ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

今の韓国との関係について・・・嫌韓じゃなかった人まで腰が引け始めてますよ

2019-09-17 09:27:45 | Weblog
今、日韓関係で、いろんなゴタゴタが起こっているようですが、その一つ一つについて具体的に感じたことを書くつもりはありません。ただ、日本人の一人である私の心の動きから、大きな懸念を感じるというお話をちょっと・・・

歴史認識についても、今起こっていることに対する思いにしても、日本国籍の人間がみんな同じことを考えたり感じたりしているわけじゃありませんよね。嫌韓っていうんですか、何でもかんでも韓国が悪くて、韓国人なんか皆大嫌いという人たちもいれば、先の戦争で韓国の人たちに辛い思いをさせたという事実は確かにあるのだから相手が納得するまで何度でも心を尽くした対応をすべきだと思う人たちもいるでしょう。

わたしはといえば・・・たぶん一番多いタイプ・・・真ん中あたりにふわっといる人間だと思います。なんていうか・・・戦時中の日本について、今の私たちの価値観や善悪の感覚からすれば道を外れてるなと思うことが、他国の人たちに対してはもちろん、自国民に対しても行われていたということは、ハッキリと認めるべきだとリ思います。ただ、当時のことを今の正義で断罪するのはフェアじゃないとも思っています。当時の世界的時流とか、当時の人たちの置かれていた環境とか、そういうことを抜きに一方的に断罪するのはおかしいと思っています。また、戦った者同士、お互いに犯してしまった罪を、戦敗国だけが悪と断じられて罰せられることになるのは、戦争の常とはいえ、これもフェアではないと思っています。また、戦争中の日本人が非道なことしかしなかったとは思えないので、悪いことは悪いこと、良いことは良いこと、ちゃんと冷静に判断されるといいのになと思います。

では、戦後、戦敗国の日本はどうしていけばいいのか・・・一言で言うと、同じ過ちは二度と犯さない、つまり二度と戦争をしに国外に出ていかない、自国民を戦争に狩りだして死なせないということにつきると思います。これは、負けたからこそ得られることだと思います。勝って、戦ったことが正義だとお墨付きを得た戦勝国では、決して不戦の気運は生まれませんからね。じゃあ、攻めてこられたらどうするのか・・という難しい問題はありますが、とりあえず、それはおいておいて・・・戦争なんかしたくない、だって他の国の人を殺したくないし、自国の人に死んでほしくないもの・・・一部の人からすれば軟弱な理想主義かもしれませんが、日本人の多くは、本気でそう思っていると思います。

でも、そういうことじゃなく、先の戦争で酷い目にあわされたんだから、何度でも何度手もこちらがいいというまで謝れ、何度でも何度でもこちらが満足するまで金を出せという韓国に対して、どういう態度をとるのか・・・

わたしも、少し前までは、どちらかというと「相手が納得するまで頭を下げましょう」側よりの真ん中派でした。韓国は、日本と戦って勝った戦勝国として戦利品の取り分を求めているのではなく、完全に被害者の立場ですからね。個々の案件については、いろいろあるとは思うのですよ。慰安婦の問題にしても徴用工の問題にしても、日本は何も悪くないと思いたい人たちの中には「強要されて働いたのではない者もいる」と言っているようですが、実際に望まぬ酷いことを強要された人、実質強要された人が大勢おられるに違いないと思うので、そこは本当の被害者が置き去りにされないよう、そうじゃない人がいたとしても、それは目をつぶるべきだと思いますし。

ただ・・・昨今の韓国の様子をニュースで見ていると・・・そんなわたしでも、「こりゃあ無理だな」と思えてきています。「韓国という国は、日本が何をしようと何を言おうと、けっして終わりにするつもりがない国なんだろうな」って、そういう印象を持ち始めています。私の中の良心は「そんなこと思っちゃだめだよ。諦めないで誠意を尽くさないとだめだよ」っていうのですが・・・「いや~、そうは思うけど・・・現実的に考えれば、無理でしょう」って声が大きくなりつつあります。だからといって、韓国にダメージをあたえるようなことを積極的にすべきだとは微塵も思いませんが、「できるだけ距離を置いて関わらない方がいいよ」って思ってしまっています。関わらないでいられるかどうかというと、それも難しいですし、現在、韓国と取引をしている会社さんはダメージをうけるでしょうが、仲良くするのが絶対に無理なのだとしたら、喧嘩してお互いに傷つくのをされるためには、距離をおくしかないのではと・・・

