デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

再びギザの三大ピラミッド・・⑪ ・・日本人の起源・・アイヌ民族

2004-11-20 13:22:04 | Weblog
黄道傾斜が24度03分の時、メンカウラの第三ピラミッドは、冬至の正午の
太陽の傾斜角と、その稜線の傾斜角とが一致するように設計されていたのだ。
                        Rokunowa

地軸大移動の謎


しかしコレは計算値であって、上記の黄道傾斜では第三ピラミッドの三角斜面は
影にはならないであろう。影と日当たりのまだら模様となる。現代建築でもソコま
での精度は得られないであろうが、ピラミッドの建築者が現代以上の技術を持って
いたとして、黄道傾斜24度05分の時に第三ピラミッドが影に入ると仮定してみよう。

そうだとすると、ピラミッドの制作年代が推定できるであろう。
前回のblogに掲示したごとく、ソレは5000年前より少し前か、1万2400年前より
少し時代が下がる年代のどちらかである。
 
 クフ王やメンカウラ王は第四王朝の王だとされ、定説では4600年ほど前の王朝
だとされている。
 しかし、私の仮説からは、この年代はとれない。
 では、5000年前か?1万2400年前に作られたか?どちらであろう?
 
 はっきりしていることは、絶対に5000年前では無いと言うことである。
 何故なら、ピラミッドの設計者は、ピラミッドに冬至の正午の太陽角度を組み入れた
場合、ピラミッドが出来てからその機能が何百年もつづくことを期待するであろう。ピラ
ミッドが完成してから百年もしないうちにその機能が失われるような設計を採る筈は絶
対に無いであろう。

 前回のblogに提示した黄道傾斜の推移をよく見てもらいたい。5000年前に建築した
場合、100年も経たないうちにピラミッドは冬至の正午にも影に入らないであろう。その
ような建築物を設計者が建てるわけが無いのである。

 逆に、1万2400年頃にピラミッドが制作されたとすれば、1万年前になったも、ピラミッド
のこの機能は維持された筈である。設計者が、地軸大移動の周期性を私と同じほどに精通
していたとしても、1万500年前の次回の地軸大移動までピラミッドの機能は維持出来たの
である。これは2000年近く機能が維持出来たということなのだ。
 よって、ギザの三大ピラミッドは、1万2400年前に建造された建造物である。
 以上が、冬至の正午の太陽角度によるピラミッドの制作年代の証明である。

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