rokunowa
昭和46年に私はこの酒匂石をみに行き、測量しました。
酒匂石の主軸は12.5度、時計回りに現在の東西よりず
れていました(鳥瞰したばあいである。前回反時計回りと掲
示したのは間違いで時計回りであった)
主軸に交わる二本の斜軸の角度はそれぞれ30度でした。
私の仮説の、酒匂石が設置された後に地軸大移動が起きて、
主軸が石ごと、場所ごと、まるまる回転してしまったとしたら、
地軸移動以前の、この土地の緯度は何度であったか?
は斜軸の角度で決まります(もし最初の中学の先生のひらめ
きを取り入れ、夏至、春秋分、冬至の太陽方向とかんがえる
なら)
30度の角度は、計算により緯度約36度と言うことにな
りました(地軸傾斜、その他の歳差、自転、公転システムが
温存されていれば)
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この緯度は現在より、幾分高い緯度であって、地軸大移動
は日本の気象に激変をもたらしたであろう、しかし、温帯が
極地になったような激変ではなく、人口が半減したりしたこ
とはあり得るであろう。
では地軸移動前の緯度がわかり、主軸が時計回りに12.5
度移動したとすると、球面三角法にヨリその時の極地はすぐに
計算出来る。
結論から言うと、その時代の極地は、
南極;西経145度
北緯80度
であった。当時の北極は上記の南極の反対側で南米にあった。
こうなると酒匂石が現在の西近くを向いているのは当然で、太
陽は今の西から当時は昇ったのである。
さて、測量と、計算結果はトンデモないモノになったのだが、
果たして、この結果は、検証出来るのかどうか?
この仮説の蓋然性を高める他の証拠は存在するのか否か?
コレが当時の私の大問題であった。
以下次回。
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酒匂石の主軸は12.5度、時計回りに現在の東西よりず
れていました(鳥瞰したばあいである。前回反時計回りと掲
示したのは間違いで時計回りであった)
主軸に交わる二本の斜軸の角度はそれぞれ30度でした。
私の仮説の、酒匂石が設置された後に地軸大移動が起きて、
主軸が石ごと、場所ごと、まるまる回転してしまったとしたら、
地軸移動以前の、この土地の緯度は何度であったか?
は斜軸の角度で決まります(もし最初の中学の先生のひらめ
きを取り入れ、夏至、春秋分、冬至の太陽方向とかんがえる
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30度の角度は、計算により緯度約36度と言うことにな
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この緯度は現在より、幾分高い緯度であって、地軸大移動
は日本の気象に激変をもたらしたであろう、しかし、温帯が
極地になったような激変ではなく、人口が半減したりしたこ
とはあり得るであろう。
では地軸移動前の緯度がわかり、主軸が時計回りに12.5
度移動したとすると、球面三角法にヨリその時の極地はすぐに
計算出来る。
結論から言うと、その時代の極地は、
南極;西経145度
北緯80度
であった。当時の北極は上記の南極の反対側で南米にあった。
こうなると酒匂石が現在の西近くを向いているのは当然で、太
陽は今の西から当時は昇ったのである。
さて、測量と、計算結果はトンデモないモノになったのだが、
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