で・・・ここからが、今日、言いたかったことなのですが・・・わたしのような、さして問題意識もなく、韓国に対して否定的な気持ちを持っていなかった一般的な日本人ですら、こんな風に感じ始めているというのは、両国の関係にとって、完全なる黄色信号だぞと思うわけです。

個人の人間関係でも「みんな仲良く」は難しいことですよね。ましてや国家間の関わりで「みんな仲良く」なんて絵空事以外の何ものでもないのでしょう・・・。でも、可能な限り、争いごとは避けられるといいな。そのために距離をおくことが役に立つなら、それも悪くはないのじゃないかしらね・・・なんて、思うのでありました。

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池袋で87歳の男性が運転する乗用車が暴走というニュースを見て

2019-04-20 17:58:31 | Weblog
昨日、豊島区東池袋の都道で、87歳の男性が運転する乗用車が次々に歩行者をはね、自転車で横断歩道を渡っていたお母さんと三歳の女の子が亡くなったというニュースがありました。

なんというか・・・言葉がない・・・

けど・・・どちらの立場での苦悩も出来る範囲で理解した上で・・・この事故(もはや事件なのかもしれません)自体からは離れて・・・あえて、高齢者の運転事情ということを少し話したいなと思います。

日記のブログでは書いたのですが、この春、まさに87歳の誕生日を迎える母が、高齢者の免許更新の事前手続きで認知症の疑いを指摘され、悩んだ末に、運転免許証の返納を決意しました。

70歳を越えたドライバーが免許を更新するには、事前に高齢者講習というのを受けなくてはなりません。それが75歳以上になると、さらにその前に講習予備検査(認知機能検査)等を受けなければなりません。母は、この講習予備検査で引っかかったわけです。

予備検査の結果で認知症の疑いなどが見つかっても、即座に「あなたは免許を更新できません」とは言われませんが、専門機関で「認知症ではない」という証明をもらってください、でなければ更新手続きは出来ませんと言われます。その書類に専門機関の紹介などはなく、主治医に問い合わせて教えてもらったところ、近隣でその証明がでせる専門機関はとても少なく、診察日や診察時間も限定されていて、もちろん人数限定の予約制で・・・とても免許更新の期日までに診察をうけるのは無理なんじゃないかと思えるような、高いハードルです。というか・・・それ以前に、認知症の疑いありと言い渡されることで、相当の心理的ダメージがありますから・・・言外に「お願いだから、もう、運転は辞めてくださいよ」というメッセージが感じられます。

そのメッセージは、家族の思いも代弁したもので・・・警察と言えど、大きな事故も規定を越えた違反もない人から、強制的に免許を取り上げることはできないから、なんとか自分から更新を諦める、あるいは返納すると言ってほしいがための工夫として理解できるのですが・・・認知症と言われた母の落ち込みを見ていると、正直、胸が痛くなります。

運転免許更新を、つまり車の運転を続けることを諦めた母は、一気に老け込み、体調も崩してしまいました。一週間以上寝込み、ほとんど食事もとれず、このまま寝たきりになるのではないかと本気で心配しました。病院でもなかなか原因が分からなくて、どうしたものかと困り切っていたのですが、しばらくして酷い胃潰瘍であることが分かり、その治療をはじめてからは、たいぶ体調も戻ってきました。でも、まるで以前の母とは違ってしまいました。

都会で暮らしておられる高齢の方たちは、自分で車を運転する必要を、あまり感じられないと思いますが、田舎で暮らすものにとって、車というのは自分の足と同じくらい大切なものです。しかも、むしろ高齢になればなるほど、その必要性が増します。田舎で暮らす高齢者から運転免許を取り上げるということは、その分を家族がケアするか、高齢者自身が自分の行動範囲を狭めて暮らすしかありません。仕方のないことではありますが、やはり、相当の覚悟、あるいは諦めが必要です。

わたしは母に、できるだけ幸せに長生きして欲しいと思います。家族以外の人とも関わり、部屋でテレビを見る以外のこと(母の場合だと畑仕事)も積極的にして欲しいと思います。そのために、せっかく作った野菜を、自分で農協の直売所に持っていくことが続けられたならどんなにいいだろうと思っていました。それで、軽トラの運転が大変になってきたら、小ぶりの電気自動車(コムス)に変えてみたりもしました。でも、そのコムスも、もう運転できないわけです。

