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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

懐かしのプログレ、その6

2023年12月01日 | PROG ROCK

本日は1972年にでたELPの3枚目のスタジオ・アルバム、Trilogyでも。

前年のTarkusやライブ・アルバムPictures At An Exhibition(展覧会の絵)と翌年にでたBrain Salad Surgery(恐怖の頭脳改革)と比べると何となく控えめな印象も無きにしもあらず。

とは言え聴いてみれば、いつものELP。

ただ今まで以上にオーバー・ダブを多用した緻密なアレンジメントを24トラックでミキシングした事で、幾らかの曲は3名のみが演奏するステージに於いて忠実に再現出来なくなってしまった。

なるほど、オーバー・ダブによって3人だけの演奏では再現不可能なので、影分身で人数増やしたってことね。これだけいれば大丈夫。

K2HDのCDサウンド、中々いいっす!


懐かしのプログレ、その5

2023年11月30日 | PROG ROCK

70年代初め頃のプログレ・ロック全盛時の1971年のジェネシスのアルバム、Nursery Crime(怪奇骨董音楽箱)も印象深いアルバムだ。

今回のアルバムの制作にはギターのスティーブ・ハケットそしてドラムスにはフィル・コリンズらが加入したことで演奏のパワー・アップが図られ、またトニー・バンクスも新たにメロトロンを使用する事によってさらに創作の幅も広がっていく事に。

結果、ピーター・ガブリエルのエキセントリックで芝居がかったボーカルにも更に磨きがかかりジェネシスの生み出すプログレ・ロックの新章が始まる事に。

それにしても不気味なジャケのイラスト。日本のゲート・ボールの原型とも言われているイギリス発祥のクロッケーが描かれているが、丸いボールの代わりに何と人頭が!

オジン・ボケしたオイラの頭にもスティックでガッンと一発、そうすればボケから目覚めてオイラの新章が始まるかも?


懐かしのプログレ、その4

2023年11月29日 | PROG ROCK

1968年のムーディー・ブルースの再出発第2弾のアルバム、In Search Of The Lost Chordでも。

前作で重要な役割を果たした重厚なオーケストラは今回登場せず、代わりにマイク・ピンダーの弾くメロトロンが大活躍。

プログレと言うよりはその当時流行したサイケデリックな味わいのアルバムとなっている。

メンバー・チェンジによって、あのデニー・レインがGo Now~🎵って歌っていたR&B時代からは全く想像できないくらいに作風が変化し大成功を収めた稀有なバンドで、日本でもっと評価されるべきバンドであったと思うのはオイラだけなのか?

そもそも、日本人がイメージするプログレ・ロックの範疇に彼らを分類しているのがちょっと違う様な...


懐かしのプログレ、その3

2023年11月27日 | PROG ROCK

本日はカナディアン・プログレ・ロック・バンド、ラッシュでも。

カナダ出身の大物ミュージシャンと言えば、個人的には古くはザ・バンド、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ゴードン・ライトフットにBTOなんかが思い起こされるが、そこにプログレ代表としてラッシュが加わる。

Zepp.の様なハード・ロック・バンドとしてアルバム・デビューも、ドラムスがニール・パートに交代したことから芸風がプログレ・ロックへと変化していく。

そして1980年の7枚目のオリジナル・アルバム、Permanet WaveでUK/USAチャートでそれぞれ第3位と4位と大ブレーク。レコード・レーベルの意向を汲んでラジオ・フレンドリーな曲の収録が大当たり。リスナーの耳に馴染み易さが功を奏して彼らのファンの裾野を拡大した。

かく言う私もこのアルバムから、彼らを知る事になる。特にゲッディー・リーのぶっといベース・ランニングがイエスのクリス・スクワイヤを彷彿させ彼らのファンとなった次第。

2017年の第32回ロックンロール・ホール・オブ・フェイムで殿堂入りを果たしたイエス。その受賞記念の演奏でクリス亡きイエスにベースの演奏で友情出演として加わったのは何とゲッディー!

