前作、MOTTに続くアルバム、THE HOOPLE が1974年に7枚目のアルバムとして出され、前作と同様に全英11位/全米28位とヒットした。
脱退したキーボードのヴァーデン・アレンの代わりに、サポート・メンバーであったモーガン・フィシャーが正式メンバーとなり、また同じく脱退したギターのミック・ラルフスもEX-SPOOKY TOOTHのギタリスト、エリアル・ベンダーに変わり、5人組となった。
モーガン・フィシャーのピアノも冴え、エリアル・ベンダーのドライブの効いたエネルギシュなギターもハードなMOTT THE HOOPLEのサウンドにはぴったりはまり、更なるバンドの成功が期待された。
しかしながら、イアン・ハンターの作るスローなバラードなどバラエティーに飛んだ楽曲にエリアル・ベンダーのギターが全てマッチするかというと、そうでもない。
結局、エリアル・ベンダーは脱退し、代わりにデヴィド・ボウイーのバックを務めたスパイダースのミック・ロンソンが新たに加入した。
当時のライブでは、“ロックは死んだ”とドン・マクリーンのアメリカン・パイを歌った後、メロディ形式でロックの黄金時代がやってきたとロックンロール黄金時代(THE GOLDEN AGE OF ROCK ‘N’ ROLL)を高らかに歌っていた。
しかし、その後、次作を作る前にイアン・ハンターとミック・ロンソンはバンド内の軋轢からか二人とも脱退し、残りのメンバーがバンド名をMOTTと変更し再出発したが不発に終わった。
MOTT THE HOOPLEの黄金時代は終わる。
いやちょっと待った!
ミック・ラルフスを含むオリジナルのメンバーが揃い、2009年と2013年(この時はドラムはサポート・メンバーが担当)にリユニオン・ツアーを催し健在をアピールした。
そう! 簡単にロックは死なないのである。
Mott the Hoople - The Golden Age of Rock and Roll
前作、ALL THE YOUNG DUDESのヒットにより、息を吹き返したMOTT THE HOOPLEは、翌年の1973年、6枚目のアルバム、THE MOTTを出し快進撃を続け、全英7位/全米35位とさらなる躍進を果たした。
UK盤のジャケット
アイランド/アトランティック時代、結構素晴らしいアルバムを制作したのにもかかわらずヒットはしなかった。レーベルを変えた途端急に売れるようになったのは何故なのか、非常に不思議に感じる。
このアルバムの一曲目のAll THE WAY FROM MEMPHISは、MOTT THE HOOPLEらしいロックナンバーで、自身のギターが、運送中間違って他の場所に送られてしまった事の顛末が歌詞の中心になっているが、サビの部分に急に有名になって少し戸惑っていたのか、自重気味のフレーズが興味を引く。
YOU LOOK LIKE A STAR BUT YOU’RE STILL ON THE DOLE(スターになったように見えるけど、まだ失業手当を受けている。)、YOU CLIMB UP THE MOUNTAINS AND YOU FALL DOWN THE HOLES(山に登った途端、穴に落ちる。)、 YOU’VE GOT TO STAY YOUNG, YOU CAN NEVER GROW OLD(若き青年であるべきだが、決して歳を取って成長しない。)とか YOU LOOK LIKE A STAR BUT YOU REALLY OUT ON PAROLE(スターになったように見えるけど、本当は刑務所から出所したばかり。)
今であれば、“心配しなくでください。大丈夫ですよ、売れてます。”と言ってあげれるのだが。
キーボードのヴァーデン・アレンがデモ制作段階で脱退し、4名となった。またのちにバッド・カンパニーでカバーされたれたREADY FOR LOVEを前作で作曲したミック・ラルフスもこのアルバムを最後に脱退しバッド・カンパニーのメンバーとなる。
Mott the Hoople - All the Way From Memphis
そう、リック・ウェイクマンのことです。
マーク・ボラン率いるT.REXのアルバム、“電気の武者”からシングルカットされ全英1位に輝いた“GET IT ON”に、アルバムのクレジットにはリックの名前は見当たらないが、どうもピアノで参加しているとのことです。
あれ? “電気の武者”の英文のライナーには、このアルバムからセッション・プレーヤーを使い始めたと書いてあって、ホーンにはキング・クリムゾンのイアン・マクドナルドを起用、キーボードにはブルー・ウィーバー(エーメン・コーナーというグループ出身で、リックがストローブスからイエスに引き抜かれた後、ストローブスに加入、その後ディスコ時代のビー・ジーズでキーボードを担当する。)となっている。
英文のWIKIには, リックとブルー・ウィーバーの両方が“GET IT ON”でそれぞれ別のパートを弾いていたとなっている。そしてピアノのグリサンド奏法のところはリックじゃないかと書いてある。
本当のところはどうなのかな?
とは言え、プロデューサーのトニー・ビスコンティがこの曲に得意のストリングスを被せたのでピアノの演奏がほとんど目立たなくなっていて、誰がピアノを演奏しても同じような気が~
そのため、アルバムのクレジットからリックを外したのかな?