今は、運転免許が必要ないシニアカーを買おうと話はしています。今はまだ、シニアカーを買って、農協の直売所まで野菜を持っていくというようなところまで体調が回復していませんが、そう考えることで、気持ちが少しは前向きになって、体調も上向きになればと思っています。

人を傷つけてしまったり、自分自身を傷つけてしまってからでは遅いので、まだ大丈夫と思う間に、車の運転を諦めて、生活の仕方を見直して、今の自分に合った、これからの自分のことを考えた、新しいライフスタイルに移行していくってことが必要なのだと、十分に分かってはいるのですが・・・自分の衰えと向き合うのは、とても勇気のいることです。否定的にではなく、自分の衰えを受け止めるのは至難の業です。

今は、母のこととして考えていますが、遠くない未来に、自分の問題として直面しなければならない事でもあります。長生きすることが不幸せなことになってしまわないようにするには、どうすればいいのか・・・なかなか簡単には答えが見つからないのですが、母と一緒に、見つけていかなくてはなりません・・・。

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売名かどうかより、邪魔してないかどうか

2018-08-10 09:44:10 | Weblog
ここのところ自然災害が続き、被災地にはボランティアの人たちが駆けつけて、片付けのお手伝いなどをしていらっしゃるようで・・・この暑さの中、ほんとうに頭が下がります。口は動かしても体を動かさない私の様な人間は、そういう方たちの前では身が縮む思いです。

で・・・タレントさんなど有名人の方も、被災地を訪れていらっしゃるようで、そういう報道があると必ず聞こえてくるのが売名云々って話です。きっとごくごく一部の人の声を拾っているだけだとは思いますが。

で・・・売名っていうのは、わたしの理解では、自分に利益がもたらされるよう期待して行動をしているってことだと思うんですが・・・そうだとしたら、まったく問題ないですよね。他者に役立つ行為をして、自分も得をする、むしろめちゃくちゃいいじゃないですか。何かしてもらった人も、それだったらあまり引け目を感じる必要もないし、いわゆるウィンウィンってやつじゃないですか。してもらうだけって、案外、気持ち悪いものですからね。

それより問題は、相手の為と思ってしていることが、むしろ邪魔になっているとか害になっていることですよね。まったくの好意、ただただ相手の為だけを思っておこなわれたことでも、結果、迷惑になっていることもあって、その方がよほど厄介じゃないですか。

だから、よく考えられた双方得の売名バンザイ、自分の気持ちだけで突っ走ってしまう好意は自重・・・だと、わたしは思います。

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相撲界の女人禁制について

2018-04-07 07:16:54 | Weblog
舞鶴での興行中、土俵上で倒れた市長の救命処置をしている女性の看護師さんに、行司さんがアナウンスで降りろと言ったことが問題になっていますね。また、そのすぐ後の興行先で、女性の市長さんが、やっぱり土俵上での挨拶を拒まれたってことも、またマスコミなどで取り上げられていますね。

まず、最初に、基本的な意見を言わせていただくと、ある組織が自分たちの決まり事として女人禁制をとっていても、別にいいんじゃないって思います。その組織が、伝統のある組織であろうとなかろうと、それが宗教的なものであろうとなかろうと、公的機関ではない私的な組織であるなら、決まりは自分たちでお決めになればいいと思います。他人がとやかく言うことじゃない。もし、その組織が、人気商売であるなら、顧客感情は無視しない方が、商売上好ましいだろうとは思いますが、そういうことを考えるのは、その組織を運営する人たちの問題ですしね。

でも、まっ、舞鶴での出来事は、人の命に関わることでしたから、救命処置をしてくださったにも関わらず失礼なことを言われてしまった看護師さんには、感謝とお詫びをするっていうのは当然で、実際にそうされたのは良かったんじゃないかと思います。アナウンスをした行司さんに関しては、突然の出来事ですし、市長の支援者の女性がただ心配で駆け上がっただけに見えたかもしれないし、周りの観客からのプレッシャーなどもあったようですし、そんなに責めちゃ可哀想ですよね。判断、誤っちゃったね、次から気をつけようねってことでいいんじゃないですかね。で、今後は、会場には必ず男性医師と男性看護師を常駐させることにするとかね。若い行司さんに、またアナウンスを指示したという先輩行司さんも含めて、彼らに相撲界の諸問題を全部背負わせるみたいに騒ぐのは、ちょっと可哀想に感じます。ただ、土俵上で、処置をしている女性看護師さんのそばで「下りろ」と言っていた人が居るという話もありますが・・・それが本当なら、その人に関しては、何が一番大事か、何が一番優先されるべきか、一度ゆっくり考えてみて欲しいですけどね。