それを見て不覚にも涙がちょちょ切れました。


懐かしのプログレ、その2

2023年11月26日 | PROG ROCK

ロックやジャズだけでなくトラッド・フォーク、カントリー、クラシックや更にはフラメンコ・ギターなどをサクっとこなす凄腕万能ギタリスト、スティーブ・ハウが前任者だったピーター・バンクスの代わりにイエスに加入した事によってバンドの創作活動の幅が更に広がった。

そして完成したアルバムが1971年のサード・アルバム、The Yes Album。

前作、前々作と比べて曲作りがかなりレベル・アップし、後のコンサートでもこのアルバムから数多くの曲が選曲され続けている。

キーボードのトニー・ケイはこのアルバムが出た後バンドから脱退し、代わりにリック・ウェイクマンが加入してイエスはシンフォニックな色合いを加えて更に進化していく事になるが、ストレートでロックな味わいを持つこのサード・アルバムは彼らの代表作の一つだと言える。

ところで1971年と言えばZeppのIV、ストーンズのSticky Fingers、T.RexのElectric Warrior、デレク&ドミノスのLayla、ELPのTarkus、ユーライアヒープのLook At Yourself Meddleにピンク・フロイドのMeddleなどなどニュー・ロック名盤の大豊作の年だったし、また次はどんな新しい事を彼らがやってくれるのか日々楽しみで仕方なかった様な思い出が...


懐かしのプログレ

2023年11月25日 | PROG ROCK

前作のアルバムをベースとしたアイランド・ツアー後ロバート・フィリップはバンドを解散、翌年の1973年新たなメンバーをリクルートし再出発することに。

イエスからドラマーのビル・ブルーフォードを引き抜き、サイケデリック・バンドのファミリーからジョン・ウェットン、バイオリニストのデビッド・クロス、そしてパーカション担当のジェイミー・ミューアらが新たに加入し5人組となる。

出来上がったアルバムはLark’s Tounges In Aspic (太陽と戦慄)でジャケのイラストの月と太陽(静と動)というイメージでなる新たなクリムゾン・サウンドを展開。

とは言え当時まだまだガキだった私には一聴して理解できる代物ではなく、それから何年も過ぎ去った頃にようやくなるほどってなった次第。

それにしても、クリムゾン敷居高かったな~っ思い出す今日この頃。


鯨について

2023年10月12日 | PROG ROCK

その昔、終戦後の食糧難時代、小学校の学校給食ではアルマイトの容器に注がれた生暖かい脱脂粉乳が登場。

味も酷く少し冷めると表面に膜が張ってさらに飲み難いことに。残すと先生に叱られるのでこんな時は覚悟を決めて一番最初に一気飲み。

さらにタンパク質を補うためと学校給食に鯨肉も登場し、カチカチのなかなか噛みきれない鯨肉を食した思い出が。

本日はイエスの1978年の9枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Tormatoでも。みなさんご存知の例のクジラの唄が収録されている。

(イギリス南西部のデボン州にそびえるある山の頂がYes Torと呼ばれていて、これにTomatoをぶつけてTormatoなる造語が生またそうな。)

かって鯨を食用としてではなく鯨油の大量生産のため捕りまくり、石油が安価で大量に世界中に渡り始めると捕鯨は廃れた。そしてその後捕鯨を続けた国々に対しては動物保護団体から捕鯨は悪!って言われ続け現在に至るわけで…

このアルバムが出た当時、鯨油をとった後の不要な部位を単に廃棄するのではなく、自然に感謝して戴けるところは戴くって事で鯨肉カミカミで育った私としては彼らにとって都合の良い価値観を押し付けるなって若気の至りで反発。

てな事でこのアルバムは当時買わずじまいで、CDがリマスターされた90年代にようやく購入することに。

印象としてはパンク・ディスコ・ブームに沸く当時のミュージック・シーンを鑑みてプログレ特有の長尺曲は無くし、少しポップ寄りの聴きやすい作品を収録。

今聴けば、これはこれで悪くない。

そして今や鯨は調査捕鯨の捕獲による高級食品と相成り、そう簡単に食することは出来ない。

いつぞや大阪湾に紛れ込んだ弱った鯨はその死後、うん千万円かけて沖合に運びその死骸を投棄。鯨がもう食べ物だって感覚は無くなった。

ああ時代は変わったんだなって。


取っ付きにくい?

