デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

稲=コメとアイヌ民族

2014-11-10 21:03:03 | 歴史
コメをアイヌ民族が極東シベリアからアジアに持ち込んだ?
 そんな筈はない!シベリアは極寒の土地ではないか?
 と首を傾げる人は多いでしょう。


しかしBC5000年以前は北極海は地中海のような海だったのです。


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当時、極東シベリアのチュクチ半島は北緯35~40度の現在の日本と同じような緯度にあり、四季に恵まれた温暖な土地だったのです。
 ソコではコメと鮭が捕れる極楽な土地でおそらく彼らはソコをツカルと呼称していたでしょう。tup+kar=ツカルです。アイヌ語でツカルのtupは二つのことです。対島のツで二つのこと...karは刈ると言う日本語で「収穫」のことです。ツカルとは大収穫が二本柱であることです。コメと鮭の二本柱ですが、この言葉は日本の津軽の名前の語源でもあります。
 もしくはツカルの変わりにツクチと呼称していたかも知れません。tup+kuti=ツクチです。tupは二つを意味し、クチは日本語
の口の事です。二本柱の口をいみします。
 現在でもチュクチとソコを呼称しています。
 アイヌ語でsipe=シペとは鮭のことです。riyaは越冬をするという意味の言葉ですから、シベリアとはアイヌ語で鮭が越冬する海=シベリア海...h現在の北極海の事であったのです。
 バイカル湖もアイヌ語で、「春」と言う意味の湖です。コレはバイカル湖が当時、緯度60度ぐらいで、シーズンの半分は春の湖であったカラです。でも後のシーズンはこの湖は当時でも氷が張って、歩ける湖で会ったのですが、アイヌ語でバイカルはもう一つの意味を持ち、「歩く道」と言う意味があります。payoka+ru=パイカルです。パヨカは歩く、ルは道と言うアイヌ語
なのです。
 一年の半分は、バイカル湖は春の湖
 一年の半分は、バイカル湖は歩く道
であったのです。
 次回は地軸移動後のアイヌ民族とイネの伝播について書きましょう。


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