女性の市長さんとか偉いポジションの人が、挨拶や何かしらの授与の時にも土俵に上がれないことに関しては、それはそういう決まりだというのなら、上げなきゃいいんじゃないですか。でも、挨拶してもらうのに、授与してもらうのに、他の男性たちはいいけど、あんたはダメだというのも確かに失礼ではありますよね。市長さんたちだって、勝手に押しかけて用事もないのに土俵に上げろって駄々こねているわけじゃないですから。だから、そんなに女性を土俵に上げない決まりを守りたいんなら、土俵以外に挨拶用とか授与式用の一段高い場所を恭しく作って、男性でも女性でも、相撲の取り組み以外のことはそっちでやるっていうのはどうでしょう。相撲界が絶対に守りたいルールを守りながら、人気商売として顧客感情も配慮できる変更じゃないでしょうか・・・って、勝手に提案させていただきます(^^;。以前は、偉い人と言ったら男性に決まっていたんでしょうけど、これからは女性の首長さんだって女性の社長さんだって増えてきますよ。いい加減、対策しておくのが賢いと思いますけど・・・まあ、それは大相撲協会さんが決めればいいことで、わたしがとやかく言うことでもないですよね、はい。

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学校教育法施行規則の一部を改正する省令案及び高等学校学習指導要領案に対する意見公募

2018-02-15 09:29:36 | Weblog
文部科学省では,平成28年12月21日の中央教育審議会答申「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」等を受け,学校教育法施行規則の一部改正及び高等学校学習指導要領の改訂を予定しています。つきましては,本件に関し,広く国民の皆様から御意見をいただくため,パブリックコメント(意見募集)を行います。

と、文部科学省から発表がありました。期間は平成30年2月14日から3月15日まで。電子メール、郵送、FAX、政府の総合窓口で受け付けるとのことです。詳しいことは、初等中等教育局教育課程課教育課程企画室(電話 03-5253-4111 内線2367,2368)に問い合わせてください。

これ、どれくらい参考にされるのかなぁ~。声を上げる人のタイプにも偏りがあると思うから、参考にするにしても難しいとは思うんだけど・・・でも、まあ、こういうことがないよりはいいですよね、きっと。

以前から、よく言っているんですが、ゆとり教育って、考え方の根本は悪くないと、わたしは今でも思っています。ただ、それを実施できる人材の育成もせずに始めたから、実際には肝心なことが何も実行できなかったんだと思っています。それでもって、ゆとり教育をうけた子たちが社会人になった時、彼らの上司や先輩になる人たちも、彼らをどう扱えばいいかが分からなかったわけですよね。自分たちを基準にするしかないわけで・・・お互いに、相手のことが分からないって思って当然の状況だったわけです。

これも、よく話してきたことですが、藍那と裕太がお世話になった幼稚園の園長先生が、指導要綱が大きく変わった時の現場の苦労を聞かせてくださったことがありました。もうずいぶん前のことで、記憶がずいぶん曖昧なんですが、たしかこんな例を挙げてくださった気がします・・・泣いて親から離れられない子どもたちに対する対応に関して、ずっと「無理やりにでも親から子供を引きはがし、親にはすぐに帰ってもらうように」という方針だったのが、急に「子どもが親から離れられない場合は、親御さんに教室に入ってもらい、子どもが落ち着くまで一緒に居てもらうように」と変更されたとか。園長という立場から、それを教諭の皆さんに伝え、実行を徹底させないといけないのだけれど、なぜそう変更されたのか、自分でもちゃんと納得できないまま、先生たちを指導していくのには迷いがあったとのことです。

一度決めたことは変えちゃいけないということになれば、良くしていくってこと自体が不可能になるので、どんどん変化していくことは必要なことで、そのために現場に苦労をかけることもある程度は致し方のないことではあるのでしょうが・・・"正しいこと"は常に変化するという不安定さは、人を教える立場の人にとって、心理的に大きな負担であることは考慮しなきゃいけませんよね。

