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雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

空の冒険/吉田 修一

2010-12-08 | 小説
 いくつかの短編とエッセイによって構成された一冊。
 本当に、この人は巧い小説を書くものだ、と改めて思い知らされた。まったくもって短編というにも短い、掌編の中に胸中を焦がす、というか、心の隙間をいじらしくさせられる話がいくつも連ねてあった。
 そして旅を中心にしたエッセイ。旅行記とはまた違う、作者の内面を何気なくこぼしたような旅エッセイはなんだか凄い作家さんが近しくなったような感じがして微笑ましかった。なにより、最後の自著『悪人』についての章などは非常に興味深くあった。
 だが、前半部にあまりにも良質な章編集があったがために、後半部のエッセイではいささか本音が出すぎているのか(いやまあ、そりゃエッセイなんだから本音を書くのだろうけど)一冊の本としてはまとまりが悪いような気もしたことは否めない。
 しばしばこの作家は「お洒落作家」の代名詞として取り沙汰されたりもするが、特に鼻持ちならない言葉や表現を遣ったりするわけではない。それでいて「なんだか洒落ている」と匂わせるのは、やっぱり作者本人が洒落ているからだろうか? とも思っていたが、エッセイを読むかぎりではそうでもなさそうだ。ただ、生きること、書くことに対して自分なりの余裕を持っている人なのだろうな、そういところから滲み出るものがあるのだろうな、そんなことを感じられたエッセイはよかった。
 それなので、好い意味で「ヘタクソなエッセイ」は身近に感じられるのである。
 もちろん、小説は一級品であることに間違いはない。
 さしでがましくもあるが、次作はエッセイはエッセイ、小説は小説、の一冊で出したほうが良いと思われる。

整形前夜/穂村 弘

2010-10-15 | 小説
 詩歌人、穂村弘の自意識てんこ盛りエッセイ。ともすればやるせなくもなりそうだけれど、なんだか可笑しい。たぶんその可笑しさは、この人の自意識過剰っぷりに共感できてしまうからだろう。
「自分をコントロールできない」「世の中とチューニングが合わせられない」「常識からズレる」
 たぶん、そういうのって多くの人がうなずける、ふつうのことなのだろう。でもそのふつうにはなりたくない、っていうか認めたくない、自分は特別なんじゃないのか? そういう思春期的な思い込みというのが、さすがに歳を重ねていけば薄れてはくるのだけれど(それは経験であったり、諦念であったり)土台がもうそういう人っていうのは、やっぱり、いくら歳を経ても名残っているものだ。
 それでも自意識の高い人間というのは、周りもよく観察しているし、そこにきて自分自身の姿や内情をことごとく突き詰めるのだから、世間とのちょっとしたズレでもやっきになって探し当て「自分は特別」を無意識に保持しようとするのだろう。そういう人は、はっきりいってなんの問題もない。
 なんせ、性質の悪いのは、まったくもって世間とのズレなど気にせずに、世の中の基準を自分に置いている者だろう。

 身勝手な人よりも、自意識過剰な人のほうが断然好い。と、断言してしまう自分も身勝手であることに変わりはないので、世の中とはままならなくてやるせない、生き難い処であるなぁ……と目を瞑り、日々を誤魔化す。