2023年10月10日 | PROG ROCK

1968年セルフタイトルのサイケデリック・ポップとでも呼べるジャンルのアルバムでデビューしたプログレ・バンド、ソフト・マシーン。

その後オリジナル・メンバーのケビン・エアーズが脱退しバンドの方向性が変化してゆき3枚目のアルバムからはジャズ・サウンドが主体となる。

そして1971年の彼らの4枚目のアルバム“4”では全編インスト・ナンバーの構成による完全なフリージャズ系ロック・アルバムとなった。

このアルバムはヒュー・ホッパー(ベース)、エルトン・ディーン(サックス)とマイク・ラトリッジ(キーボード)らがイニシアティブを取りレコーディングに臨むことに。

オリジナル・メンバーのロバート・ワイヤットのボーカルが聴かれずドラムの演奏に集中することになり、アルバムの完成後バンドから脱退することに。

前衛的な印象のあるフリージャズと言ってもそれなりにコントロールされていて暴走しないので思ったよりは聴き易いかも。


Kind Of A Joke

2023年10月06日 | PROG ROCK

イギリスが誇る中世の偉大なる詩人、ミルトンの子供版とたとえられたわずか8歳のジェラルド・ボストックによる叙事詩にジェスロタルのイアン・アンダーソンがメロディーを付け完成させた1972年のジェスロ・タルのトータル・アルバム、Thick As A Brick(ジェラルドの汚れなき世界)でも。

タイトル曲1曲のみがアルバム両サイドまたがって収録された大作で、わずか8歳の子供の創作した叙事詩としてはあまりに比喩的かつシニカルな内容で難解。

もちろん、ジェラルドなる少年は存在せずイアン・アンダーソンの創作で彼らしいジョークの一つで、アルバム・ジャケを飾る新聞記事もバンド・メンバーによる手の込んだ創作。

Thick As A Brick、直訳では“レンガのように厚い”で、即ち“頭が鈍い”とか“愚か者”って意味で、聴き手に対して結構挑発的なタイトル。ただジェラルドと一緒に写真に映っている彼の友達のジュリアがスカートを捲っているので聴かずとも本作が何らかのジョークなんだろうって分かる

英語がかなり達者な人でもこのアルバムを聴いて難解なジェラルド(イアン)の主張を瞬時に理解出来る人は少ないであろう。

こんな時は何回聴いても難解な歌詞は諦め、彼らのシャープでキレのある演奏のみを楽しむ一択ですかね。

私にとっては難解なプログレ・バンドのジェスロ・タルではあるが欧米ではかなりの人気者。このアルバムは全米・英それぞれ1位と5位を獲得。


たまには長尺曲

2023年10月01日 | PROG ROCK

メロディアスでハードな味わいのアメリカン・プログレ・バンド、カンサスの4枚目のスタジオ・アルバム、Leftovertureが1976年に出た。

メガ・ヒットとなったこのアルバムと翌年に出たPoint Of Know Returnあたりがカンサスの絶頂期で、彼らの魅力を余すところなく伝えている作品だと思う。

ただ折からのディスコやパンク・ブームによって複雑な構成の長尺曲があまり受け入れられなくなり、80年代になるとアメリカの大衆受けするプログレ・バンドはほぼ消滅した。

ネットの進歩によりさらに多大な情報が行き交いその展開が早くなった今、必要な情報を瞬時に取捨選択するにはそれらがシンプルでコンパクトである事が重要。

世の中物事時間をかけて味わう余裕が無くなったみたい。

そう言えば、ユーチューブの動画を倍速で視聴したり、くどいところはスキップしたりする自分がいる。

たまには長尺曲を味わうゆったりと鑑賞するゆとりも必要かな?


Hamberger Concertoって?

2023年09月27日 | PROG ROCK

1974年に出たオランダのプログレ・バンド、フォーカスの4枚目のスタジオ・アルバム、Hamberger Concerto。

アルバムのサイド−1には独立した4曲が収録され、サイド−2には6つの小曲からなるクラシックとロックが融合した組曲、Hamberger Concertoがサイドー2全編をどっしり覆う構成となっている。

かってのヒット曲、“Hocus Pocus、悪魔の呪文”の様な強烈なインパクトを与える曲は無いものの、いつも通りの静としてのクラシカルな曲と動なるロックが混ざり合い振幅の激しい作風はなかなかの出来。

ところでサイドー2の組曲、Hamberger Concertoって食事の風景を描いた作品。

(ATCOからの米盤)

スターター(前菜)から始まって、ハンバーガーの焼き具合を示すレア、ミディアム−1、ミディアムー2そしてウェルダンと続き、締めの一杯(One for The Road)で大団円。

オイラの締めはやっぱりウヰスキー。

マスター、ダブルで! 

安いやつね!