えっと・・・だから、意見募集っていうのも「どうせ何も聞いてもらえない」「きっと形だけに違いない」と思いつつも、声を上げていくべきなのかもしれません。きっと、募集している側の人たちは、いわゆる専門家の偉い人たちなわけですから、届ける声は、立派な意見じゃなくて、リアルな保護者としての意見とか、現場の教師としての意見とか、自分が児童・生徒・学生として感じたことを、簡単な言葉でいいから届けるといいのかもしれません。

といいつつ、自分は応募するかと言われたら・・・しないだろうな、とは思いますけど(^^;。

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政治の話は嫌いだけど

2017-09-27 10:16:43 | Weblog
別のところで話したことなんですが
そういえば、これこそこのブログ向きのテーマだなと思って再掲です。
テーマはあってると思うけど、内容は相変わらずスカスカの雑感ですのでお許しを。

******************

あいや~
また新党が結成されましたね。
そうなるだろうとは思っていましたけど

銀行の名前と政党の名前は
もう私の頭では覚えきれません。
だって、くっついたり離れたり
どんどん変わっていくんだもん。

今の与党に不満があるけど
既存の野党に期待できないとなると・・・

まあ、とりあえず一回は新しい党にチャンスをあけて
すぐに結果が出せないとしても
何かしらの手ごたえがあれば育てていきたい・・・

そう思うのは、国民として自然な感情なのかもしれないけど

それで育ったためしがないのは
国民の育て方が悪いのか
そだてられる方に何かしらの問題があるのか・・・

それにしても
新しい党を渡り歩く人たちや
新しい党に乗っかるつもりとしか思えない人もいるでしょ
やっぱり「選挙に勝ちたいだけ」に見えちゃいますよね。

志があって・・・というよりは
それほど議員の身分が欲しいのかなぁ~って。

けど、ふと思ったんですよ
家も三軒目でようやく思うものが建つっていいますし(^^;
なかなか思うような党なんて出来るもんじゃないんだろうなと。

自分一人でだって
何かを作り上げるの大変だけど
思惑が違うお山の大将たちがあつまって
国を動かす集団になろうだなんて・・・
考えれば、そうそう簡単なことではないですよね。

だとすれば
「作ってはダメだと投げ出し、また新しいものをつくるのか」
って批判せずに
「何度でも何度でも、出来るまで諦めずに繰り返せっ!!」
って応援するのもありなのかな。

でも、一度作ったものに責任をもって
その中で、改革したり成長したりするんだって頑張る人も
ちゃんと応援したいし

長く権力を維持し続けた巨大組織の
膿みたいなものを抱えつつ
そのモンスターを御して大義をなそうという志があるなら
それも応援してあげなきゃいけませんよね。

つまり・・・
わたしにとって大切なのは
自分を捨ててまで殉じられる志があるかってことなんだけど

それもまた、変な方向に突っ走られるとどうしようもないし

一構成員の立場からも
運営に携わる立場の人たちにしても
集団を維持管理して、より良い方向にいこいうというのは
なんとも難しいものでありますね・・・

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北朝鮮は悪者でいいとして、アメリカは良者でいい?

2017-09-16 09:03:46 | Weblog


まったく困ったく困った事態ですよね・・・どうすればいいんでしょう。個人レベルでも、大方の人が認める常識が通じない相手というか、対話が成り立たない相手というか、そういう人とのトラブルは、どう解決すればいいのか悩みますが・・・それが国家レベルで核兵器等を振りかざしながらですから・・・外交経験豊富な方たちでも、頭を抱えているみたいで・・・ほんと、非力な一国民ながら、困ったことだなぁ~と、事態を憂いています。

で・・・北朝鮮のやり方がとんでもないっていうのは、その通りで・・・ほんとうに困った国だと心の底から思っていて・・・彼らを擁護する気持ちは欠片も持ち合わせていないんですが・・・

ふと・・・ん?って思いませんか?

きっと多くの方が感じていらっしゃると思うんですが・・・核保有国が、そんのなに胸を張って北朝鮮を責めるって、ちょっと違和感ないですか?