水曜日の神さま/角田 光代

2010-09-25 | 小説
 なんだか、『小説』カテゴリーは久しぶりだなあ……最近なかなか完読できなかったからなあ……、というわけで、もう長編小説は諦めてエッセイ集にしといた。これなら途中で返却期限がきても惜しみなく返せるから。
 そんなわけで角田光代さんの、主に「旅」に関するエッセイをまとめた一冊。
 今回初めて、角田女史の本を読んだ。角田さんといえば、キョンキョン主演の映画『空中庭園』くらいしか観てなくて、それで特に原作を読んでみようかな、なんてことも思わなかったので、あれだったんだけれど、なんでか「ふっ」とこの本のタイトルに引き寄せられるように手をとってしまった。
 パラパラとめくり、とある章を何気に読んでみた。それはまあ、旅行時におけるトイレの話(所謂シモネタだな)であったのがなんか運命的。
 これはちょっと面白いな……。そう思って借りてきた。それがどうだ。端から読んでいくとこれが実に、ひじょうに、面白い。この、旅行記のようなエッセイのような……とにかく、その経験や生き方もさることながら、文章的にもひじょうに軽妙且つ深遠で、「いやこれは、一度小説も読んでみなければな」と思わせるに充分たる充実内容だった。
 半分以上は「旅エッセイ」。残りは日常的かつ作家的エッセイで、かなり珠玉の一冊であることは間違いない。
 時折(それはエッセイ本でよくあることなのだが)、「ああー、この本は買ってもよかったなぁ」といった、何回も読み返したくなる本に出逢う。そういう一冊。
「じゃあ買えよ。買ってまた読めよ」
 と、言われるだろうが、まあなかなかそういうわけには……が、しかし、古本屋などで安価であったならば、買う。(実際、瀬尾まいこさんや川上弘美さんなんかの本は買ってる)
 
 と、そんな感じで、仕事および生活的にも一応余裕が見えてきたので、これから角田女史の本を読もうかなぁ、と思っている次第なのである。

小説を完読するヒマがありません

2010-09-06 | 小説
 仕事から帰ってきたらシャワーを浴びて寝るだけの生活をここ一ヶ月送っている。
 いや、別に。それがどうのこうのというわけでは、ない。今まで、半年ほど、のんべんだらりと暮らしていたのだから、いっそこの忙しさは心地好い……など、あるはずもなく、いや、仕事面に関しては特に文句もない。周りも善い人たちばかりで、それなりに環境や仕事にも慣れてきて、猛暑日の続く毎日に日々数リットルの汗を流し、飯は一日二食、または一食で、すでに体重は6キロ減り、ベルトの穴は三つ縮んだ……そんな究極のダイエット的なスバラシイ仕事だと思いマス。
 ただ、この状況下において、なにが困るかというと本が読めない。あーんど、DVDなんかも観られない。
 DVDに関しては、まあ、重要なところだけ観とけばあとは早送りすれば……(それはー、エロDVD、ですね)なんとでもなるんだけれど、本、特に小説なんかだと、こりゃいけない。
 基本、自分は本は図書館で借りるタイプなんで猶予が二週間。
「おいおーい、二週間もあれば小説の四、五冊は余裕で読めるだろー」
 というのは以前の自分で、現在はちょっと長い小説などは二週間なんて「アハンっ!」という間ですわ。
 別に、延滞できるんだけれどもさ。図書館ってヤツはぁ……でもそれは、次に貸出の予約が入っていない本に限ってなので、どうしても人気作だと二週間以内に読まなければならない。でないと、次借りられるまで六十人待ちとかだし。
 現に、村上春樹の「1Q84」。ようやく借りられたのはいいけれど、結局半分くらいまで読んで、返した……いったい、青豆と天吾の運命や、いかに!? みたいな。
 その後、「神様のカルテ」くらいはなんとかギリギリで読めたのだけれども、その次に予約待ちしていた東野圭吾の「プラチナデータ」。これがもう、あと五日で返さなきゃいけないのだけれども、ようやく半分くらい読めた、ってところで……なんか、こんなブログ書いてるヒマがあるんなら「読めよ!」って感じなのだけれど、明日休みなもんで、もうビールとかガンガン呑んでて、酔い酔いで、小説を読めるような状態ではなく、かろうじてブログくらいなら書けちゃうぞっ
 てなもんで、要するに、小説を読むヒマもないということは、とりもなおさず、

オナニーする間もないんだよ!

