天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

「there」のない地球の時代?

2014-10-19 16:45:09 | Weblog
家の裏手の庭の柿が実り、今日、収穫しました。
渋柿なので、母がこれから干し柿を作る予定。
(写真は、3年前に同じ場所で撮ったものです。)

つい二、三日前から、急に冷え込むようになりましたね。

うちは、まだしまいあぐねていた扇風機と入れ替わる形で、
ストーブの登場となりました。

最近の気候の変化というのは、どうも……

だんだんと、めまぐるしくなっているように感じます。

局地的にすさまじい勢いで襲ってくる、かの「ゲリラ豪雨」
なるものも、自分の子どもの頃にはあまりなかったような
気がするのです。(単なる個人的な印象ですが……。)

地球が新しい段階に移行しつつあると言われる今、こう
した現象が起こってくるのは……

あるいは、私たちの意識が物理的に反映されるスピード
がいよいよ速まっているから、なのかもしれません。

そして、これが極まった後は、どうなるのでしょう。

もしかして、逆に、季節の変化というようなものも、なくな
ってしまう、ということもあり得るでしょうか?

作家のリービ英雄さんは、かつて、寒暖の差の激しい米
東海岸のプリンストンからカリフォルニアへ移った際、一
年中変わらないその気候に、パニック状態になってしまっ
たのだとか。(「『there』のないカリフォルニア」)

そして、彼の地の大学で日本の古典文学を講じることに、
非常な困難を感じたようです。

さもあらん。

永遠に続くかと思われるコバルト色の空の下で、

「春はあけぼの」

と唱えることの空しさ、説得力のなさ。

想像するに易し。

今年の日本文学の授業の教材に、『枕草子』を
選んだのですが……

自分なら、そうしたパニック状態に耐えられる
だろうか?

そう自問することしきりの、今日このごろなのです。

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