まだオバマさんの時なら、言い訳はできたと思うんですよ。「核兵器は無くさなきゃいけないと心から思っているけど、潜在的に対立している複数の大国が核兵器を大量に保有している現状で、なかなかすぐに放棄はできないんですよ。だから、みんなで話し合いながら、ぼちぼち減らしていきましょうって努力している最中なのに、俺も核兵器欲しいっていうのはやめてくださいよ。どうしても持つっていうなら、けっこう本気で止めにかかりますよ」ってことでしたよね、一応、表明していた姿勢としては。けど、トランプさんになって、そういう姿勢も見えなくなって・・・それでもって北朝鮮であれどこであれ、他の国に核兵器を持つなっていうのは「俺はいいんだよ、俺は偉いんだから。けど、お前らごときが身の程知らずにイチビッてんじゃねえよ」としか聞こえないですよね、ふむ。

とはいえ、日本はアメリカに守ってほしいですからね・・・もちろん、北朝鮮に核兵器であれ何であれ大量殺戮兵器を開発して欲しくないし、ましてや使ってほしくないから、大きな声で、アメリカさん言ってること矛盾してませんかとは言えませんよね・・・それどころか「そうだそうだ」って煽って。北朝鮮を止めてもらいたい。それも無理からぬことではあります・・・残念ながら。

だからね・・・北朝鮮も、もっと理性的な主張の仕方、できないのかなって思うんですよ。長距離ミサイルを他国に向けて飛ばすようなことを繰り返すより、ちゃんと「だって、うちみいな小さな国、核兵器のような文字通りの飛び道具を振りかざさないと、対等に話も聞いてもらえないでしょ。何も持たず、交渉の場に臨んで、あなたたちはちゃんと私たちの主張に耳を貸してくれますか。いいや交渉の場にすら立てない。だからわたしたちは核兵器を持ち、いざとなれば本気でやりますすよという姿勢を見せなければならないんです」って。

もちろん、そう言ったからって「そりゃあそうだね。じゃあ核兵器を長距離ミサイルに搭載して飛ばせられるようにしなさい。その後で、ちゃんと話しましょうね」なんて誰も言わないけど、心の中で「それもそうかな」って思う人や国は増えるかも・・・

でも、まあ、それが出来ない国だから、こうなっているんだろうけど・・・

まったく、困ったものです・・・みんな仲良くラブ&ピースとはいかない性をもってますね・・・我々は。


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菊池桃子さんのPTA活動に関する提言について

2017-02-02 14:14:39 | Weblog
菊池桃子さんが、首相官邸で開らかれた『1億総活躍国民会議』において

PTA活動はもともと任意活動なのに、全員参加が義務付けられているような雰囲気になっており、それが育児をしながら働く女性の負担になっている現状を理解し対策を講じてほしい

という意見を述べたと、 ニュースになっていましたね。これだけ見聞きすると、菊池さんがPTA活動に否定的だと受け取られかねませんが、決してそんなことはないようで

PTA活動に決して否定的になってはいけないと思います。実際に、これまでのPTA活動が子供たちの成長にまた学校教育の場に寄与してきた部分、貢献してきた部分を評価しなくてはなりません。

とおっしゃったようですし、その上で

任意という言葉をもう一度、みんなの中で共有して、確かめあって、本当に手伝いたい時に、手伝いたい者が、仕事の邪魔にならないように、何かできるような仕組みを作っていくことが必要かと思いました。

とのご意見のようです。とすれば、確かにその通りだと思いますが、これは議員の皆さんに考えて頂くというより、各PTAで解決していける問題のようにも感じました。

私自身は、娘が幼稚園にはいった時から、幼稚園、小学校、中学校、高校、全部でPTAの役員を経験しました。
ずっと公立で、基本的にメンバーがあまり変わらない中、幼稚園の時に副会長をして目立ってしまったため、「あの人は、そういうこと、する人」という烙印(笑)が付いてしまい、 やらざるを得なかったことが一番の理由ですが

仕事をしているとはいえ自営だったので、フルタイムでお勤めしている人よりは動きやすいという自覚もあり、お引き受けしてきたつもりです。

その経験から感じたことは、学校関係者、保護者、地域が一緒に子どもたちを見守るという、PTAの考え方には賛同するけど

実際のPTA活動というのは
地域の参加については、いまひとつ実感がないし
学校は保護者からクレームがでないよう常に警戒の姿勢に感じられるし
保護者は学校からの要請に応えるだけのお手伝い係でしかないなということでした。

それでもまあ特に問題もなく子どもたちが学校生活を送れているので、わざわざ波風をたてて何かを提案するほどのこともないよなと、事なかれ主義を貫いて、PTA参加期間を終了したわけです。