 という性年の主張で、今宵は勘弁してつかぁさい。

龍宮/川上 弘美

2010-07-03 | 小説
 文章は、ゆるやかなのにすさまじい。内容は、平らかなのに凸凹だ。
 この小説の感想を述べようとすると、このような矛盾した表現になってしょうがない。いやこの小説にかぎらず川上弘美という人物に関わる物事というものが大抵そういった空気に呑まれているように思われる。
 この世のものではないものの話。いってしまえばそれまでなのに、何故だかとても近しくて、ともすれば人間よりも近しさを感じてしまい、いとおしいくらいになる。
 具体的に、この作品の良さを示すことはできない。無理に喋るとすべてがなにか、嘘臭くなるような気がしてしまう。ただもう、川上弘美が前に「すとん」と置いてくれる物語に身を任すのが何より心地好い。意味だとか寓意だとか、そんなことを語るのは、いや考えることすら無粋である。彼女の決して壮大ではない、日常のほんのすぐ隣にちょいと足を踏み外したかのようなこぢんまりとした逸脱がたまらなく胸を締めつける。

 自分にとってはまさに麻薬のような彼女の小説。中でもこれはかなりの上物であった。

ペンギン・ハイウェイ/森見 登美彦

2010-07-01 | 小説
 近頃めっきり人気者となった登美彦氏の最新刊。デビュー以来初めてだろうか? 京都が舞台になっていないのは。京都が関係していないのは。だからなのか? 帯にはでっかく、

森見登美彦、新境地へ!

 などと書かれ、煽られている。
 確かに、新境地といえば新境地だろうか、主人公もいつもなら胡乱な大学生が登場してきそうなところを自称「かしこい小学四年生」にしている。(おっぱい好きは同じであったが)
 だがこの小学生。かしこいだけあって考え方や話し方がいつもの登美彦節。内容も以前の抱腹絶倒もののドタバタ劇とまではいかないものの、とことんまでのファンタジー。そして魅力的な女性(お姉さん)、とそれほど新境地と強調せるべきものは見当たらないのだが……。しかしふと、思ったことがひとつある。今まで森見作品を読んでいてそんなこと一度も思ったことはなかったのだが。
 それは今作を読んでいると、なんとなく村上春樹の世界観に似ているな、と。まったくどこがどうとか、上手くは説明できないのだけれども漠然とそんなことを思った。
 要するに、そういう世界観というか空気感の漂いこそ、登美彦氏の新境地ということなのであろうか。

世界音痴/穂村 弘

2010-06-29 | 小説
 歌人、穂村弘の被害妄想的エッセイ。
 それにしても、さすが歌人なだけあって、なんとも卓越したタイトルではなかろうか。
『世界音痴』。
 みんなが自然に世の中を生きている姿を見ながら、自分はなんとぎこちなく生きているのであろうか……そんなしょうもない想いがありありとうかがえる。しかしそんなしょうもなさも、徹底していると哀れを通り越して可笑しみが出てくるのだから、たとえ○○音痴であったとしても、気に病むことはない。と、そういうことを教え諭している本ではないのだが。
 要するに作者のただならぬ世界への戸惑いぶりが描かれているといったところだ。それがいやはやなんとも愉快でたまらない。
 歌人としての穂村氏はどうだか知らないが、エッセイを読む限りでは非常に好感の持てる人物である。

死ねばいいのに/京極 夏彦

2010-06-28 | 小説
 京極夏彦の小説は、これまで一度も読んだことがなかった。大体においてあのぶ厚い本は手に取るのも躊躇われる。よしんば手にできたとして、中をパラパラやってみるとその漢字の多さについつい挫かれる。そんなこんなを繰り返していたため、よくも知らないのに勝手なイメージとして「妖怪」や「怪談」「時代物」の人だと思っていた。
 ところが今回、そのなんともインパクトのあるタイトルに加え、中身をパラパラやってみると案外読みやすそうであったので一読してみたのだが、「妖怪」も「幽霊」も出ない。完全に現代が舞台の社会派サスペンスであった。
 ストーリーは、ある死んだ女の知り合いという男が、その女のことを知りたくて女の関係者たちに話を聞きにいくという、いたってシンプルな話。一話ごとに話を聞く相手が変わり、取り立てて絡み合うこともなく複雑さはない。だが、そこで語られる登場人物たちの話が凄まじい。いや、特別物凄い話なのではなくて、はっきりいってどこにでもあるだろう、どこにでもいるだろうと思われる、ふつうではないが、現実に必ずある、と確信できるその気味悪さ。それが、凄まじい。話を訊きにいく若い男のキャラも甚だイラつくのだが、訊きにこられた相手たちもまた、非常にイラつく。言い訳がましく欺瞞に満ちたその者たちのくどくどしい話を聞いているうちに、思わずこう言いたくなるのだ。

