呂俶の「一言雑談」

大好きな小説『吸血鬼ハンターD』(菊地秀行氏・著)の自作イラストや、日々のよしなしごと録。写真・絵の転用はご遠慮下さい。

もう70年。でも何も変わらないね

2015-06-24 09:49:48 | Weblog
つぎはぎ写真で見えにくいのですが、東アジア最大という冠が付く嘉手納基地の近々写真。

4連勤続きに遅番続きの日々からようやく開放された22日。
“慰霊の日”を翌日に控え何時か行かないと、と思っていた道の駅かでなへ。
最上階には展望スペースがあり、そこから常時嘉手納基地の動きを観察出来る様になっています。

県道を挟んだすぐ目の前、本島では貴重な平原であるその土地には馬鹿デカイ基地が。
その横の県道をたまに通りますが、道の左右をずーーーーーっと高い塀やフェンスが続き、離発着の爆音は頻繁、時には戦闘機を洗浄している水しぶきを被ることも。

ちょっと通るだけでも不快になる爆音、嘉手納町をはじめ戦闘機の航空路になっている市町村の皆さんの被害は幾許のものか…想像に難くありません。
以前住んでいた西原町でも普天間基地所属の戦闘機が上空を飛んでましたし、時間帯もホント好き放題だな…と思うような感じで(苦笑)。

目の前に広がる基地、滑走路部分だけでも4枚の写真を張り合わせ。
これが諸施設や住居スペース(県道から見た感じ、空き家が多いのがまた…県内何処の基地でも基地内に空き家が多いのは広くて便利な基地外に住むのが好まれる為。月30万の戸建てを普通に借りる方も多いとか。それ、全部思いやり予算(笑)日本国民の税金で賄われております(笑))を含むとさらにどれだけ大きいんだ…と。

道の駅かでな館内には戦前の嘉手納の風景と戦中、終戦直後から現在に到るまでの映像や写真が展示されています。





帰りたくても帰れない故郷は目の前のフェンスの中、という方々は県内に本当に多数いらっしゃって、お墓参りも思うように出来ない現実を毎年ニュースで思い知らされます。
でも、嘉手納町の人が住める土地は本当に基地に追いやられた縁の部分。
この写真見てたら本当に切なくなりました。

自分の体験ではないから関係ないとか、教科書に出てくる歴史に興味ないとか、そういう声をよく耳に目にするようになりました。
他人の体験や歴史上起こった事柄とその結果を借りて、自分の肥やしに出来るのは人だけの力です。

それを忘れないよう、心に刻もうと、気持ちを新たにした1日でした。