皇居、即ち江戸城の大手門です。
江戸城は明暦の大火の時に大部分が消失してますので、その後の建築となるので
しょうけど、意外と簡素な感じがします。徳川300年の平和な時代ということもあるの
しょうか。
大手門を潜ると曲郭になっていて、その向こうにこちらは立派な門が。防御の要は
寧ろこちらにあったんだろうと窺えます。
この柱の太さ。随分と大きな木を使っています。現代でこの門を作るとしたら、一体
我が家が何軒建つかなぁと下世話な想像をしたりして(笑)
曲郭に置かれていた鯱。作成年代は明暦の大火の直後だそうです。
いま潜ってきた渡り櫓の上にある鯱。こちらは戦後に復元されたものだそうです。
切妻の瓦の文様がきれいでした。
こちらは東御苑の公園の入り口になっています。中に入ると広大な敷地で、本丸
跡ですとか、有名な松の廊下のあった場所なぞが見られます。
この日は先を急ぐこともあり、入り口を見ただけでお暇を告げて。
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Phoenix 東北&関東
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愚生は、石垣の石組に興味がありますね。
今、このようなことができる石工はいるでしょうか?
しょうね。
手作りというわけには行かないまでも、それに近いものは
出来ると思いますよ。
せっかく出かけてもたいてい、二重橋だけ見て
Uターンでした。
けっこう見どころのあるところですねぇ
大阪城にはボランティアのおじさん達が
いて案内してくれます。
北の旅人はもう一つかな、赤いハンカチは
何とかいけると思いますが。
これは素晴らしい建造物ですね!
明暦の大火で焼けた天守の再建を阻止したのは
名君保科正之公と聞きました。
ビル群も見所一杯ですよ。も一度ご足労の
機会があるといいですねぇ・・・
に是非読ませたい、聞かせたいです。
民が困窮の際に、平和時の天守閣は不要という
論理でしたね。
建設の歴史が面白いですね。大田道灌の
作った城は数百人規模の居城、そこに二万
を超える軍勢をどうやって宿泊させたか?
それを考えるだけでも想像を絶するプロジェクト
であったことが分かります。
鋲 ? が無数に打ち込められているのですね、
地方の小さなお城に感激してないで
天下の江戸城のご門を潜って見なければ。
がっかりですよ。明暦の大火で殆ど焼失して
緊縮財政の折、再建がなされぬまま明治を迎えて
しまいましたから。
ただ、お庭としてみるには良いかも知れません。
ボク等からすると新発田城なそは垂涎の的です。