 だったら---死ねばいいのに

 なるほど、これが作者の狙いなのだろうか? ミステリとしては、トリックもへったくれもなく犯人どうのこうのといったカタルシスもないのでそこは評価外になるが、社会派サスペンスとしては一級品だと思える。決して気持ちのいい作品ではないし、読後感も悪い。だがそれこそが社会派的な読み物であると私は思っている。

かあちゃん/重松 清

2010-06-25 | 小説
 ある、ひとりのかあちゃんの償いの人生が、若い世代の者たちの心を打って、しっかりとそれが伝わっていく……。
 果たして、こういう展開になろうとはまったく予期していなかった。
「母の話」だろう、ということはタイトルから確実に判る。そこになにやら「いじめ」の問題が加わるという。と、すれば、早計に考えれば「母と子の、いじめになんて負やしない」的な、つまるところ母子愛でいじめに打ち勝ってこれからも負けないぞー、みたいな陳腐な物語を想像してしまう。いや、しかし、あの重松清が、まさか……。
 
 そう、やっぱり重松清は凄かった。序章、いや第一章なんだけど、この連作短編だか長編だか曖昧な本の中で、この最初の章はやはり特別。この凄まじい「かあちゃん」があったからこそ、後々のストーリーが効いてくる。しかしいったい、この序章から誰がここまでいじめ問題を掘り下げて考えられただろうか。これはもう、重松清でしかありえないストーリー展開ではなかろうか。また、そこから派生してくる様々な「母」たちの姿。あまりにも巧みすぎる。もはや国宝級だ。

 しばらく重松小説から遠ざかっていたから尚更なのかも知れないが、久方ぶりの重松節はなんとも心地好く、それでいて問題の重さを鋭く刺し込んできて、読む者の心と感情を揺さぶりあたためる。どうにもこうにも、泣かずにはいられない。
 人それぞれ、泣きどころは違うだろうけど、自分の今作でのいちばんの泣きどころは、アスパラとグリーンピースでつくった「ガンバレ」の文字。こーれはズルい(笑

北村薫の創作表現講義 -あなたを読む、わたしを書く- /北村 薫

2010-06-24 | 小説
 作家北村薫が早稲田大学で二年間、小説に限らず、ドラマ、映画、落語、朗読、短歌、音楽……等々、さまざまなジャンルによって≪表現≫についてのあれこれを講義した記録をまとめあげた、謂わば創作の極意書。
 とにかくこれは、たいへん為になったのはもちろんなのであるが、なにより非常に興味深く、そして楽しく面白く読めた。
 氏の本業が高校の先生であるというのだから、教えることに関してはそりゃプロなんだろうけど、実際の教師たちの授業なんぞ、なんとツマランものであろうか。それはきっと教師自体が死んでるから、死んだ授業しかできないのであろう。と、氏の生きた授業内容を読むとつくづく判る。
 氏自身、授業内容にあれこれ策を弄するのは大変ながらも実に楽しいと言っておられる。まずは教える側が楽しまないでどうする、そういうことだ。
 
 さて、そんな教師論はまあいいとして、その授業の様々がなんとも魅力的でとても解り易いのだ。ときにはゲストを呼んだり、そして学生たちにその人についてのコラムを書かせたり、また上質な掌編を教材にしたり。とにかく、そのどれもが押し付けがましくないというか、流暢に頭の中に浸透していくような感じだろうか。(実際はすでに重要なことすら抜け出てしまっているかもしれない、わたしの頭)
 中でも一番興味深く読めたのは、書籍編集者のお話。そして雑誌編集者のお話であった。新人賞のあれこれなどはとても興味深かった。

 ともあれ、それもこれも、北村薫先生の人徳、そして≪表現≫する意欲によって魅力溢れる講義となり、それがまた良質な一冊の本に仕上がるというのは、なんとも素晴らしいことであると思う。

