Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

イタリア紀行[57]  シチリア㉝ パレルモ13 「新市街地で」

2013年09月30日 16時04分04秒 | イタリア紀行2013

ヌォーヴァ門を出た新市街地の入り口です。

緑の並木に黄色い花が沢山。これもしかしたらミモザ。時期は6月を入ったばかりですが、
今年は欧州も天候不順。通常なら4月に咲いていると思うのですが・・・ちょっとびっくり
しました。

公園でカードゲームをして楽しんでいる老人たち。奥様がマフィアの人たちかも知れない
から近づくなというのを振りきって、暫く眺めていたら、お前もやるか?だって。麻雀なら
できるけど、カードゲームは出来ませんと丁重にお断りして(笑)賭けてでもしてたら後が
面倒ですものね(笑)

新市街地の裏通り。新市街地といっても古いわ(笑)
基本的にパレルモの町中は結構ゴミが多いです。やはりイタリアの財政難の影響も
あるんでしょうね。昔見たマフィアとのトラブルで清掃ができなかったナポリの酷さ
ほどではありませんが(ありゃ、ボクですら街歩きしようとは思いませんでしたから)

でも、ボクなぞは却ってこういう雰囲気のほうが妙に落ち着く感じがします。なにせ、
若い頃は新宿の盛り場の裏通り専門でありましたので(爆)

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[56]  シチリア㉜ パレルモ12 「ノルマン王宮」

2013年09月30日 08時33分40秒 | イタリア紀行2013

パレルモ旧市街の高台に、こんなでっかい建物が。
この建物はノルマン王朝時代から王宮として使われたもの。でも、カタチを見ると前の
カテドラル同様にアラブの匂いがぷんぷんと。恐らく、アラブの建物をそのまま転用
したに違いありません。

このシチリアの歴史はまさに海上交通の要衝にあっただけに、様々な国の侵略を
受けており、古くはフェニキア、ギリシャ、ローマ、ビザンチン帝国そしてアラブに
始まり12世紀前半のノルマン王朝、16世紀のスペインと目まぐるしいものがあり
ます。

この建物はノルマン王朝時代から王宮として使われ、18世紀から19世紀にかけては
スペイン・ブルボン王朝が使用しており、あのマリー・アントワネット王妃のお姉さんの
ブルボン家から嫁いだマリア・カロリーナ王妃もナポレオンからナポリを追われ、ここに
一時期居住した時代もありました。
彼女もこの王宮のどこからの窓からパレルモ市街を見ていたのかも。

この王室には素晴らしい礼拝堂があるのですが、残念ながらこの日は何かのパーティ
に使われていて入場が出来ませんでした。例によって入り口で入れろ、入れないと
ネゴした甲斐もなく、退散となりました(涙)

この礼拝堂はパラティーナ礼拝堂と言います。ノルマン王朝の手がけたものですが、実際
の設計、建設は既にいたギリシャ人、アラブ人によるもののようです。中でも内装の金箔
で作られたモザイク画は圧巻とのこと。もし行かれたらパレルモ見学はまずここを最初に
されては如何でしょうか。

王宮と繋がった城門、「ヌォーヴァ門」。ここから手前が旧市街地、向こう側が新市街地
となります。因みに前述のパラティーナ礼拝堂はこの門を抜けけて左に大きく曲がった
ところに入り口があります。入り口が分からなくて散々苦労しました(苦笑)

門の天井伏せです。

これはパレルモ市の紋章のようです。

城門の柱には恐らくノルマンに征服されたアラブ人を象った彫刻が。これを見るとこの門
には凱旋門的意味合いがあったかと思われます。

現代でも凱旋門を作った人がいますが、それはイラクのフセイン大統領。彼はイラン・
イラク戦争で死んだイラン兵士の髑髏を凱旋門に埋めろと設計者に命じたことがあり
ます。この設計者、流石にそれは出来ないと悩んだ末、実際の髑髏を石膏で象って
それを凱旋門に埋めたそうです(これはボクがその当事者に直接聞いた話です)

上の写真の内側の人体像には腕がありません。都合よく二体とも同じように腕が欠けた
とは思いにくいので、もしかしたら当時の刑で両腕を切るということが行われていたのかも
知れませんね。

細部の彫刻がなかなか面白いデザインで見ていて飽きない凱旋門でした。

 

ー続くー