それが、子どもたちが大きくなってから、今度は民生委員として子どもたちに関わることになりました。民生委員の立場から青少年愛護協会にも参加することになり、けっこう地域も子どもたちに関わっているのだなとは気づきましたが、それってたぶん、それぞれの地域で、大きく内容が違っていると思います。

というのも、地域によって抱えている問題が異なっているはずですから。 大人たちも含めた住民の生活の仕方が違っていれば、当然、状況も、起こってくる問題も違ってきますものね。

だから、それぞれの現場が、自分たちはどうするのかを考えなきゃ、自分たちにフィットした活動にはたどり着けませんよ。

毎年、構成メンバーが代わり、役員も変わっていく中で、"今まで通り"以外の選択肢って、なかなか選べないとは思いますが、自分たちが不便を感じたり、違うと思うことがあれば、それを発信していくしかないとは思います。

ああ~・・・でも、それで波風をたてて、陰口を言われたり仲間外れにされるのは嫌かなぁ~。もしかしたら、子どもまで苛められたりして・・・なんて心配もしちゃうか。それくらいだったら、そう長くない期間だし、黙って我慢しておくかってなるか。それも責められないですよね・・・ふむ。だから、上から変えてもらいたくなるのか・・・そっかぁ~・・・ふむ。

こまったな・・・むつかしいなぁ~・・・

でも、とにかく、PTAの理念は良いものだと思うし、ずっと引き継いでいかなきゃならないものだと、わたしは思います。

そして、その在り方は、時代の変化、社会の変化に合わせて、どんどん変えていかなきゃいけないと思います。そのために必要なのは、システムと一人一人個人の意識。菊池さんの提言が取り上げられたのは、必然だったのだろうと感じます。

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千葉市の『男性保育士活躍推進プラン』について賛否両論あることについて

2017-02-01 16:08:12 | Weblog
千葉市の熊谷市長が、「男性保育士に女子の着替えをさせないでほしい」という保護者からの要望に対して、「男性保育士の活躍の場を制限したくない」「男性が少ない保育現場などで男性活躍を推進する必要がある」という理由から、男性保育士にも女性保育士と同じ仕事ができるような『男性保育士活躍推進プラン』を発表したとのことで、賛否両論、いろんな意見が出てきているようですね。

この賛否両論・・・すごく当然のことだと思います。市長さんや、市長さんの方針に賛成の方の意見はもっともだし、それが嫌だなと思う保護者の人たちも、それに賛同する意見も分かります。だから、賛否両論あって当然。どうするのか、どう選択していくのか、いっぱい意見が出てくればいいんと思います。

どちらが選択されても、全員一致で納得できることはないと思いますが、反対意見がどういうものかを理解したうえで推進していくか、聞く耳もたずに、あるいは反対意見の存在すら知ろうとせず、自分たちの考えだけで物事を推し進めるのは全く違いますからね。

で、わたしの意見ですが・・・やっぱり嫌かな、男性に娘の着替えをしてもらうのは。信頼してないというのとは微妙に違うんですが、正直避けてもらいたいです。

女性が男児の世話をするのはいいのか。それって差別じゃないのかって言われると「差別ではなく区別です」っていう意見に賛成かな。保育士さんの仕事って、他にもいろいろあるわけだし、着替えじゃない部分をお願いできないかなって、そう思います。

そもそも信頼してなきゃ、預けること自体しませんから、男性保育士さんを信頼していないということではないんですよ。そういっても、男性保育士さんは傷つかれるだろうなぁ~。愛情をもって、一生懸命頑張ってるのに、拒否されてるって感じられるでしょうから、悲しいっていうか、寂しいっていうか・・・虚しいと思われるかも・・・それは本当に申し訳ないんですけど・・・正直な気持ちは偽れません。

以前、介護の現場でも、男性のヘルパーさんに仕事をしていただくのに、いろいろ気を使わなければならないことがあるとお話したことがあると思います。

訪問介護の場合が主ですが、奥様のお世話を男性ヘルパーがすることを旦那様が好ましく思われないことが多いんですよね。女性ヘルパーが旦那さんのお世話をすることに関して、奥様が不快に思われるというのはあまり耳にしないのですけどね。