≪表現すること≫=≪伝えること≫ それはなんとも難しく面倒くさいことではあるが、一度そこに中毒(ハマ)ると、もうそこから抜け出すことは困難な世界でもある。日々精進。

あなた明日の朝お話があります/中場 利一

2010-06-23 | 小説
 笑いと人情味あふれる物語。それにしても、中場さんの本を読むと俄か関西弁になってまうねん。(←無理やり)
 その作風もさることながら、舞台に描かれる人々の大らかさにとても親しみと羨望を持ってしまう。
 悪い風に言おうと思えばどれだけでも悪く言えるし、また、良く言おうと思えばいくらだって良く言える。実際、人間ってそういうものだから、とことんまで人間を描いたこの小説には良いところも悪いところもいっぱい見受けられる。それがひじょうに人間臭くて、とてもあたたかい作品であった。
 なにより笑えたのがこの表紙。最初見たとき、中場利一のイメージじゃねぇ! って思わずツッコミ入れたのだけれど、読んで「ああ、なるほどな」と笑顔がこぼれた。
 ニクい演出やねん。(←無理やり)

盤上の敵/北村 薫

2010-06-22 | 小説
 今まで、北村薫と高村薫と栗本薫の区別がなかなかつかず、ごっちゃになっていた。それはひとえに、このお三方の作品をひとつも読んだことがなかったからであろうと思われる。ともすれば「マークスの山」は誰が書いたのか判らないといった始末だったりする。
 だが、このたび「盤上の敵」を読んだことによって、まずはお一人様クリアーになった、と思う……。少なくとも去年お亡くなりになったのは栗本薫さんであるということはしっかりと覚えておいたほうがいい。

 さて「盤上の敵」。タイトルからも推察されるようにチェスゲームをモチーフにしたミステリー小説。なのだが、実は自分が想像していたような内容とはいささか趣向が違っていた。別にここで自分の想像を披露することはしないが、ともかくそれは、いい意味での裏切りであってすこぶる物語を愉しめた。どんでん返しにはもちろん、手放しで悦びを甘受したのだけれど、それよりも凄いな、と思ったのが所謂、ストーリーの配置。一体これはどういった具合に進んでいくのか? その謎にぐいぐい引っ張られていく。そして事件の全容が見えたと思った、そののち、どーん! とくるどんでん返し。まさに絶品とはこのことではなかろうか。
 すなわち、序盤からの絶妙なストーリーの配置、そして中盤での攻防から終盤に至って、逃げ場の無いチェックメイト。読者にとっての「盤上の敵」とは他ならぬ作者北村薫であり、そしてものの見事に惨敗させられるのだ。とても気持ち好く。

蝦蟇倉市事件2

2010-06-21 | 小説
 1970年代生まれのミステリ作家11人が架空の街≪蝦蟇倉≫を舞台に競作するアンロジーの第二弾。

 第一弾は、はっきり言って伊坂幸太郎、道尾秀介のレベルがダントツ過ぎて、他の作品がどうにもならない事態に陥っていた。が、今回第二弾は各々のレベルにそれほどの差がなく、また、自分にとっても初めての作家のみであったので読書意識も均等になされた。
 そういえば今回は、どの作品もわりと主人公が若く「青春ミステリ」といった態になっていたのも自分が読みやすかった要因なのかも知れない。
 その中でもっとも好かった、というか印象深いのは、越谷オサムの「観客席からの眺め」である。これはもう、なんとも言えず切なくて、また淫靡である。
 どの作品も意外性はあるのだけど、ツッコミどころもあるのは否めない。しかし村崎友の「密室の本――真知博士 五十番目の事件」などはその意外性に思わず感嘆させられる。第一弾に登場した真知博士などが別の作家によって再登場するのも、また微笑ましい。

 もうこれは、作品の質どうこうではなくて、同年代の作家さんたちが楽しんで創り上げていったテーマパーク的な本なのだと捉えれば、きっと一緒に楽しめるものなのであろう。