デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

ストーンヘンジ ⑤...デエタラボッチと地軸大移動....日本人の起源

2015-09-20 16:00:53 | 歴史
Rokunowa

ストーンヘンジの円形台地にはステーションストーンの他に目印
がまだあります。ノースバロウ、サウスバロウと名付けられる小さ
な小山があります。
 小山の中心を掘ってみると、古い時代に棒杭が埋めたような跡があった
と言う人もいます。小さな山を土で作り、その頂上に棒杭が立っていたのか
もしれません。

この南北のバロウは南北と言うだけあって、ほぼ現在の南北に位置しますが
正確に南北ではなく、北北西と南南東にあります。
 こう書くと、BC1500年以上前は地軸大移動前で、現在の北より反時計回り
に8度ずれた方向に過去の南があったとの私の説を読んだ読者は、
ノースバロウは過去の南を指していたのではないかと思うでしょう。
8度西にずれていたら、そのとうりですが、15度ほど西にずれているので、
その推定は否定されます。サウスバロウも15度ほど現在の南から東に
ずれているのです。


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ではバロウは何の目的でつくられているのか?

 これは、もっと先で解明されます。まず南北バロウは現在の太陽観測では
いかなる目印でもありません。
 では、BC1500年以上前の時代、南北がほぼ逆転していた時代には、何ら
かの太陽観測上の目印であったのでしょうか?
 南のバロウは何の目印でもなかったのですが、ノースバロウは、一つの機能
を持っていました。

 ノースバロウの頂上に立ち、BC1500年以上前に、ヒールストーンの尖頭を
見ると、ソレは、かっての東西線を見通し、かっての春秋分の日没の方向で
あったのです。

人々は言うでしょう『ストーンヘンジを作った人たちは、何故、ストーンヘンジの
中心、丸い台地の中心から春秋分の日没を観測しなかったのか?』
またこういう人もいると思います『ストーンヘンジを作った人たちは、何故、日没
を観測し、朝日を観測しなかったのか?』
 確かに台地の中心からヒールストーンを観測したのも夏至の日没でした。

 酒匂石は今の西方に開けた場所にあり、西から昇る太陽、朝日の観測を
したのだと主張している私が、日没の観測では、オカシイというのは正しい
意見だと思います。

これは、BC5000年から、BC1500年までの時期に、ストーンヘンジが建てられた
わけではないからなのです。
 ではストーンヘンジは何時、建造されたのでしょう?


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