まあ、マーク・ボランとしては、アルバムがヒットさえすればいいので、誰がどの曲に客演したなんてあまり関心がなかったのかもしれない。
“電気の武者”は“GET IT ON”JEEP STAR MANBOSUNなどボラン得意のブギー・サウンドと、アコースティック・ギターやストリングスを使ったバラードやブルースなどの楽曲などがうまく混ざり会うことによってアクセントがつけられ、アルバム全体が単調にならないよう工夫してある。
プロデューサーがトニー・ビスコンティということで、アコースティック・ギターやストリングスを使ったバラード、特に“COSMIC DANCER”なんかは、彼が1969年にプロデュースしたデビッド・ボウイーのスペース・オデッティー風で、一連のヒットのツボを押さえて制作されたものと思う。おかげでは全英1位となり、日本で19位、アメリカでも32位とチャートに食い込んでヒット・アルバムとなった。
セッション・ミュージシャンとは、誰でも簡単になれるものではなく、プロデューサーのどんな要求にも対応できる高度な演奏能力は最低条件で、そのミュージシャンの参加によってアルバムの格を上げるため、すでにある程度名の通ったバンドもしくはソロとしで活躍していることも必要である。
そういう意味では、当時卓越した演奏技術によりイエスに引き抜かれたリックは、その条件に完全に合致していた。しかしながら、彼のイメージとしてはクラッシックやプログレのサウンドがあったので、もしWIKIの記載通り、ボラン独特の怪しげなボーカルに裏声のバック・コーラス絡むグラム・ロック・ブギーのセッションにも参加していたとしたら、やっぱり驚きますね。
Get It On by T.Rex
今日は、デビッドボウイーの1974年作の“ダイアモンドの犬”というアルバムについてです。
グラム・ロックというジャンルも以前より勢いを落とし、明らかにその終幕が迫って来ていると感じていたのか、その集大成として、イギリス人作家ジョージ・オーウェルの小説1984年を下敷きにしたコンセプト・アルバムの制作を意図していました。残念ながら、故ジョージ・オーウェルの親族からその許可を得られず、半身犬の姿になった自身が近未来の映像を語るというコンセプトに変更され制作されたのがこのアルバムです。
どんなトラブルがあったのかは判らなのですが、このアルバムにはプロデューサーのケン・スコットだけでなく、ボウイーの片腕であったバック・バンド、スパイダース・フロム・マーズのリーダーであるミック・ロンソンも参加していないのです。
ケン・スコットといえば、ジョージ・マーチンの下でビートルズ後期のレコーディングのエンジニアを担当した人で、ビートルズ時代の貴重な経験をもとに計算された音作りをおこなう正統派のプロデューサーであり、一方ミック・ロンソン は、リード・ギタリストとして2作目から前作までのボウイーのアルバム制作に多大な貢献していました。
実際ボウイーを良く知る彼らの参加なしに区切りをつけるようなアルバムを制作するのは、大変ではないかと思ったのですが。
そのため制作において、それまでと異なった革新的手法が必要と考えたのでしょうか、自作自演でセルフ・プロデュースと思い切ったスタイルを取りました。ただし、リズム・セクションは、曲の芯になるため自身では担当せずセッション・ミュージシャンを起用し、幾らかの例外を除き他の楽器はできる限り自身で演奏しました。
確信犯的な試みかどうかは判らないのですが、演奏のヘタウマ感(セッション・ミュージシャンの技量と比べてという意味で)をわざと出すことによって今までと違った音が出せるのではないと考えたのでは? また制作の相棒として録音エンジニアにキース・ハーウッド(この人はスーンズのイッツ・オンリー・ロックンロールのエンジニアを担当)を選び、ケン・スコットのプロデュースとは異なるアイデアの音を狙ったのでは? タイトル曲の“ダイアモンドの犬”や“レベル・レベル”をなど聴けば、ストーンズのようなシンプルでストレートなロックンロールの影響を受けているのが良く分かります。
プログレのような曲の間にシンプルなロックを入れメリハリをつけ、そのわかりやすさが特にアメリカで受け、全米5位にアルバムがランク・インされる程の大ヒットとなりました。
だだ、彼自身も迷っていたのかどうか判りませんが、この後に行われたダイアモンドの犬ツアーで,1966年アメリカのR&Bチャートで1位を獲得した黒人ソウルシンガーのエディー・フロイドのノック・オン・ウッドを取り上げることにより、その時点で今後の音楽の方向性を変えたような気はします。それが引き金となり、ラバー・ソウルならぬ、プラスティック・ソウルと呼ばれるヤング・アメリカンを次回に制作されるのです。
ボウイーの歌詞は難解で示唆に富んだ内容なので、その道の専門家たちがああだこうだと歌詞の内容を掘り下げて小難しいことを言っています。もちろん詩の内容を知らないよりは知っておいた方がいいわけですが、それほど難しく考えないでアメリカ人のようにロックのサウンドにシンプルに反応し楽しむことでいいのではないでしょうか?
このアルバムの“ロックンロール・ウィズ・ミー”というレット・イット・ビーのピアノのイントロのようなコードで始まる曲で、彼は“一緒にロックしてくれれば、自分自身は楽しいが、そうでなければ悲しい”というようなことを歌っています。
David Bowie - Rebel Rebel
David Bowie - Rock N' Roll With Me