けど・・・施設などでは、男性のヘルパーさんは大人気のようで、女性より需要があると耳にしたことがあります。介護は力でするのではなくコツがあるとはいいますが、やはり力仕事が多いですからね・・・男性は活躍の機会が多いです。息子もグループホームでバイトしていましたが馴染んでいましたよ。だから、同じヘルパーの仕事でも適材適所があるというか・・・

頭ではね・・・平等の精神とか雇用の確保とか、よりよい社会のシステムづくりの為には、市長さんの仰っている方向がよいと分かるのですよ。

けど保育とか介護とかって、気持ちの部分、大きいと思うんですよ。お互いが気持ちよくいられるか・・・みたないことがね。未来のために理想に向けて変えていくということも必要かもしれませんが、今の人たちの感情を無視していい分野ではないと思うんですよね。

だから、「男性保育士に女子の着替えをさせないでほしい」という保護者は、決してモンスターペアレントではないと思いますよ。その要望をかなえられないとしても、気持ちはしっかりと分かってあげて欲しいと思います。

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JR東海認知症事故訴訟

2016-02-16 15:56:33 | Weblog
2007年に、愛知県大府市で、91歳の認知症の男性が徘徊中に列車と接触して死亡したという事故があったそうです。この事故により、振り替え輸送などを行わねばならず損害が出たとして、JR東海は遺族に約720万円の賠償を求める裁判を起こしました。

一審の名古屋地裁の判決では、見守りの義務を怠ったと、同居していた妻と離れて暮らしている長男の二人に、JR東海の請求通り約720万円の支払いを命じたそうです。

それを不服とした遺族が控訴し、二審となる名古屋高裁は、長らく父親と別居していた長男には責任はなく、監督責任のある同居していた妻にのみ359万円を支払うよう言い渡したそうです。

この判決には、JR側、遺族側、双方が不服として最高裁に上告したのだとか・・・

いや~・・・これは、ちょっと酷な判決なんじゃないですか。なんていうか、奥さんと息子さん二人に支払いを命じた一審より、奥さんにだけ責任があるとした二審の方が酷だと、わたしは感じてしまいます。実際に認知症の夫を介護をしていた奥さんには、そうとうなご苦労があったでしょうに、その奥さんに責任の全てを負わせるというのは惨い気がしますよ。

奥さんの介護がどんなものだったか、息子さんとの関わりがどんなものだったか、実際のことって分からないから、一概に言えないこともあるとは思うのだけど・・・奥さんがお涙ちょうだいの美談になるほど手厚い介護をしていなかったとしても、酷い虐待をしていたとか、徘徊癖のある旦那さんをわざと外に出して家から締めだしていたとか、そういうことでもないかぎり、その思いは変わりません。

通り魔事件なんかで、犯人の責任能力が問題になったりしますけど・・・よく知らないんですが、あれって責任能力がなければ罰せられないんですよね。刑務所じゃなく病院に入院で、治ったら退院できちゃうんですよね。で、その場合、被害者に対する保障って、どうなってるんでしょう。それも免除されるんでしょうか。犯人の家族とかに責任がいくんでしょうか。

もし、責任能力がない者が犯罪を犯しても、被害者に保障する必要がないなら・・・認知症患者の起こした自己で、遺族が責任を問われるのは絶対にオカシイと思うんですが・・・そこはどうなんでしょうね。

チョット脱線しましたが・・・今回のような場合は、事故を引き起こした本人に責任能力がないなら、JRには諦めてもらうってのはダメなんでしょうか・・・

ああ・・・でも、これがもしJRのような大きな企業ではなくて、被害をこうむった相手が小さな会社であったり個人であったりしたら・・・認知症の男性に資産がある場合に限り、その資産から賠償してもらえたら・・・とも思わなくないかもしれません。その資産が奥さんと同居している自宅だけとかだと困るんですけど、けっこう遺産があるなら、遺族の方も、ちょっと考えてもらってもいいかなとか・・・。ただし、それは遺族に責任があるからではなく、責任能力がないとはいえご本人が人に与えた損害を、その方の資産で賄うという意味でね。

JR東海は訴訟の前に遺族と協議していたというから、男性には相当の資産があったのかな・・・

でも、認知症男性に資産がなく、残された奥さんに年金から賠償金を支払っていけとか・・・とういうのはやっぱりヒドイですよ、実際問題として無理ですし。だから、こういう事故で、遺族が責任を負うというの前例は、作らないでいただきたい・・・と、そう思います。

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