雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

言霊

2006-09-28 | 雑記
 僕はよく『キレイごと』を云う。っていうかぬかす、っていうかのたまう?まぁ、どれでもいいのだが、松岡修三か森田健作くらいに、アツ苦しくなる時が、ある。
 だからといって、『キレイごと』によって全てがウマくイクだの何でもかんでも解決しちゃう、などと思うほど純粋ではありません。
 世の中、『キレイごと』だけで片付かない事象のほうが圧倒的に多いことも知っているし、いいかげんな『キレイごと』によって他の人を不快な思いににさせたり、時には傷つけてしまうことだってあるんだ、ってことも今までの経験でいっぱい見てきているし、それをちゃんと分かっている。
 それでも、僕は、ついつい『キレイごと』を口走る。
 何故か?

 もう、十数年前になるが確か十代の後半くらいに小説を書いた。題名は『偽善の高鳴り』という。
 まぁ、ぶっちゃけて云えば世の中みんな偽善者だ!ってカンジのなんとも荒んだお話なのであるが、まぁ、駄作だ。
 作品の出来不出来はいいとして、このくらいの時期ってのは自分で云うのもなんですが、かなり心が荒んでました。まぁ、多感な時期です、そりゃあ色々ありますわな・・・。
 ようするに僕は、昔は『キレイごと』が嫌い、っていうかムカつく?(現代風に言ってみました)青年でした。
「そんなのキレイごとじゃん!」
「そんなこと、あるわけないじゃん!」
「うぜぇよ!」
 こんなカンジのガキんちょでした。
 それがどうでしょ!今じゃ自ら進んで『キレイごと』を並べております。

 何がキッカケ、とか、誰かがキッカケ、とか、それはホント、イーッパイあるんです。何が誰が決定打か?なんて分からないほど、色んな事があったし、かけがえのない様々な人たちに出逢いました。
 それはホントに、僕の財産であり、宝です。(おっ、始まるか!キレイごと・・・)

 いやいや、だからね、そういう時の流れの中で、図らずも良い方向に流れていっていると自分では思うのです。

 で、なんで『キレイごと』を云うか?って話だったね。
 まぁ、しょせん『キレイごと』は『キレイごと』でしかないんだけどさ、もしも、そんなカンジで皆が皆ネガティブな方向に行っちゃう世の中って淋しいし楽しくないじゃん。だからさ、ちょっとズレてても、ちょっと間違ってても、かなり嘘っぽくても、そんなの偽善じゃんって思われても、『キレイごと』を云う人ってのは必要なんじゃないかな?それに、いたっていいじゃん!そんな想いが、あるんだよね。
 馬鹿にされてもいい、けなされてもいい、非難、中傷、ドンと来い!ってカンジなんだよね。ほら、すでに『キレイごと』になってるでしょ。ホントはそんなに強くはないんですけどね・・・。

 結局、何が云いたいかというとね、単純にネガティブな言葉を吐いて心まで荒んでしまうよりは、つまんなくてもバカバカしくてもポジティブな言葉を紡いでいれば、自然と心も体も安らぐと思うんだ、云うほうも、云われたほうも。
 そういう言葉のチカラ(言霊)みたいなのを、僕は信じてるんだよ。


注)『キレイごと』って言い方はあまりよくない言い方です。ちゃんと正しいことを言っていらっしゃる方には失礼ですね。
 ここで言う『キレイごと』とは僕が吐き出すどうしようもない言葉でありますので。ご了承ください。
 
コメント (2)
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