L’Isola Di Niente(何も無い島)

2023年09月19日 | PROG ROCK

イタリアのプログレ・バンド、PFMはELPのマンティコア・レーベルと契約し、1972年のセカンド・アルバム、Per Un Amico(友よ)がPhoto Of Ghost(幻の映像)と改題され英語盤が発売された。

その2年後の1974年サード・アルバム、L’Isola Di Nienteが登場。前作と同様に英語盤、The World Became The World(甦る世界)も出た。

(打ち抜かれたジャケからインナー・スリーブのアートがみえる。)

(インナー・スリーブのアート)

(インナー・スリーブを抜き取ると、何やら災害にあった様な風景が... これは一体何を意味するのか?)

本日は、そのイタリア語盤、L’Isola Di Nienteでも聴いてみる。

イタリア語盤と英語盤の違いは、歌詞の内容が異なる、ボーカルがイタリア語であるか英語であるか、収録曲数の違い(英語盤には彼らのファースト・アルバムから英詞をつけて改題したThe World Became The Worldを余分に収録しているため1曲多い)と曲順。

そのため両アルバムを通して聴けば、違った印象を抱くかも。

まあ違いのわからぬ私などは、英・伊のジャケ違いを大いに喜ぶことに。

(英語盤、The World Became The Worldのジャケ。打ち抜き箇所を組み立てると立体的な島が現れる。)


脱メロトロン

2023年09月18日 | PROG ROCK

それまでメンバー各自がソロ活動に励んでいたムーディ・ブルースがついに活動を再スタートさせた。

ついに1978年、待ちに待った新生ムーディー・ブルースとして8枚目のアルバム、Octaveが登場したものの少々期待外れの出来だった。

そしてその3年後、キーボード担当のマイク・ピンダーの脱退により何とあのイエスに在籍したパトリック・モラーツをリクルートし、バンドを再構築して完成させたアルバムがLong Distance Voyagerだった。

またプロデューサーにはそれまで新生ムーディー・ブルースのアルバムをすべてプロデュースしてきたトニー・クラークが外れ、ステイタス・クォーなどロック系バンドのプロデューサーだったピップ・ウィリアムスが起用された。

バンドの作風はプログレからよりポップになって、何と全米1位を記録する大ヒット作となった。

アレっ!そう言えばあの哀愁漂うメロトロンの懐かしき音色も聞こえなくなったね。

かってのプログレ志向の尖った作風も80年代となればその時代と共に変遷していくのは必然なのかも。


ジェネシスがより近くに感じる

2023年09月15日 | PROG ROCK

1975年バンドのキーマンとも言えるピーター・ガブリエルがバンドから脱退。残った4人で翌年2枚のスタジオ・アルバムを発表しツアー出たりして精力的に活動を続けた。

その成果が1977年のライブ・アルバム、Seconds Out(眩惑のスーパー・ライブ)。

4人体制での曲とピーター在籍時のお馴染みの曲が散りばめられた2枚組の大作ライブ盤だった。

聴きどころはやっぱりボーカルにピーターの代わりに務めたフィル・コリンズの熱唱ではないだろうか。ピーターのちょっぴり演劇がかった歌い回しから割とあっさりしたストレートなボーカルでコレはコレで聴きやすい。

それにフィルとサポート・ドラマー、チェスター・トンプソンのツイン・ドラムスの演奏も迫力あるね~

 


プログレ本格的に始めました!

2023年07月28日 | PROG ROCK

メンバー全員がティーン・エイジャーだった事からそれぞれの親の承認を受け、取り敢えず一年限定で活動をスタートさせたジェネシス。

1969年には記念すべきファースト・アルバムを英Deccaから発表しライブ活動も開始。

アルバムは当時注目を集めることは出来なかったが、ライブ・パフォーマンスがカリスマ・レーベルの目に留まりレコーディングの契約に至った。

前作はプログレともポップともどっち着かずの習作的内容だったが、1970年のセカンド・アルバム、Trespass(侵入)でプログレ色を強めその後のジェネシスの方向性を決定づけたと言える。

まだギターのスティーブ・ハケットやドラムスのフィル・コリンズが加入する前で、プログレと言っても緊張感を持った演奏に牧歌的な味付けのサウンドが特徴でこれはアンソニー・フィリップスの12弦アコギの演奏が印象的。

特にピーター・ガブリエルの個性が炸裂する直前のジェネシス、中々良いと思うけど。