が多いですね。
千住本氷川神社鳥居
千住本氷川神社拝殿
千住本氷川神社旧社殿
千住本氷川神社三精稲荷神社
そして今度はお寺さんが見えてきます。赤い門が特徴です。
勝専寺
「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする。寺伝 では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開 山、新井政勝を開基とし草創されたとい う。 江戸時代に日光道中が整備されると、ここ に徳川家の御殿が造営され、徳川家忠・家 光・家綱の利用があった。また日光門主等 の本陣御用を勤めた記録も見られ、千住宿 の拠点の一つであったことが知られる。 加えて当寺は、千住の歴史や文化に深くか かわる多くの登録文化財を今に伝えてい る。木造千手観音立像は千住の地名起源の 一つとされ開基新井政勝の父正次が荒川か ら引き上げたという伝承を持つ。 ほかに1月と7月の15・16日の閻魔詣で知ら れる寛政元年(1789)の木像閻魔大王坐像、巻菱潭の筆による明治12年(1879)の 扁額「三宮神山」を山門に掲げるほか、千 住の商人高橋繁右衛門の冑付具足を伝来し ている。いずれも足立区登録文化財となっ ている。(足立区教育委員会掲示より)
徳川家ゆかりのお寺のようですね。
本堂
このあと千住神社「千住富士」を見てさらに南下しました。
白幡八幡神社
概要 白幡八幡神社は、足立区千住仲町にある八幡神社 です。白幡八幡神社は、源義家が奥州征伐に赴く 際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、 その白幡が名称の起源となり祀られることになっ たといいます。千住七福神の毘沙門天です。
千住七福神毘沙門天
千住大橋
家康が作らせた橋は現在地より200mくらい上流にあったとか。
芭蕉が旅立った場所もそうなのでしょうか?
大橋公園の壁
奥の細道はよく読み返しました。久しぶりに読み返そうかな~なんて思いながら、足立区で残りの富士塚へ向かいました。